改革五か年計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/18 16:05 UTC 版)
天保4年(1833年)、利幹は向こう5年間にわたる藩財政再建の号令を発した。摂津国の富農出身で、岸和田藩や西本願寺など10以上の諸藩・旗本・寺院等の財務再建を成功させた財政専門家の大阪商人である石田小右衛門を招致し、藩の財政改革を指導させた。藩領は浄土真宗の強い土地柄でもあり、西本願寺の財務再建を成した当時の著名な財政再建家である小右衛門の入国と指導は熱狂的に受け入れられ、当初は行く先々で小右衛門を一目見ようと民衆が群がり、村々も町衆も皆が熱烈な支援を約束するなど一大ムーヴメントを形成したが、天保4年10月から11月、天保5年(1834年)4月から5月、天保6年(1835年)2月から3月と、3年にわたって毎年入国して指導や施策を行った小右衛門をもってしても富山藩財政の改善は目立った効果が挙げられず、当初は藩に熱狂的に支援を表明していた民衆の熱も徐々に醒め、藩財政は悪化の一途をたどった。
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