「新しい複雑性」から、「複雑系」へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/29 06:01 UTC 版)
「新しい複雑性」の記事における「「新しい複雑性」から、「複雑系」へ」の解説
「新しい複雑性」という狭義を超えて、「複雑系」の音楽がどこから始まったかという疑問について、マーンコプフは前述書に於いてエリオット・カーターの「管弦楽の為の協奏曲」を源としている。この作品が書かれたのが1969年であることを考えると、年代的には正統とみなせる。しかし、カーターはセット理論等の前衛の諸様式を参照の上で到達した独自の試みと捉えており、1965年作曲の「ピアノ協奏曲」で、既に「管弦楽の為の協奏曲」のテクスチャーを凌駕している。 ミルトン・バビットはトータル・セリーの生みの親とされ、彼が作曲した「ポスト・パーティションズ」を起源とみなすことも可能である。しかし、多くの書物で指摘されているようにトータル・セリーが開花したのはアメリカではなく、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会が開催されたドイツを含む西欧であった。バビットは自作の「レラータ1」の初演時に「聞きたい音符の半分以下しか聞き取れない演奏だった」と演奏家への不満を表明する。 そして、前衛の時代が20年強続き、1968年以降前衛の停滞及び調性の復活が議論されるようになる。この時代の展開は国際コンクールで精密機械のような古典作品を披露する演奏家が評価されたり、かつての前衛の時代に書かれた作品を非常に高い精度で演奏できるようになったことと無関係ではない。オリヴィエ・メシアンの自作自演ピアノ演奏や、デイヴィッド・チューダーの演奏によるジョン・ケージ、カールハインツ・シュトックハウゼン作品の音源からは、「意外に演奏の段階で、ミスタッチを含めて恣意的な解釈を含む」という事実が指摘されている。また、「前衛の時代に書かれた作品が、それほど複雑ではない。」ということも議論に上がってくるようになった。これらの暴露は、前衛の時代が終焉してから、やっと行えたのである。 ファーニホウは「テンポ感が確定していれば、テクスチャーは全て聞き取れる」という価値観を、現在に到るまで崩していない。
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