「故意」と「偶然」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 00:21 UTC 版)
「ヒッピアス (小)」の記事における「「故意」と「偶然」」の解説
12. ソクラテスは、そんなつもりは無いと言いつつ、冒頭でヒッピアスが引用した『イーリアス』の一節の中に腑に落ちない部分があり、ヒッピアスの主張とは逆に、アキレウスが欺瞞者で、オデュッセウスは偽りを言っていないことを示しているのではないかと気付いたと述べ、その箇所を引用しつつ指摘する。 13. ヒッピアスは、そこでアキレウスが偽りを述べているのは、企み(たくらみ)によるものではなく、心ならずもそうしているのだと指摘。ソクラテスは、ヒッピアスは自分(ソクラテス)を騙していると批判、アキレウスの偽りが企みではないと述べているが、ホメロスの記述によれば、オデュッセウス以上に欺瞞者である上に、詐欺師であり策士だと、『イーリアス』の該当箇所を引用しながら指摘。 14. ヒッピアスは、自分はそうは考えない、その箇所もアキレウスが善意からそうしたのだと指摘。ソクラテスは、しかしそれだと、意図的に偽りを言うオデュッセウスの方が、心ならずも偽りを言うアキレウスよりも優れていることになると指摘。ヒッピアスは、意図的に不正を成し、策謀を巡らせて悪事をはたらく者が、心ならずも偽りを言う者より優れているなんてことはあり得ないと反論。法にしても後者の方が寛大な態度が示されると指摘。 15. ソクラテスは、その考えには同意しないが、とは言え、時には正反対に思われることもあり、この点で私の意見はフラついていると告白。 16. ソクラテスは、自分が望んでいるのは、より優れているのは、「故意に過ちを犯す者」と「心ならずも過ちを犯す者」のどちらであるかを、十分に調べ上げることだと述べる。続いてソクラテスは、「良い走者」と「悪い走者」とでは、「速さ」が良いことであり、「遅さ」が悪いことだと指摘。ヒッピアスも、同意する。ソクラテスは、では「故意に遅く走る者」と「心ならずも遅く走る者」、どちらがより優れた走者であるか問う。ヒッピアスは、「故意に遅く走る者」と答える。ソクラテスは、「走る」ということは「行為を成す」ことであり、悪く走る者は、競争の際に、走るという行為を「悪くて恥ずべき形で成している」ことだと指摘。ヒッピアスも、同意する。ソクラテスは、それでは良い走者がこの恥ずべきことを成すのは故意にであり、悪い走者は心ならずもそうしている、ということでいいか問う。ヒッピアスは、肯定する。ソクラテスは、競争の場合は、「心ならずも悪しき行為をなす者」の方が、「故意にそうする者」より劣っているということでいいか再度確認。ヒッピアスは、肯定する。ソクラテスは、ではレスリングの場合はどうか問う。「故意に倒れる」と「心ならずも倒れる」のどちらが「劣っていて恥ずべきこと」かと。ヒッピアスは、「故意に倒れる」方だと答える。ソクラテスは、ではレスリングの場合、「倒れる」のと「投げ倒す」のとでは、どちらがより劣っていて恥ずべきことか問う。ヒッピアスは、「倒れる」方だと答える。ソクラテスは、ではレスリングにおいても、劣っていて恥ずべき行為を故意に成す者の方が、心ならずもそうする者よりも、優れているということでいいか確認。ヒッピアスは、同意する。その他、肉体を使う運動全般、体力、体つき、声、障害、低視力、他の五感についても、同様のやり取りが繰り返される。 17. 舵、弓、リュラ琴、笛、他の道具全般、乗馬術、狩猟術、弓術、医術、音楽術、技術・知識全般、奴隷の魂と、同様のやり取りが繰り返される。ソクラテスは、最後に「自身の魂」を挙げる。我々の魂においても、心ならずも過ちを犯す場合より、故意にそうする場合を優れたものとみなすと指摘。ヒッピアスは、しかし故意に不正を成す者が優れた者になるとしたら恐ろしいことだと反論。ソクラテスは、しかしこれまでの議論からそういうことになると指摘。ヒッピアスは、同意しない。
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