「形研究会」の成果
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1941年夏、講道館の指南役ら最上級指導者を委員とした「離隔態勢の技」の研究委員会が発足し、1942年、富木謙治が、南郷講道館長の与えた課題に答えて「柔道に於ける離隔態勢の技の体系的研究」を発表し、当身による攻撃にも対応し、加えて近代化の課題(安全性)とも調和する、いわば総合柔道の基本構想と方法を示した。富木はその中において「基本の形」を発表する。基本の形は第一教の当技3本、第二教の抑技2本、第三教の極技3本、第四教の転廻技2本、第五教の後技2本の5種類に分類される。富木は、日本武道の根本原理は、剣道の「剣の気」と柔道の「柔の理」の二つにあるとし、研究を進めていく。戦後の昭和31年(1956年)に完成した「護身術の形」(講道館護身術)は、「嘉納が重視した武術・護身としての価値観(すなわち勝負観)を純粋に継承したものと位置づけることができる」と指摘される。 また、1943年、女子柔道護身法が発表される。 また、1943年5月に三船久蔵は、新たに研究中の護身術を部分的に紹介する。「無手、短刀、大刀、銃剣等に対する新しい防禦法、といふよりは積極的な攻撃」を内容としたとされているが、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}これについての詳細は現状わからず、[要出典]戦前にまとまった著述を残した委員は少ない。
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