「地政学」の復活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:59 UTC 版)
1980年前後になると、「地政学」という言葉は再び広く用いられるようになる。この一因として、ヘンリー・キッシンジャーが「地政学的(geopolitical)」という用語を多用したことが挙げられる。コリン・グレイをはじめとする知識人は地政学立場より、勢力をユーラシア大陸全体に延ばそうとするソ連に対して攻撃的アプローチを取るべきだとジミー・カーターを批判し、この政策はロナルド・レーガン政権において受け入れられた。1980年代中期までには、アメリカにおける「地政学」は、アメリカの権力を維持したいという強い意欲を持った研究者によって主導されるようになり、アメリカが国益を追求する際の合言葉としての役割を持った。 また、この時代には学生運動の影響を受けた若手研究者が政治分野の研究に取り組みだすようになった。彼らは、従来の政治的意識に欠ける研究者を「政治地理学者(英: Political geographers)」に対して自らを「政治的な地理学者(英: political geographers)」と呼んだ。こうした研究者のひとりであったピーター・テイラーは1985年に『世界システムの政治地理』を発刊し、同著において「地政学の再考」を主張した。テイラーは、国家の意思決定は、 ①目下の同盟国および潜在的な同盟国はどの国か②目下の敵国および潜在的な敵国はどの国か③どのようにして同盟関係を維持し、潜在的な同盟関係を促進するのか④目下の敵国にどうやって対処し、脅威の出現にどのように対処するのか⑤以上の4つの規定を国民とグローバル社会に対してどのように正当化するのか という5つの想定をもとにした「地政的コード」に規定されると論じた。テイラーを中心とした「新しい政治地理学」の再興は英語圏を中心に多くの研究者に刺激を与え、「新しい地政学」の潮流を生み出した。
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