「収容所国家」とRENK
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「救え! 北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク」も参照 短期留学で北朝鮮に入国してみると、金日成・金正日に対するあまりに極端な個人崇拝や監視社会の実態、あるいは庶民生活の経済破綻を知るに及び、同国に激しい失望の念をいだいたという。この経験が、のちの一連の著作につながっている。帰国後の1993年に高英起とともに立ち上げた「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク」(RENK)では、同年6月3日にメンバー50人余りが大阪市内の目抜き通りを「強制収容所を廃止し、すべての政治囚を釈放せよ」「金日成政権は人権弾圧をやめろ」「北朝鮮民衆に民主主義と人権を保障せよ」と書いたプラカードや横断幕を掲げてデモ行進をおこなった。その後も脱北者の支援や北朝鮮内部の資料、映像を世界へ公開する活動を展開した。出版物に、安哲兄弟による『秘密カメラが覗いた北朝鮮』(李英和、RENK 訳)がある。 金正日および「収容所国家」と化した北朝鮮の国家体制に対しては厳しい批判を寄せる一方、北朝鮮民衆に対しては温かい思いをいだきつづけ、支援を呼びかけてきた。また、金大中よりはじまる韓国の対北宥和政策、いわゆる「太陽政策」にはきわめて批判的である。 RENKの活動には、辛光洙と一時同居し、そのことがきっかけとなって実兄が北朝鮮で銃殺された在日朝鮮人女性、朴春仙も参加した。
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