「みうらビーチ」「ハワイアン」「ミュージックトレイン」など
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「京急本線」の記事における「「みうらビーチ」「ハワイアン」「ミュージックトレイン」など」の解説
1970年7月11日から8月15日までの間に実施された夏季休日ダイヤで「みうらビーチ」が3往復、7月18日から8月8日までの平日に1往復納涼特急「ハワイアン」が運転された。これらの列車は定員制で「みうらビーチ」は往復で100円であった。これらの列車に使用された600形(2代)のうちの1編成のみは車内の蛍光灯がすべて濃いブルーに交換されていてまたそのまま通勤列車にも充当されていた。 「ハワイアン」の運転は1970年夏季限りであったが「みうらビーチ」は1972年に1往復のみになるものの運転が継続された。ただし、愛称が変わった時期もあり、「みうらビーチ・ビバハッピー」(1974年)や「ハッピー1240」(1975年)の愛称で運転された後、1976年は再び「みうらビーチ」に戻ったものの、翌年から再度改称され「ミュージックトレイン」(1977年-1980年)、「アメリカンエクスプレス」(1981年)など、様々な愛称での運転となっていたが、1982年からは1990年まで再び「ミュージックトレイン」として運転されていた。その後1991年より最後の1994年までは三たび「みうらビーチ」に戻った。なお、夏季休日ダイヤ最後の年となった1995年には列車の設定がなくなった(同年夏季休日ダイヤでは「みうらビーチ」の運転をせず、一般の快速特急の増発と延長運転、京急蒲田駅への臨時停車のみとなった)。また、翌1996年以降は夏季休日ダイヤそのものが消滅した。 使用車両は最初の1970年のみは全列車600形(2代)、1971年に2往復が1000形(初代)、1往復が600形(2代)の冷房改造車、1972年より1000形のみで運転され、1983年より下りのみ、翌1984年からは上下とも2000形での運転となっている。ロングシートの1000形で運転されている期間・列車も定員制であり、一時期の横須賀中央以南での乗車を除いて座席券が必要であった。
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