“Wunder gibt es immer wieder”『愛のおとずれ』のヒット
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「カーチャ・エプシュタイン」の記事における「“Wunder gibt es immer wieder”『愛のおとずれ』のヒット」の解説
エプシュタインがブレイクしたのは、それから数ヵ月後のことだった。1970年3月21日、オランダ・アムステルダムにて開催されたユーロビジョン・ソング・コンテスト1970に西ドイツ代表として出場。『愛のおとずれ "Wunder gibt es immer wieder"(日本語直訳:奇蹟は繰り返し起こる)』を唄い、第3位に入賞したのである。同曲はドイツ本国のチャート(ドイツ語版)で11週ランクイン、最高位16位を記録する最初の大ヒットになった。 本作は日本でのデビュー曲となり、同年4月25日に東芝音楽工業株式会社からシングル盤が発売された。 また、英語版 ("No more tears for me")、フランス語版 ("Un miracle peut arriver")、スペイン語版 ("Siempre hay algun milagro")に加えて、日本語版も録音された。 この日本語版は、同年10月5日に同じ東芝レコード所属の岡崎友紀のアルバム『花びらの涙』の中でもカバー収録された(日本語詞:片桐和子/編曲:川口真)。 続く『朝はふたたび "Und wenn ein neuer Tag erwacht"』もヨーロッパでヒットしたが、日本では何故かB面収録の『恋は歌のように』"Mein Leben ist wie ein Lied" に差し替えられた。 どちらもクリスチャン・ブルーンの筆によるもので、それが切っ掛けとなり2人は結婚するに到った。 翌年のユーロビジョン・ソング・コンテスト1971でも、『世界(英語版、フランス語版、スペイン語版、ポルトガル語版)"Diese Welt"』(作曲:ディーター・ツィンマーマン(ドイツ語版、フランス語版)、作詞:フレッド・ジェイ)で出場。2年連続で3位入賞し、こちらも10週ランクイン、最高位16位という快挙を成し遂げた。 1973年には、NHK・ドイツ語講座で“Wir Leben - Wir Lieben”(私たちの人生、私たちの愛)が今月の歌に採用された。 来日記念盤である『アディオ・サッポロ』(日本語盤)以降、日本でのレコード・リリースは途絶えているが、本国及びドイツ語圏ではコンスタントにヒットを飛ばしている。特に、“Stern von Mykonos”(ミコノスの星)、“Es War Einmal Ein Jager”(狩人の唄)の2曲は、半年以上チャートインするロングランで、最高位4位という大ヒットになった。また、世界的なヒット曲のドイツ語によるカバー録音も、引き続き取り組んでいった。『青春の光と影" Beide Seiten"』、『風のささやき(英語版、ドイツ語版、オランダ語版、フランス語版)"Wie sich Mühlen dreh'n im Wind"』や、『アルゼンチンよ、泣かないで"Wein' Nicht Um Mich, Argentinien" 』等のナンバーは、オリジナルに勝るとも劣らない程の素晴らしい歌唱と言えるだろう。
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