銀座 (歴史) 銀座 (歴史)の概要

銀座 (歴史)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 10:05 UTC 版)

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南鐐二朱判、一分銀、一朱銀

概要

銀座は豊臣秀吉銀貨の統一に向けて京都の銀吹屋20人を集め大坂常是座(じょうぜざ)を設けたことに始まる[1]。その他、戦国時代より現れた両替商銀細工師である銀屋(かねや)が各地で極印銀を鋳造し、銀座はこうした業者から成立した。例えば加賀藩では銀細工師集団である金沢銀座があり江戸時代の初期にかけて領国貨幣である極印銀を鋳造した。安土桃山時代頃より、各地の銀山で産出される灰吹銀秤量貨幣として流通するようになり、品位の保証としての極印打ちを行うようになったのが銀座の始まりであり、各地でこのような領国貨幣が製造された。江戸幕府による銀座はこのような銀品位のばらつきを一定品位に統一し取引の円滑化を図る狙いがあった。一方で各地銀座が江戸時代初期まで続いた理由は、銀の海外流出などにより慶長銀が地方まで充分に行き渡らなかったことに起因する。

銀座といえば主に徳川家康が開いた江戸幕府の銀座が知られ、これは徳川家により特許された御用達町人による組織であった。当時の主な流通貨幣のうちの銀貨の鋳造が行われたこと、この場所以外での貨幣鋳造が厳しく取り締まられたこと、などにより「」の名が付けられたと思われる。

広義の銀座は鋳造、極印打および包封を行う常是役所(じょうぜやくしょ)、および座人が会同する銀座役所(ぎんざやくしょ)よりなる。しかし狭義には常是は銀座には含めず、銀地金の買入れおよび、品位に基づく地金の取組みを行う銀座人らによる集団のみを銀座と呼ぶ場合もある。常是役所は京都は湯浅作兵衛の長男である大黒作右衛門、江戸は次男である大黒長左衛門が銀改役となり以後世襲制となった[2][3]

銀貨の鋳造は常是、銀座人が出張して銀座以外で行われることもあった。明暦の大火による焼損金銀を吹替え明暦4年4月15日(1658年)から江戸城三の丸において慶長丁銀、元禄8年9月(1695年)から本郷霊雲寺近くの大根畑に吹所を建て元禄丁銀が、正徳4年8月(1714年)からは闕所に処せられた浅草諏訪町の材木商栂屋善六の屋敷に銀銅吹分所が建てられ、正徳丁銀を鋳造した[4][5]

慶應2年(1866年)、幕府が改税約書により四ヵ国と交わした自由造幣局設立の確約を受け、慶應4年4月17日(1868年)、維新政府金座および銀座を接収し、同月21日、太政官に設立された貨幣司(かへいし)は旧金座、銀座で二分判および一分銀などを鋳造し、明治2年2月5日(1869年)に廃止された[6]

伏見銀座

伏見銀座跡碑 京都市伏見区

関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、日本国内の覇権を意識し、慶長6年5月(1601年)、京都伏見伏見城下に貨幣鋳造所を設立し、堺の両替商、湯浅作兵衛に命じて取り仕切らせ、頭役には、摂津国住吉郡平野郷(大阪市平野区)の豪商の末吉氏の末吉利方 (平野(末吉)勘兵衛利方) と子の末吉吉康(吉安)(末吉孫左衛門吉康)や同族の平野藤次郎、平野九右衛門らがなる。

極印方の湯浅作兵衛は徳川家より大黒常是(だいこくじょうぜ)という姓名を与えられ、これ以降大黒常是家は鋳造された銀貨に、「宝」の字と大黒天の他に[7]「常是」の略号を刻印し、銀貨の極印・包装を担当した。このため、銀座で出された銀貨の包みを常是包と呼んだ[8]。鋳造貨幣は百分中銀80、銅20であった[7]

大黒常是および銀座人らは町屋敷四町を拝領して両替町と称し、銀座会所と座人の家宅と常是吹所が建てられた。この各地銀座所在地に付けられた両替町という名称は諸国の銀山より産出される灰吹銀を、銀座が公鋳の丁銀を以って買い入れることを南鐐替(なんりょうがえ)と称したことに由来し[9]、銀座人らは一種の両替商でもあった。

慶長13年(1608年)に伏見銀座の貨幣鋳造機能は京都両替町に全て移された。廃止までに総額120万貫が鋳造された[7]


注釈

  1. ^ 名目価値が実質価値より劣る定位銀貨も小判の補助貨幣と規定されていたわけではなく、法定通貨として通用制限額が設定されているわけでもなかった。

出典

  1. ^ 瀧澤・西脇(1999), p96-98.
  2. ^ 日本銀行調査局土屋喬雄編 『図録 日本の貨幣』2巻「近世幣制の成立」 東洋経済新報社、1973年
  3. ^ 田谷(1963), p83-87.
  4. ^ 田谷(1963), p269-270.
  5. ^ 小葉田(1958), p174-179.
  6. ^ 瀧澤・西脇(1999), p287-288.
  7. ^ a b c 『伏見桃山の文化史』加藤次郎、山本銓吉、1953年、196-197頁。
  8. ^ 田谷(1963), p124-143.
  9. ^ 両替年代記(1933), p7-8.
  10. ^ 田谷(1963), p5-8.
  11. ^ a b c 『家数間口并裏行改覚帳』(長谷川家旧記)、1672年
  12. ^ 『京都両替町拝領屋敷届』、1764年
  13. ^ a b c 『銀座書留』
  14. ^ 田谷(1963), p8-12.
  15. ^ a b c d e 田谷(1963), p369-373.
  16. ^ 田谷(1963), p18-27.
  17. ^ 三上隆三 『江戸の貨幣物語』 東洋経済新報社、1996年
  18. ^ 『御用留便覧』
  19. ^ 田谷(1963), p65-71.
  20. ^ 『大黒常安覚書』
  21. ^ 田谷(1963), p3-4.
  22. ^ a b 田谷(1963), p38-40.
  23. ^ a b 瀧澤・西脇(1999), p98-99.
  24. ^ 田谷(1963), p40-43.
  25. ^ 草間(1815), p573, 816.
  26. ^ 草間(1815), p572-578.
  27. ^ 滝沢武雄 『日本の貨幣の歴史』 吉川弘文館、1996年
  28. ^ 田谷(1963), p277-281.
  29. ^ 田谷(1963), p53-61.
  30. ^ 瀧澤・西脇(1999), p98-99.
  31. ^ 滝沢(1996), p137-138.
  32. ^ 田谷(1963), p411-418.
  33. ^ 田谷(1963), p48-53.
  34. ^ 田谷(1963), 196-197, 213-222, 277-278.
  35. ^ 瀧澤・西脇(1999), p109.
  36. ^ a b 瀧澤・西脇(1999), p108-110.
  37. ^ 瀧澤・西脇(1999), p110-111.
  38. ^ 田谷(1963), p115-118.
  39. ^ 瀧澤・西脇(1999), p111.
  40. ^ 田谷(1963), p392.





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