美濃国
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美濃国の合戦
- 672年:壬申の乱、大海人皇子軍(大海人皇子)x近江朝廷軍(大友皇子)
- 1181年:墨俣川の戦い、平家軍(平重衡) x 反平家軍(源行家)
- 1221年:承久の乱(大井戸渡の戦い)、鎌倉幕府軍(武田信光・小笠原長清) x 朝廷軍(大内惟信)
- 1338年:青野原の戦い、南朝方(北畠顕家) x 北朝方(土岐頼遠)
- 1468年:篠脇城の戦い、東常縁 x 斎藤妙椿
- 1480年:文明美濃の乱、斎藤利藤 x 斎藤妙純
- 1495年:船田合戦、斎藤妙純・土岐政房 x 石丸利光・土岐元頼
- 1525年:牧田の戦い、浅井亮政 x 土岐頼芸
- 1540年:篠脇城の戦い、東常慶 x 朝倉孝景
- 1556年:長良川の戦い、斎藤義龍 x 斎藤道三
- 1561年:森部の戦い、斎藤義龍 x 織田信長
- 1565年~1566年:中濃攻略戦、織田信長 x 斎藤龍興
- 1567年:稲葉山城の戦い、織田信長 x 斎藤龍興
- 1572年:武田信玄の西上作戦
- 1575年:天正3年の岩村城の戦い、織田軍(織田信忠) x 武田勝頼軍(秋山虎繁)
- 1582年:加治田・兼山合戦、森長可 x 斎藤利堯
- 1583年:立花山の戦い、佐藤秀方・森長可 x 遠藤慶隆・遠藤胤基
- 1584年:小牧・長久手の戦い
- 1600年:関ヶ原の戦い、東軍(徳川家康他) x 西軍(石田三成他)
注釈
- ^ 「のうしゅう」と読むのは江戸時代後期以降(「濃」の漢音は「じょう」で、「のう」と読むのは慣用音とされる)。ジョアン・ロドリゲス『日本語小文典』では"Giôxû"(ヂョーシュー)と綴られ、城州・上州・常州の"Iôxû"(ジョーシュー)とは発音が区別されている。
- ^ 美作国と区別するためそれぞれ二文字目を採って「濃州」「作州」とするが、美濃国の場合は「美州」と呼ばれることもあった。現在も越美山地、越美南線など、越前国と組み合わせる呼称で「美」が採られているものもある。
- ^ 1887年(明治20年)に尾張国に移管。
- ^ いずれも1887年(明治20年)に尾張国に移管。
- ^ いずれも1883年(明治16年)に美濃国に編入。
- ^ 1887年(明治20年)に美濃国に編入。
出典
- ^ 舘野和己「『古事記』と木簡に見える国名表記の対比」、『古代学』4号、2012年、20頁。
- ^ 角川地名大辞典 21 岐阜県. 角川書店. (1980-09-20日)
- ^ 「船来山古墳群保存活用基本構想 概要版[1]ー
- ^ 筧敏生「古代国家の形成と美濃・飛騨」 松田之利・谷口和人・筧敏生・所史隆・上村恵宏・黒田隆志『岐阜の歴史』山川出版社 2000年 52-53ページ
- ^ 恵那郡史、1926年。すなわち古代には木曾は美濃国恵奈郡に属していたのである。そして元慶3年(879年)9月に懸坂上岑と鳥居峠を境界とし、岐蘇・小岐蘇の所属は美濃国恵奈郡絵上郷と定められた。
- ^ 宝賀寿男『古代氏族系譜集成 中巻』
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