城郭都市 城郭都市の例(城壁が現存)

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城郭都市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/15 03:59 UTC 版)

城郭都市の例(城壁が現存)

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日本の城郭

吉野ヶ里遺跡
鎌倉、ただし城郭都市と捉えるかについては解釈が分かれている。
姫路古地図(1761年)
江戸城配置図(外郭)

古代

日本には本格的な都市が出現する以前の弥生時代に、既に互いに割拠、抗争するクニの防衛拠点として吉野ヶ里遺跡などの環濠集落が発達していたが、これは統一国家の形成へと向かう中で姿を消した。 やがて中央集権的な律令国家が建設されていく中で、中国の都城制の概念が輸入され、国都としての平安京平城京などは城門や望楼を設け、囲郭都市の体をなしていた。 だが、これらの都城は戦時の防衛に耐えられる城壁などは築かれなかった。

中世

鎌倉幕府の本拠地である鎌倉神奈川県鎌倉市中心部)は、西・北・東の三方を切通し鎌倉七口)や切岸状の人工地形(名越切通の「お猿畠の大切岸」など)が見られる丘陵で囲まれ、残る南側も海が塞ぐ馬蹄形の盆地である特性から、赤星直忠の研究以来、都市全体が自然地形を防御施設とする城郭都市(鎌倉城)だったとする説がある[12][13]。これは、九条兼実の日記『玉葉』の寿永2年(1183年)条に「鎌倉城」という記述があることや、『太平記』での幕府滅亡の際に鎌倉北西方面から侵入を試みた新田義貞軍の攻撃を幕府側が一時的に凌ぎ、稲村ヶ崎への迂回突破まで防いだ描写があることなどから言われてきたことであるが、赤星により防御施設とされた「お猿畠の大切岸」が建築土木用の石切場(採石場)であることが発掘調査で判明したことや[14]、他の鎌倉の人工的な地形改変も軍事要素以外の様々な目的による土地利用に起因していること[15]、『玉葉』の「鎌倉城」と言う言葉が、城郭というより(源頼朝の)「本拠地」という意味合いで使われているとする齋藤慎一の指摘など[16]、否定的な見方も出てきており、「鎌倉城=城郭都市」と言う捉え方には見直しが行われている[15]

総構え

博多では都市の周囲を土塁と堀で囲み(環濠都市)、また各地で土塁と堀で囲まれた集落も出現するようになる(環濠集落)。一向宗の寺院も堀や土塁で防御された(寺内町)。その中でも大規模なのが石山本願寺で、後に大阪城の建設地となる。

戦国時代になり、城が戦国大名の領国経営における支配中枢拠点としての重要性を増してくると、小田原城などに見られるように城下町の周囲に自然の河川や堀、土塁を配した外郭構造が取られる城郭が現れた。

総構えの代表的な例には、江戸城がある。徳川幕府が建設した城で、渦巻状に堀を巡らしており、外堀の内側に徳川家に近い旗本などが住む武家の街(武家屋敷群)を配置している。ただし明暦の大火後に武家地を郊外に移転する都市改造を行ったため、戦で江戸の町全体を防衛するのはほぼ不可能になった。

御土居

豊臣秀吉京都の町を全長22.5kmに及ぶ長大な土塁と堀で囲んだ(御土居)。

脚注


  1. ^ 城壁都市(じょうへきとし)、囲郭都市(いかくとし)とも呼ばれる。フランス語でville fortifiée、Cité fortifiée、ville avec rempart、英語ではwalled city、fortified city、ドイツ語でbefestigte Stadt 。
  2. ^ 城塞都市(じょうさいとし)と呼ぶ場合もある。ただしこの場合の城塞はcitadelの意味ではない。
  3. ^ 城壁は仏:fr:muraille、rempart、英:city wall、独:Stadtmauer という。
  4. ^ なお、ラテン語で「tra」、フランス語で「tre」と記述されているものを英語に移入する場合は、「ter」とするのが典型的なパターンである。なお、イギリスはというのはノルマン人(=フランス西岸の民族)が支配し王となっていた歴史があるので、英語はフランス語起源の語彙が非常に多い。
  5. ^ 東ヨーロッパの境界あたりを移動していた遊牧民・狩猟民なども攻め入ってくる可能性があり、実際ヨーロッパはそうしたことを歴史上何度も経験しており、ヨーロッパ人にとっては常に心配の種で、おまけに13世紀には遥か彼方のモンゴルのチンギス・ハンやその子らの軍が地球を半周ほどもして怒涛の勢いでヨーロッパに迫った出来事があり、攻め入った村々の住民を大人だけでなく幼児・赤子まで情け容赦なく皆殺しにしてしまう この東アジアの民族の到来にヨーロッパの人々は心底震えあがり、その恐怖は彼らの心・文化に深く刻み込まれた。
  6. ^ ヨーロッパの城郭都市では、門限が定められていて、その時刻になると門扉が閉じられ、翌朝までは入ることができないとりきめになっていることが一般的であった。うっかり知り合いだからと扉を開けて、それが悪人にそそのかされたりして手先となった人で、悪人たちが複数名飛び込んできたりすると、もう都市を守ることができなくなってしまうからである。商人など離れた都市に仕事で出向く生活をする者、日中に外に遊びにゆく者たちもいたが、門限には注意を払う必要があり、遅刻してしまうと内側に入れてもらうことはできず、遅刻してしまった者は、門扉の近くの城壁ぎわなどでたき火などをしつつ、(それなりの金額のお金を持っている商人などは特に心細い想いをしながら)夜をすごす必要があった。17世紀や18世紀の作家が書いた文章などには、そうした状況の描写などが盛り込まれているものも結構あり、どうやら遅刻する者は日常的にいたようで、遅刻した者同士が夜通し語りあうことでひょんな縁が生まれる様子が描かれているものもある。
  7. ^ クヘンディズ コトバンク
  8. ^ IV. Türkiye Lisans Üstü Çalışmalar Kongresi: Bildiriler Kitabı - III”. Türkiye Lisansüstü Çalışmalar Kongresi(トルコ大学院研究会議?). 20220907閲覧。:145-153
  9. ^ 日本の「城」を意味する用語(:castle、:château、:Burg / Schloss など)は封建領主の居館を兼ねた軍事施設のことである。
  10. ^ 日本では、「城」という言葉は、城塞(citadel)に近い建築(城館)を指すことが多い。しかし、防衛施設の堀や柵や土塁を指して「城」と呼ぶ例もある。
  11. ^ a b 布野修司 traverse編集委員会(編)「作品としての都市:都市組織と建築」『建築学のすすめ』昭和堂 2015 ISBN 9784812215135 pp.197-198.
  12. ^ 赤星 1959
  13. ^ 赤星 1972
  14. ^ 「国指定史跡 名越切通」逗子市公式HP
  15. ^ a b 岡 2004 pp.41-64
  16. ^ 齋藤 2006 pp.184-185


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