北九州監禁殺人事件 当事者

北九州監禁殺人事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 13:07 UTC 版)

当事者

状況によって、Mを除く生存者・死亡者たちは加害者になったり、被害者になったりした。

生存者

  • A - 1984年生まれ。Mに虐待されて2002年に脱出した少女で、一連の事件解明における最重要証人の一人。Mの支配下の間は小学生時代からを飲まされ、夜中の4時頃に寝て朝7時に起こされて登校した学校で居眠りをし、貧血を起こしたり吐き気を催したり、生理が3ヶ月遅れ、クラスで2番目の高さだった身長がほとんど伸びなくなってクラスで2番目の低い身長になり、1997年から2000年までの中学生3年間は約180日欠席するなど、学校に通いながらも身体を含めて生活に悪影響が出ていた。MとBの子C・Dを含めた4人の子供の子守役をしていた。Bの長男Cの話によれば、Mがいない時にAはCたちに勉強を教えていたこともあったという。19歳時の2004年法廷で証言音声が流れたが、司法記者達は「19歳にしては幼い気がした」と語っている。報道機関や書籍では実名表記はされていない[注 2]。事件後は児童養護施設に送られ、そこで出会った男性と県外で結婚し、子供も二人生まれたという。
  • B - 1962年(昭和37年)2月25日生まれ[16]久留米市出身[16]。実家は農家で、父親は村議会議員を務める地元の名士。従順で没個性的。親からの束縛が厳しかったこともあり、学校の制服や髪型を全て規則通りにする真面目な性格だった。高校時代は男性と交際は無かった。短期大学を出て幼稚園教諭になる[17]。Mの内妻となり、1993年1月に長男Cを、1996年3月に次男Dをそれぞれ出産した。子供好きであったため、「どんなにひどい状況でも子供達に接している時だけ忘れられた」と語っていた[18]。しかし、逆に子供達の存在が、B一家の家族を脅す材料としてMに利用されるようになった。指名手配後にMの愛人を含めた他の人間に会う時は、Mの知人もしくは姉と名乗っていた。一連の事件解明における最重要証人の一人。Mからの虐待で喉を攻撃されて、40代ながら老婆のような声になり、通電で右足の小指と薬指が癒着し親指の肉が欠けていたことが明らかになっている[19]。7人の殺害の共犯としてMと共に逮捕され、裁判では無期懲役判決が確定し、長男CのYouTube動画によると、現在は麓刑務所に服役中である。
  • C - Bの長男。1993年1月24日生まれ。MがBを伴って逃亡中に2人の間に生まれた。Cの証言によると、彼と弟DもまたMから通電や食事制限等の虐待を受けていた。食事制限について、Aは「BとCは平素Mと同じように肉や魚や野菜を食べていた」と証言しているが、実際はMによって人々が2つのマンションに振り分けられてB親子3人とAが離れ離れになった時にCたちに食事制限が行われた可能性が高いと見られる。また、MはCとDの出生届を出していなかったため、Cは学校に通うことも出来ず、病院に行くこともできなかった。Mや指示を受けたBから度々通電を受けたり、Bから包丁を突き立てられたこともあり、そのためBに憎悪を燃やしている。また、Mに意思を抑圧されDを通電したり、逆に意思を抑圧されたDから通電を受けたりしたこともある。また、他人が通電を受ける場面を度々目撃したり、殺害された人々の死体遺棄に加担させられたりした。Aが逃亡して一連の事件が発覚後はDとともに児童養護施設に送られ、中2になるまでそこで過ごした。Aが逃亡したおかげで一連の事件が発覚し生き延びたため、Aにはとても感謝している。現在は学生時代の同級生の女性と結婚し、YouTubeアカウント「Mの息子」で様々な動画を配信している。
  • D - Bの次男。1996年5月29日[注 3]生まれ。健康体で生まれた。他の被害者たちと同じようにMやその指示を受けた者から度々虐待を受けたが、死亡せずに生存した。Cと同じように、出生届を出してもらえなかった。A・B・Cと共に生存し、現在兄Cとは時々連絡を取り合っている。

死亡者

  • E - Aの父で、元不動産会社勤務。1961年生でMやBと同学年。死亡した被害者であるが他の死亡者と異なり、報道機関では顔写真が非公開で実名表記が伏せられており、顔写真や実名表記は一部書籍のみとなっている[注 4]。1番目に死亡。
  • F - Bの父で、農協土地改良区副理事。1936年生。久留米市の集落一族の本家で、父方の祖父は村議会議員を務めるなど名家。兼業農家の傍ら、民間企業労組委員長を経て、農協の幹部になる。愛妻家[20]プライドが高く、心配性で世間体を気にするタイプの一方で我慢強く、痛くても口や顔に出さない性格。2番目に死亡。
  • G - Bの母で、主婦。Fより3歳年下。久留米の農家出身で、地元高校卒業後に夫の家に嫁入り。良妻賢母だが、気丈な性格である。Mと肉体関係を結んで人生が暗転。Mによる支配下で夫Fの死体処理に関与。3番目に死亡。
  • H - Bの妹で、1965年1月生。職業は歯科衛生士。同級生の友達と比較すると、真面目で親の前では大人しかったが、姉Bと比較すると親に隠れる場所では活発で遊び好きであった。また、結婚前に妊娠中絶経験をし、結婚後も職場不倫をするなど複数の男性と肉体関係があり、このことが夫Iとの夫婦仲を悪化させて事件が早期露見せずに一層深刻化させる要因の一つとなった。Mによる支配下における外出では、主に買い物役を担当。母Gの絞殺において足を押さえ関与し、2人の死体処理をした。4番目に死亡。
  • I - Hの夫(Bの義弟)。[注 5]。農協系土地改良区事務所職員。1959年4月生、久留米市出身で農家の次男。地元の高校卒業後に千葉県警察官になるも、父親の看病を機に退職して実家に戻って、義父Fが勤務する農協の職員となり、婿養子という形で1986年にHと結婚。気が優しく生真面目な性格。Mによる支配下における外出では、主に車の運転手役を担当。義母Gと妻Hの2人を絞殺し、3人の死体処理をした。5番目に死亡。
  • J - H夫婦の長女(Bの姪)で小学生。Bの家族と親しくなかったAは3歳年下で同性のJとは親しく、GLAYファンのAはSPEEDファンの彼女と流行歌について語り合った。弟Kを絞殺、母Hを絞殺の際に足を押さえることで殺害に関与し、5人の死体処理に関与。7番目に死亡。
  • K - H夫婦の長男(Bの甥)で保育園児。Bの家族の中で唯一通電を受けず、事件現場を直接目撃しなかった。6番目に死亡。

注釈

  1. ^ Mによると交際女性とその母親と同時に肉体関係を持つことは日常茶飯事という。また元妻の証言によるとMがスナックを経営する母娘双方に入れ込んでいた事例では、母娘双方ともMに入れ込んでいるとM自身が元妻に報告し、Mから「あなたは母が本気になっている相手だから、私は諦める」旨が書かれた娘からの手紙を元妻に見せている。
  2. ^ 豊田本では「服部恭子」、中尾本では「沙織」、新潮文庫では「美子」と仮名になっている。
  3. ^ 2022年11月27日以前は、同年3月22日生と記載。要出典。
  4. ^ 佐木本と新潮本では実名で、豊田本では「服部清志」、中尾本では「前島」と仮名になっている。
  5. ^ Bの家族の中で唯一、Bと血縁関係がない。Bより3歳年上である。
  6. ^ a b c Mが妻と離婚したのは数年後の1992年に相手側の調停によって行われたものであり、また離婚したMがBと結婚してBの家に婿養子入りすることはなかった。
  7. ^ 夫に対しては次女の養育費名目、実家に対しては再婚費用として。
  8. ^ Bの供述では「今までの迷惑料、Bが家に出てからの諸経費、Bの行動に関する補償金、BがGを小倉のマンションに呼んだ時に見つからないようにAを浴室に閉じ込めた際の慰謝料など」があった。
  9. ^ Hがトイレ使用の際はBが監視役だったが、H死亡前の時期にHにナプキンを渡したことは一度もなかったという。
  10. ^ Iのセックス問題について、Bは法廷で「Hは毎晩久留米から小倉に来ているため、朝になるのは仕方ないと思う」とIを擁護している。
  11. ^ Bはこの言葉を「殺すことに逆らえないのなら、自分の手で殺したほうがHのため」という悲壮な決意と受け止め、胸が詰まったという。
  12. ^ Bは裁判で「Mに意思を抑圧されていた」と主張するも退けられ、Mとの共謀を認定された。また、一審判決ではIについては「Mに逆らうことが難しかった」とされながらもM及びBと共謀したとされている。
  13. ^ Bは裁判で「Mに意思を抑圧されていた」と主張したが退けられ、Mとの共謀を認定された。
  14. ^ Bは裁判で「Mに意思を抑圧されていた」と主張したが退けられ、Mとの共謀を認定された。

出典

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