かい‐めつ〔クワイ‐〕【壊滅/潰滅】
全滅
壊滅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 19:09 UTC 版)
1548年(嘉靖27年)、浙江巡撫朱紈(中国語版、英語版)は、福建都指揮盧鏜(中国語版、英語版)に命じ、明軍を双嶼に攻め込ませた。双嶼の港口は木石によって塞がれ、町には火が放たれた。数百人のポルトガル人が殺害され、難を逃れた者たち(王直らも含む)は海上に逃れ去った。 のちにポルトガル人は広東省の澳門(マカオ)に移り、広東の官人の黙許のもとでマカオを拠点として貿易に携わることになる。
※この「壊滅」の解説は、「双嶼」の解説の一部です。
「壊滅」を含む「双嶼」の記事については、「双嶼」の概要を参照ください。
壊滅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 15:11 UTC 版)
「保守派」として知られるアンドレオッティ首相のモーロ元首相誘拐事件への関与が示すように、赤い旅団は1970年代後半に入ると、イタリア政界の保守派や「カモッラ」などのマフィアとの関係を深めて行き、「金のために動く腐敗した殺し屋集団」と揶揄されるようになっていった。それに合わせて政治家や企業経営者へのテロや誘拐、暗殺は行わなくなり、その代わりに警官や地方官僚などへターゲットを変えた。 また、モーロ元首相誘拐事件をきっかけに、イタリア政府が対テロ組織NOCS(Nucleo Operativo Centrale di Sicurezza、通称レザーヘッド)を編成し、赤い旅団への圧力を強めて行った。それらもあってか、赤い旅団は形勢がさらに不利となる。 1981年12月にはNATOの幕僚副長だったアメリカ陸軍のジェームス・ドジャー准将を誘拐するが、その42日後の1982年1月にはアジトを特定されNOCSが突入。准将を奪還された。その後も、1980年代半ばには組織の分裂や活動家の逮捕が相次いだ。1988年以降、赤い旅団は壊滅したと思われた。
※この「壊滅」の解説は、「赤い旅団」の解説の一部です。
「壊滅」を含む「赤い旅団」の記事については、「赤い旅団」の概要を参照ください。
壊滅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 06:52 UTC 版)
忠光は十津川に籠城し天険を頼りに決戦しようとするが、朝廷は十津川郷に忠光を逆賊とする令旨を下し、京都御所の警衛に当たっていた上平主税が帰郷してそれを伝えると、十津川郷士は天誅組からの離反を決し、天誅組と行動を共にしていた郷士は帰還した。郷士達は天誅組に同情したものの、郷内での戦闘を回避し村を守るため天誅組に十津川からの退去を求め、天誅組への協力を主導した野崎主計も責任を取って自刃した。15日、進退窮まった忠光は遂に天誅組の解散を命じた。 天誅組の残党は山中の難路を歩いて脱出を試みるが、重傷を負っていた吉村は一行から落伍してしまう。24日、忠光の一行は鷲尾峠を経た鷲家口(奈良県東吉野村)で紀州・彦根藩兵と遭遇。那須信吾、宍戸弥四郎は忠光を逃すべく決死隊を編成して敵陣に突入して討ち死にした。翌25日には一度は敵の包囲網を逃れていた藤本鉄石が鷲家口に引き返して紀州藩本陣に奇襲をかけ、壮絶な激闘の末に討ち死にし、同じ頃、負傷して失明していた松本奎堂は逃亡中に紀伊藩兵に発見されて自刃した。一行から遅れていた吉村は27日に鷲家谷で津藩兵に潜伏先を急襲され、銃殺。他の兵達も相次いで捕縛、自首、戦死するなどして天誅組は壊滅。辛うじて生き残った者は各自散り散りになって逃亡したものの、幕府軍による追討は徹底的に続けられ、その多くが戦死し、捕縛された者も後に京都六角獄で刑死した。既に離脱した水郡らの河内勢も逃げきれずに、紀州藩に自首。後に京都六角獄で斬首された。最終的に、忠光を護衛して大坂長州藩邸に辿り着いた池内蔵太や石田英吉、また高取城敗戦直後に離脱していた伊藤謙吉(三弥)、市川精一郎や、偵察として先行していた事で鷲家の包囲網を回避できた平岡鳩平などの僅かな者達だけが京、大坂などに逃れることができた。 忠光は、自分を含め7人だけとなった本隊で守られながら、辛うじて敵の重囲を掻い潜る事ができ、27日に大坂に到着して長州藩邸に匿われた。後に長州に逃れて下関に隠れていたが、禁門の変の後に長州藩の実権を握った恭順派(俗論党)によって元治元年(1864年)11月に絞殺された。 事件の後の文久3年(1863年)10月には、藤本、松本、吉村、那須、宍戸をはじめとする天誅組隊士13人の首が賊徒として京都・粟田口の刑場で晒されている。また、同月には平野国臣が但馬国生野で代官所を襲撃して挙兵するも、幕府軍の追討を受けて敗北している。(生野の変) 最終的に幕末・明治維新を生き延びる事ができた天誅組の隊士は平岡鳩平、石田英吉、伊藤三弥と、水郡英太郎(水郡善之祐の息子)をはじめとする河内勢の数人だけだった。
※この「壊滅」の解説は、「天誅組の変」の解説の一部です。
「壊滅」を含む「天誅組の変」の記事については、「天誅組の変」の概要を参照ください。
壊滅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 04:42 UTC 版)
「第21SS武装山岳師団」の記事における「壊滅」の解説
1945年5月にはオーストリアにまでたどり着き、ドイツ降伏まで戦いを行なった。師団は西側連合軍に降伏し、将兵は各自バラバラに逃走を図った。一部は一般人に溶け込むことができたが、残りのほとんどは、パルチザンに処刑された。 シュミットフーバー師団長は、1945年逮捕され、ユーゴスラビア当局に引き渡された。彼はベオグラードの軍事法廷において、非戦闘員に対する虐殺と残虐行為の罪で裁かれた。判決は絞首刑となり、1947年2月27日処刑が行なわれた。
※この「壊滅」の解説は、「第21SS武装山岳師団」の解説の一部です。
「壊滅」を含む「第21SS武装山岳師団」の記事については、「第21SS武装山岳師団」の概要を参照ください。
壊滅
「壊滅」の例文・使い方・用例・文例
- 壊滅的な地震
- 壊滅的な大打撃
- 彼が敵を壊滅状態にする
- 全ヨーロッパ海軍が私掠船を壊滅させようとした。
- 日本で起きた壊滅的な津波は巨大な海底地震によって引き起こされた。
- 喘息で壊滅的な変化の前兆となる自己組織化不均一性
- 壊滅的な地震が首都を襲った。
- 壊滅的な被害を防ぐために世界的な警戒を強化していく重要性を確認した。
- 都市はその地震で壊滅した。
- 壊滅そのものが豊かな生命を生む。
- 王は敵軍を壊滅させた。
- 汚染公害は地域の生態環境に壊滅的な影響を与える。
- もう一度嵐が来ていたら、私たちの村は壊滅していたでしょう。
- それは彼らの計画にとって壊滅的な打撃となった。
- この地域は壊滅的である。
- 火事で森林のほとんどが壊滅した.
- 壊滅的ダメージを与えるストライキ.
- ワープロはタイプライターに壊滅的打撃を与えている.
- スペインは無敵艦隊の壊滅後その勢力が衰えた.
- それは彼らの計画にとって壊滅的な打撃となった.
品詞の分類
- >> 「壊滅」を含む用語の索引
- 壊滅のページへのリンク