三省堂 大辞林 |
ひらの-くにおみ 【平野国臣】
ウィキペディア |
平野国臣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/01/08 13:42 UTC 版)
平野 国臣(ひらの くにおみ、文政11年3月29日(1828年5月12日) - 元治元年7月20日(1864年8月21日))は、日本の武士・福岡藩士、志士。大蔵氏の流れをくむ。通称は次郎、巳之吉。諱は種言、種徳。贈正四位。
攘夷派志士として奔走し、西郷隆盛ら薩摩藩士や真木和泉、清河八郎ら志士と親交をもち、討幕論を広めた。文久2年(1862年)、島津久光の上洛にあわせて挙兵をはかるが寺田屋事件で失敗し投獄される。出獄後の文久3年(1863年)に三条実美ら攘夷派公卿や真木和泉と大和行幸を画策するが八月十八日の政変で挫折。大和国での天誅組の挙兵に呼応する形で但馬国生野で挙兵するがまたも失敗に終わり捕えられた。身柄は京都所司代が管理する六角獄舎に預けられていたが、禁門の変の際に生じた火災を口実に殺害された。
固有名詞の分類
「平野国臣」の用例一覧