2017年衆議院議員選挙
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「菅野志桜里」の記事における「2017年衆議院議員選挙」の解説
2017年9月1日、民進党代表選挙が実施。前原誠司が枝野幸男を破り、代表に就任した。山尾は前原に投票した。9月2日、前原は都内のホテルで、代表選で自陣営の選対本部長を務めた大島敦、側近の小川淳也らとともに党執行部人事の検討に着手。代表代行に枝野と大島、幹事長に山尾を起用する方針を固め、同日午後、山尾にその旨を伝えた。 同年9月3日、前原の指示で、愛媛3区補欠選挙の民進党候補の白石洋一の事務所開きに出席(その後衆議院が解散したため補選は実施されず、48回総選挙に吸収された)。同日夜、山尾は都内で弁護士の倉持麟太郎といるところを写真に撮られ、「週刊文春」の取材を受けた。 同年9月4日昼、前原は大島や松野頼久らと会談した際、山尾の幹事長起用案に党内で反発が広がっていることを聞かされる。さらに「週刊誌が山尾と倉持との交際疑惑を取材している」との情報がもたらされ、同日午後、前原は自身の事務所に山尾を呼び、事情聴取した。山尾は倉持との関係を否定し、代表代行での執行部入りを強く求めた。前原は大島を幹事長に繰り上げ、山尾を代表代行に差し替える方針を立てた。 同年9月5日、朝日新聞朝刊が「前原代表が山尾幹事長の撤回を検討」と一面で報じた。同日午前、テレビ東京のニュース番組『Mプラス11』が「幹事長起用断念の理由は、私生活を巡るスキャンダル」とスクープした。守り切れないと判断した前原は、同日午後の民進党両院議員総会で、幹事長を大島とし、代表代行を枝野ひとりとする役員人事案を示し、了承された。 同年9月6日、週刊文春電子版は、「山尾志桜里がイケメン弁護士とお泊まり禁断愛」との見出しの記事を配信。山尾は過去に自由民主党の宮崎謙介が不倫騒動を引き起こした際、テレビ番組で宮崎を批判しており(宮崎は後に議員辞職)、また倉持の妻が実家で病気療養中だったことも顰蹙を買う要因に繋がった。 「#不倫騒動、政策顧問起用、議員パス不適切使用」も参照 同年9月7日夜、山尾は離党届を提出。提出後、国会内で記者会見し、関係各位へのお詫びの言葉を述べた。また、「臨時国会の場に、今回の混乱を持ち込むことは党にさらなる迷惑をかけると判断した」と離党を決めた理由について説明した。そして、週刊文春に掲載されたホテルへは1人で宿泊したと前置きした上で、「(倉持)弁護士には政策ブレーンとして具体的な政策の立案や質問などのお手伝いを頂いた。男女の関係はない」と説明した。しかし、記者からの質問を受け付けることなく会見は打ち切られた。 同年9月22日、愛知7区での支持者向けの集会で、第48回衆議院議員総選挙に無所属で立候補することを表明した。9月27日、日本共産党は愛知7区に公認候補を擁立しないと発表。民進党は山尾の無所属出馬表明の時点から、代表の前原誠司が「目指す社会像が一致している」として対抗馬を立てない意向を示していたが、10月4日、同党の玄葉光一郎総合選対本部長代行は、岡崎市を地盤とする衆議院議員の中根康浩に対し愛知7区の希望の党公認内定の連絡を密かに行った(中根は7区へ移ることを固辞した)。10月6日、連合愛知は民進党出身者14人を党派によらず支援する方針を決定したものの、山尾に対しては推薦を見送った。 同年10月22日に行われた総選挙で鈴木を834票差で破り、3選。
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2017年衆議院議員選挙
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「青山周平 (政治家)」の記事における「2017年衆議院議員選挙」の解説
2017年(平成29年)10月10日、第48回衆議院議員総選挙公示。重徳は希望の党から公認を受けられず、無所属で立候補。中根は比例区から希望の党単独24位で立候補したため、愛知12区は青山、重徳、共産党新人の3人の戦いとなった。 同年10月13日、14日、中日新聞社は、共同通信社の電話世論調査結果に取材を加味した愛知県内15選挙区の序盤情勢を発表。12区については「重徳が優位」と報じた。 同年10月22日、総選挙実施。小選挙区では重徳が早々と当選確実を決めた。比例東海ブロックの名簿と開票にそれぞれハプニングがあり、影響は青山にも及んだ。当初、比例東海ブロックでは立憲民主党は5議席を獲得するはずであった。ところが名簿に4人の名前しか残っていなかったため、同党は1議席分を自民党に譲渡。自民党への割り当ては7議席から8議席に増えた。さらにこの日は台風21号が本土を直撃。佐久島の投票箱を開票所へ運べず、西尾市だけ開票が23日午後6時15分に延期された。22日時点の青山の惜敗率は69.41%。自民党比例区の最後の一枠は、惜敗率71.945%の田畑毅か青山のどちらかという結果になった。23日午後9時半すぎに開票作業が終了。青山の惜敗率は70.067%で確定し、同時に落選も決まった。この年の総選挙から幸田町が愛知14区に移動し、愛知12区の有権者数は減少したものの、無所属で立候補した重徳は全国で4番目の得票数を獲得した。青山は愛知県下の15選挙区の自民党候補者中、唯一の落選者となった。 前回の敗戦の教訓から「露出を増やす」ことを目標に掲げた青山陣営であったが、戦略に変化は見られなかった。岡崎市議会の保守系議員の間で派閥抗争が進行しており、一体感を欠いていたことが指摘されている。また公明党の推薦を受けたものの、投票日に新聞社が行った出口調査で、公明支持層の4割弱が重徳に票を投じていたことが明らかとされた。一族が経営する幼稚園の教諭が粘着テープで園児の手足を縛ったり、口をふさいだりしていたことがこの年の4月に広く報じられ、そうした不祥事も選挙戦に影を落とした。なお比例復活で辛勝した田畑は、2019年(平成31年)2月に会社員女性への準強制性交と盗撮、未成年に対する淫行疑惑などが明らかとなり、同年3月1日付で議員辞職した。 2018年(平成30年)12月14日、比例東海ブロックの大見正衆議院議員が、任期満了による安城市長選挙に出馬する意向を正式に表明。大見は告示日となる2019年(平成31年)1月27日に立候補したことにより衆議院議員を退職(自動失職)し、2月4日の選挙会において青山の繰り上げ当選が決定。翌5日付で告示された。 2019年(令和元年)9月13日、 第4次安倍第2次改造内閣において、文部科学大臣政務官兼内閣府大臣政務官兼復興大臣政務官に就任。同年11月、青山は自身のTwitterに「仕事ができるよろこび」とツイートした。 2021年(令和3年)10月19日、第49回衆議院議員総選挙公示。愛知12区は日本共産党西三河地区委員会が候補者擁立を見送ったため、青山と立憲民主党公認の重徳の一騎打ちとなった。実際は共産党は「自主投票」だったにもかかわらず、青山陣営はイデオロギー的な市民感情を巧みに利用し、「重徳氏が共産党と連携した」と攻勢をかけた。10月27日、中日新聞社は、電話世論調査の結果に取材を加味した愛知県内15選挙区の情勢を発表。12区については「青山と重徳、接戦が続く」と報じ、青山がわずかにリードしている書き方をした。10月31日、投開票。重徳は小選挙区で勝利。青山は比例復活で4期目の当選を果たした。
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2017年衆議院議員選挙
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「菊田真紀子」の記事における「2017年衆議院議員選挙」の解説
2017年9月28日、民進党は第49回衆議院議員総選挙へ向けて、希望の党への合流を決定。9月29日、希望の党代表の小池百合子は「リベラル派排除」を宣言。記者団に「全員を受け入れるということはさらさらありません」と語る姿、記者会見でにこやかに「排除されない、ということはございませんで、排除いたします」と答える姿が何度もテレビに流れた。同日夜、菊田は三条市旭町で支持者らを集めて緊急集会を開催。小池を「腹の据わった政治家。原発ゼロを掲げ、自民党と決別する覚悟を示した」と高く評価したうえで「政権交代をやり遂げ、安倍晋三政権を終わらせるラストチャンスだ」と涙ながらに訴え、希望の党への公認申請に前向きな姿勢を見せた。 同年10月3日午前、枝野幸男らによって立憲民主党が設立される。同日、三条市内で記者会見を開き、希望の党にも立憲民主党にも公認を申請せず、無所属で衆院選に立候補する意向を表明。日本共産党は、新潟4区で公認していた候補者の擁立を取り下げて野党候補が菊田に一本化された。 同年10月22日、総選挙執行。候補の擁立を取りやめた共産党に加え、連合新潟や立正佼成会から幅広く支援を受けた菊田が自民党の金子恵美を破り、6選を果たした。金子は比例復活もかなわず、議席を失った。 同年10月26日、菊田を含む民進党籍を残したまま衆院選に無所属で出馬して当選した衆議院議員13人で院内会派「無所属の会」を結成。10月31日、「私は野党統一候補として当選した。一度リセットし、完全無所属でスタートを切りたい」として民進党に離党届を提出し、11月2日に離党が承認された。 2018年5月7日に無所属の会を退会し、10月10日には立憲民主党の院内会派である「立憲民主党・市民クラブ」に入会した(入党はせず)。 2020年9月15日、旧立憲民主党と旧国民民主党は、2つの無所属グループを加えた形で新「立憲民主党」を結成。菊田も新党に参加。新潟県内の野党系国会議員は全員が立憲民主党へ所属となった。
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2017年衆議院議員選挙
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「重徳和彦」の記事における「2017年衆議院議員選挙」の解説
2017年9月28日、衆議院解散。同日午後、民進党の前原誠司代表は両院議員総会で、希望の党への事実上の合流方針を提案し、了承された。同日、中日新聞社は中部地方の民進党衆議院議員19人に取材。重徳は「自分の思想信条にしっくりくる形だ」と回答し、希望の党からの立候補を望む意向を明らかにした。重徳の選対本部長として迎え入れられた中根康浩は同日夜の選対会議に出席。会議中、中根の携帯電話に民進党幹部から連絡が入り、比例単独1位の取り決めは反故にされた。 同年9月29日夕方、重徳は岡崎市内のホテルで政治資金パーティーを開催。パーティーに出席した前原は、参加者に対し「安倍首相の1強多弱を招いた多くの責任は民進党にある」と述べ、希望の党との合流に理解を求めた。希望の党の小池百合子代表は同日の記者会見で、安保法の容認や憲法改正などを新党への参加条件に打ち出し、従わない者は「排除する」と明言した。小池の政策に理解を示していた重徳はこの頃、「自動的に公認されてもいいぐらい」と考えていたという。 同年10月2日夜、前原は重徳に電話で「公認は出せない。無所属で出てくれ」と告げ態度を一変させた。重徳が理由を問いただすと前原は「『小池百合子代表と青山周平候補との関係がある』と小池さんサイドから言われたので」と答えた。青山に地盤を譲った杉浦正健と小池が旧知の仲であることはよく知られていた。都民ファーストの会が都議選で圧勝した直後の2017年8月、小池は政治団体「百乃会」を設立するが、代表と会計責任者に就いたのは杉浦であった。前原は民進党の常任幹事会において「全員が(希望の党)に行ける」と説明したものの、何事も「忖度」して人選を進める希望の党のやり方に抗う意志はなかった。 同年10月3日午前、枝野幸男らリベラル派の議員は新党「立憲民主党」を結党。同日午後、希望の党は衆院選の第1次公認192人を発表。リストに重徳の名はなかった。同日夜、中日新聞の取材に「2次公認が出るなら受けるが、出ないのであれば無所属で戦う」と答え、立憲民主党に行く考えはないことを明かした。民進党・希望の党幹部らから愛知12区や愛知7区からの出馬を打診されていた中根は、一時愛知7区への転身に食指を動かしたが、10月4日夜、関係者の説得により断念した。10月5日、岡崎市末広町に選挙事務所を開設。 同年10月6日、重徳は愛知県庁で会見し、無所属で出馬する意向を表明。同日、連合愛知は民進党分裂前に重徳に出した推薦を継続することを決定。連合愛知の土肥和則会長は岡崎市内で行われた総決起大会に駆け付けた。10月10日、第48回衆議院議員総選挙公示。希望の党はこの日の午後にようやく順位付きの比例名簿を発表した。中根は比例東海ブロック単独24位に選ばれた(投開票の結果落選)。10月22日の投開票の結果、青山を比例復活すら許さない大差で破り、3選を果たした。 同年10月26日、無所属で当選した岡田克也ら民進党系の議員13人は衆議院の新会派「無所属の会」を結成したが、重徳はこれに加わらなかった。
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2017年衆議院議員選挙
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「青山雅幸」の記事における「2017年衆議院議員選挙」の解説
2016年8月、次期衆院選の静岡1区の公認候補者を巡って、元衆議院議員の牧野聖修ら民進党静岡1区総支部役員は青山を推した。一方、同党県連は浜岡原発への姿勢などを理由に青山に難色を示し、元メリルリンチ日本証券社員の福村隆を推した。県連と対立した牧野は青山や第1区支部役員ら13名と共に離党した。同年11月28日、離党した県議や市議らは、反原発を掲げる政治団体「国民サイド」の結成集会を開き、静岡1区の出馬予定者として青山を紹介した。 無所属で出馬する予定の青山であったが、2017年10月2日、立憲民主党に参加する意向を表明した。希望の党は日本維新の会を離党した小池政就を擁立。10月4日、前述の福村は希望の党から公認を得るために静岡7区から出馬することを表明した。10月22日に行われた第48回衆議院議員総選挙に静岡1区から立憲民主党公認で出馬。得票数は3番目であったが比例復活で初当選を果たした。 当選直後の2017年10月26日、『週刊文春』11月2日号が発売。同号は同年夏まで青山の後援会事務所に勤めていた元女性秘書の証言を元に、青山のセクハラ疑惑を報道した。同日、立憲民主党は執行役員会を開き、青山の無期限の党員資格停止処分と会派入りを認めない方針を決めた。この影響で党静岡県連の設立が遅れていたが、2018年3月19日に設立され、日吉雄太が代表に就任した。立憲民主党は当初、青山の処分にあたって週刊誌報道のみを根拠とし、正式な調査は行っていなかったが、2018年5月に静岡市議らが元秘書とは別の女性支援者へのセクハラがあったと主張し党に調査と青山への辞職勧告を求めたため、翌6月に聞き取り調査を行った。 2018年10月18日、青山は冤罪を晴らすと主張し、その法的処理に時間がかかるため党に迷惑をかけるとして、離党届を提出し受理された(同日に日吉も離党)。議員辞職は否定した。 2020年2月19日、日本維新の会の院内会派に入会。これに伴い、維新は会派名を「日本維新の会・無所属の会」に変更した。
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