うまや‐じ〔‐ぢ〕【▽駅路】
えき‐ろ【駅路】
駅路
駅路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/10 15:50 UTC 版)
駅路(えきろ)とは、古代律令制において定められた駅使が通行する官道のこと。七道駅路(しちどうえきろ)ともよばれる。宿駅・駅馬(えきば/はゆま)が整備された(駅制)。中央もしくは国府が発給した駅鈴を携行する駅使のみが駅馬を用いることができた。
注釈
出典
- ^ 武部健一『完全踏査 古代の道』pp. 92–94
- ^ a b c 浅井建爾 2015, p. 110.
- ^ a b 武部健一 2015, p. 34.
- ^ a b c d 武部健一 2015, p. 47.
- ^ 武部健一 2015, pp. 35–36.
- ^ 武部健一 2015, pp. 50–53.
- ^ a b 浅井建爾 2015, p. 112.
- ^ 武部健一 2015, p. 53.
- ^ 浅井建爾 2015, p. 110–112.
- ^ 武部健一 2015, pp. 34, 45.
- ^ a b c 武部健一 2015, p. 45.
- ^ a b c d 浅井建爾 2001, p. 87.
- ^ 武部健一 2015, pp. 45–46.
- ^ 武部健一 2015, p. 35.
- ^ a b 浅井建爾 2015, p. 111.
- ^ 近江秀俊 2013, pp. 25–28.
- ^ a b c d 武部健一 2015, pp. 48–50.
- ^ a b c 武部健一 2015, p. 54.
- ^ 武部健一, p. 55.
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- ^ 武部健一 2015, pp. 41–44.
- ^ 武部健一 2015, p. 66.
- ^ 武部健一 2015, pp. 60–61.
- ^ a b 武部健一 2015, p. 61.
- ^ 武部健一 2015, p. 63.
- ^ 武部健一 2015, pp. 62–63.
- ^ 武部健一 2015, pp. 63–64.
- ^ 武部健一 2015, pp. 65–66.
- ^ a b 武部健一 2015, p. 68.
駅路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 12:33 UTC 版)
詳細は「駅路」を参照 駅路は、中央と各国の国府との間を馬を使って迅速な情報連絡を目的とした路線である。国府と国府との間は、途中に30里(約16 km)ごとに駅家が置かれ、それらは最短経路で直線的に結ばれた。律令の地方制度は五畿七道といい、中央である五畿と地方である七道から成っていたが、七道のそれぞれに駅路が引かれた。駅路は重要度に応じて、大路・中路・小路に区分され、当時、国内最重要路線だった中央と大宰府を結ぶ山陽道と西海道の一部が大路、中央と東国を結ぶ東海道・東山道が中路、それ以外が小路とされていた。駅家に置く馬(駅馬という)は、大路で20頭、中路で10頭、小路で5頭と定められており、使者が駅馬を利用するには、駅鈴が交付されている必要があった。 駅路は、重要な情報をいち早く中央-地方の間で伝達することを主目的としていたため、路線は直線的な形状を示し、旧来の集落・拠点とは無関係に路線が通り、道路幅も 9–12 m(場所によっては 20 m)と広く、中央と国府間を繋ぐ早馬を走らせる性格を色濃く持っていた。 実際に、古代駅路と高速道路の設定ルートや、駅家とインターチェンジの設定位置が、ほぼ同一となっている事例も多く見られる。 奈良時代最末期から平安時代初期にかけて、行政改革が精力的に行われたが、駅伝制においても駅家(うまや)や駅馬(えきば/はゆま)、伝馬の削減などが実施され、伝路は次第に駅路へ統合されていくこととなった。ただし、地域の実情と無関係に設置された駅路は次第に利用されることが少なくなり、従来の伝路を駅路として取り扱うことが多くなった。これに伴い、従来の駅路は廃絶していき、存続したとしても 6 m 幅に狭められることが多かった(広い幅員の道路を維持管理することには大きな負担が伴うからである)。 10世紀前期に編纂された延喜式には、駅路(七道)ごとに各駅名が記載されており、これを元に当時の駅路を大まかに復元することができる。しかし、駅伝制は急速に衰退していき、10世紀後期または11世紀初頭には、名実共に駅伝制も駅路も廃絶した。
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駅路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:52 UTC 版)
古代日本では、駅路という全長6,300kmにも及ぶ幅6-30mの直線的道路が本州をほぼ縦断して全国に作られ、沿線には「駅家(うまや)」という休憩・宿泊施設も作られていた。これは2021年(令和3年)現在の日本の高速道路網にも匹敵するものであるが、これだけの道路の建設にもかかわらず、どれだけ費用がかかり、誰が負担したかと言う事がわかっていない。当時の人口は500万人程度と推測されており、建設には長い歳月と膨大な労力が必要だったと考えられる。これらも九州倭国が、半島での戦争を遂行するために兵員の移動・物資の補給用に建設したものであると考えられる。
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