開館後(1992-1999)
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「名古屋都市センターまちづくりライブラリー」の記事における「開館後(1992-1999)」の解説
まちづくりライブラリーの蔵書数年 冊 1992 7,139 1993 10,807 1994 13,140 1995 15,640 1996 18,440 1997 20,909 1998 23,541 1999 26,017 まちづくりライブラリーの貸出数年 冊 1992 - 1993 841 1994 636 1995 718 1996 745 1997 610 1998 726 1999 15,702 名古屋都市センター事務所の隣にある約90m2の部屋が図書館にあてがわれ、名古屋都市センター自体の設立から1年後の1992年(平成4年)4月1日、まちづくりライブラリーが開館した。 開館時の蔵書数は7,139点であり、内訳は和書が3,233点、研究機関等が1,246点、行政資料が2,660点、雑誌タイトル数は40誌だった。全国の都市に寄贈依頼をした戦災復興関係資料が約200点、名古屋市の計画局から引き継がれた田淵文庫が約30冊、大学教員からの寄贈書が約1,800点、名古屋市の行政局別の資料が約1,500点、国や他都市の資料が約700点であり、新規に購入した図書が約2,500冊である。 開館年には全国の図書館・資料室・情報管理室部門などで構成される専門図書館協議会に加盟して交流や連携を進めている。開館翌年の1993年には841人の利用者があり、428冊が館外貸出された。移転前年の1998年には726人の利用者があり、1,067冊が館外貸出された。1997年5月の調査によると、利用者の職種別内訳は学生が26.6%、会社員が25.3%、名古屋市職員が20.5%、その他公務員が6.3%などだった。
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開館後(1995-)
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「川上村文化センター図書館」の記事における「開館後(1995-)」の解説
1995年(平成7年)10月1日、川上村文化センターが開館し、図書館と「24時間図書館」も同時に開館した。川上村文化センターの延床面積は4,163.89m2で、図書館のほか298席のホール、郷土資料展示室などが設けられた。開館当初、図書館長は文化センター長を兼務し、司書1人と臨時職員1人の計3人で図書館が運営され、24時間図書館部分を除き図書約18,000冊、雑誌50誌、CD・LD約500枚を所蔵していた。開館から3か月間の利用者数は3,320人、貸出点数は8,296点であった(24時間図書館部分を除く)。開館時から貸し出し・検索システムにコンピュータを導入し、利用者用端末を5台設置していた。開館当初は職員数が少なく、日常業務をこなすのが精一杯という状況で、図書館行事の開催や図書館だよりの発行まで手が回らなかったといい、多忙の際には文化センターの職員も業務に駆り出されていた。 2014年(平成26年)1月に図書館システムを変更し、すべての図書にICタグを導入、通常の図書館カードと夜間図書館用カードの2枚に分かれていた図書館利用カードをICカード化することで1つに統合した。
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開館後(2004-)
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「桑名市立中央図書館」の記事における「開館後(2004-)」の解説
2002年(平成14年)7月に工事に着手、2004年(平成16年)7月に工事が完了した。そして2004年(平成16年)10月1日に開館。開館から1か月の入館者数は82,378人で旧館時代の4倍を記録した。1年目は見物を兼ねた入館者が多かったため、翌2005年(平成17年)度の入館者数は前年比10.1%減となった。 2005年(平成17年)度より「桑名市図書館を使った調べる学習コンクール」を開始、翌2006年(平成18年)度より「昭和の記憶」事業を始めた。2013年(平成25年)10月から2015年(平成27年)9月まで、「10年ありがとうイベント」と称して記念事業を開催した。 2017年(平成29年)11月以降、蔵書を破り表紙だけを書架に残して持ち去られるという事件が起きており、12月17日までに6冊が被害に遭った。図書館側は警告文の館内掲示や巡回強化で警戒に当たるとともに桑名警察署に被害届を提出している。
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開館後(1987-)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 10:22 UTC 版)
上述のように図書館設置の下準備を整えた津市は、1987年(昭和62年)8月に約8万冊を保有する津市図書館を、同年5月に竣工した津リージョンプラザ内に開館した。開館当時の津市図書館は当時の津市民だけでなく、周辺市町村の住民も利用対象とする広域図書館としての役割を担っていた。ところが津市図書館の後を追うように周辺市町村でも市町村立図書館の開館が相次いだため、軌道修正が検討されるようになっていった。 1994年(平成6年)度の蔵書数は229,000冊、貸出冊数は74万冊であった。これまでは三重県立図書館が広明町にあり津市図書館とは近接し、協力関係にあったが、1994年(平成6年)10月に県立図書館は郊外の三重県総合文化センターへ移転したため、津市図書館は独立運営を模索することとなった。その結果、高度な専門書の収集は県立図書館に任せ、津図書館では日常的に利用する図書の収集に徹することとした。また津市内の学校図書館の司書の研修も担っている。
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開館後(2004-)
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「ゆうき図書館」の記事における「開館後(2004-)」の解説
2004年(平成16年)5月15日、結城市民情報センターの完成式が挙行され、同時にゆうき図書館も開館し、名誉館長に新川和江が就任した。総工費は約47億円であった。蔵書管理にICタグを導入したのは、同年4月23日に開館した笠間市立図書館(現・笠間市立笠間図書館)に次いで茨城県で2番目であった。開館にあたって図書館として特別な宣伝を行ったわけではなかったが、各種マスメディアで取り上げられたこともあり、開館から1年で100団体1,600人超の視察・見学者を集め、一般の入館者数は40万人を突破した。図書館を利用した経験のなかった結城市民の中には、利用方法が分からなかったり、職員に意味不明な質問を投げかけたりするなど、戸惑う人も多かったという。2004年(平成16年)9月3日、ブックスタート事業を開始した。 開館から1年後の利用登録者数は約13,000人で、うち2,000人ほどが結城市外の住民であった。貸し出しに住所要件を設けなかったことから、市外の貸出利用者は栃木県小山市から千葉県まで幅広くなった。蔵書数は11万7千冊でうち1万冊は公民館図書分室から引き継いだものであった。 2005年(平成19年)8月、図書館が所蔵する雑誌の紹介を目的としてブログを開設、2007年(平成19年)には「ゆうき図書館Webサービス勉強会」を立ち上げ公共図書館におけるウェブサービスの提供を推進し始めた。2009年(平成21年)2月14日に第1回新川和江賞の表彰式を挙行、以後毎年2月中旬に表彰を行うようになる。 2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震では、結城市結城で震度5強を観測し、ゆうき図書館では火災報知器の誤作動による火災発生を告げるアナウンスが流れた。幸い来館者・職員ともに怪我人はなかったが、結城市民情報センター全体の休館を即決した。図書館では開架室で公開する図書の8割が落下し、3階ギャラリーのガラス扉が倒れた図書の重みに耐えきれずに割れる被害が発生した。翌3月12日より再開に向けた作業を開始した一方で、余震が続いたためすぐ書架に資料を戻すことはせず、書架の前に本を並べ、余震の回数が減るのを待つという作戦を執った。また震災をきっかけに書架を低くする作業を並行して行った。こうした被害状況や復旧作業の情報は順次写真付きでインターネットで公開を続け、4月1日に図書館を再開し、「災害と対策」と題した企画展示を行ったほか、震災に関する情報を発信しているウェブサイト一覧を紙媒体で配布した。同年10月1日、ギャラリー2で「多田富雄コレクション」の公開を開始し、2015年(平成27年)3月27日に多田富雄資料室を設置した。2015年(平成27年)9月4日より、常陽銀行の寄贈を受けて「読書履歴プリントシステム」(読書通帳)の運用を開始した。 2014年(平成26年)4月1日より、結城市民情報センターの運営に指定管理者制度が導入され、公益財団法人結城市文化・スポーツ振興事業団の運営に移行した。この時点ではゆうき図書館は市の直営が維持されたが、結城市民情報センターの第2期指定管理においてゆうき図書館を含めることとなったため、2017年(平成29年)4月1日より、ゆうき図書館も結城市文化・スポーツ振興事業団の運営となった。
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開館後(2004-)
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「山中湖情報創造館」の記事における「開館後(2004-)」の解説
2004年(平成16年)4月21日に完成式を挙行し、同年4月25日午前9時30分に日本初の指定管理者制度導入図書館として開館した。建設費は331,019,976円であった。開館当時の職員は館長を含めて8人で、うち司書資格保持者が5人、デジタルライブラリアン資格保持者1人であった。指定管理期間が3年であったため、職員は全員契約職員で、1 - 3年の契約であった。館長の小林は無給であった。 開館1年目の実績は、開館日数347日、蔵書数29,161冊、貸出冊数42,373冊で村民1人当たり7.2冊借りている計算になった。2005年(平成17年)8月5日には指定管理者制度を考えるフォーラムを地域資料デジタル化研究会と山梨学院大学生涯学習センターの共同で開催した。不明本は6冊であったが、指定管理者が弁償したため不明率は0%だった。2007年(平成19年)度には開館日数348日、蔵書数42,310冊、貸出冊数58,389冊で村民1人当たり9.85冊借りている計算になった。 2014年(平成26年)10月からは日本電子図書館サービスによる実証実験として電子図書館サービスの提供を開始した。2015年(平成27年)6月からガイスター・カルカソンヌなどボードゲームの貸し出しを開始し、月に1度の「ボードゲームの日」も始めた。同年8月14日には日本国内の公共図書館で2番目に3Dプリンターを導入、8月22日にはロボットのPepperが「職員」になった。来館者の対応や図書館でのイベントへの参加を行っている。
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開館後(2016年11月〜)
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「すみだ北斎美術館」の記事における「開館後(2016年11月〜)」の解説
2016年11月29日、すみだトリフォニーホールにて開館記念コンサートが開催された。「『すみだ北斎美術館』開館記念コンサートwith新日本フィル 河竹黙阿弥生誕200年&ウィリアム・シェイクスピア没後400年 尾上菊之助《歌舞伎とシェイクスピアの音楽》」と題し、尾上菊之助が新日本フィルとともに出演した。 開館半年後の2017年4月29日に当初の想定年間来館者数だった20万人を達成した。その後、9月8日に30万人、2018年7月31日に50万人を達成した。 2018年度には、日本建設業連合会が主催する第59回BCS賞を受賞した
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