開館後とは? わかりやすく解説

開館後(1992-1999)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/09 13:47 UTC 版)

名古屋都市センターまちづくりライブラリー」の記事における「開館後(1992-1999)」の解説

まちづくりライブラリー蔵書数年 冊 1992   7,139 1993   10,807 1994   13,140 1995   15,640 1996   18,440 1997   20,909 1998   23,541 1999   26,017 まちづくりライブラリー貸出数年1992   - 1993   841 1994   636 1995   718 1996   745 1997   610 1998   726 1999   15,702 名古屋都市センター事務所の隣にある約90m2の部屋図書館あてがわれ名古屋都市センター自体設立から1年後1992年平成4年4月1日まちづくりライブラリー開館した開館時蔵書数は7,139点であり、内訳和書が3,233点、研究機関等が1,246点、行政資料が2,660点、雑誌タイトル数は40誌だった。全国都市寄贈依頼をした戦災復興関係資料が約200点、名古屋市計画局から引き継がれ田淵文庫が約30冊、大学教員からの寄贈書が約1,800点、名古屋市行政局別の資料が約1,500点、国や他都市資料が約700点であり、新規に購入した図書が約2,500冊である。 開館年には全国図書館・資料室情報管理部門などで構成される専門図書館協議会加盟して交流連携進めている。開館翌年1993年には841人の利用者があり、428冊が館外貸出された。移転前年1998年には726人の利用者があり、1,067冊が館外貸出された。1997年5月調査によると、利用者職種内訳学生が26.6%、会社員が25.3%、名古屋市職員が20.5%、その他公務員が6.3%などだった。

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開館後(1995-)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/25 14:18 UTC 版)

川上村文化センター図書館」の記事における「開館後(1995-)」の解説

1995年平成7年10月1日川上村文化センター開館し図書館と「24時間図書館」も同時に開館した川上村文化センター延床面積は4,163.89m2で、図書館のほか298席のホール郷土資料展示室など設けられた。開館当初図書館長は文化センター長を兼務し司書1人臨時職員1人の計3人で図書館運営され24時間図書館部分を除き図書18,000冊、雑誌50誌、CDLD500所蔵していた。開館から3か月間の利用者数は3,320人、貸出点数は8,296であった24時間図書館部分を除く)。開館時から貸し出し検索システムコンピュータ導入し利用者端末を5台設置していた。開館当初職員数少なく日常業務をこなすのが精一杯という状況で、図書館行事開催図書館だよりの発行まで手が回らなかったといい、多忙の際には文化センター職員業務駆り出されていた。 2014年平成26年1月図書館システム変更しすべての図書ICタグ導入通常の図書館カード夜間図書館カード2枚分かれていた図書館利用カードICカード化することで1つ統合した

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開館後(2004-)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/31 16:49 UTC 版)

桑名市立中央図書館」の記事における「開館後(2004-)」の解説

2002年平成14年7月工事着手2004年平成16年7月工事完了した。そして2004年平成16年10月1日開館開館から1か月入館者数82,378人で旧館時代の4倍を記録した1年目見物兼ねた入館者が多かったため、翌2005年平成17年)度の入館者数前年比10.1%減となった2005年平成17年)度より「桑名市図書館を使った調べる学習コンクール」を開始、翌2006年平成18年)度より「昭和記憶事業始めた2013年平成25年10月から2015年平成27年9月まで、「10年ありがとイベント」と称して記念事業開催した2017年平成29年11月以降蔵書破り表紙だけを書架残して持ち去られという事件が起きており、12月17日までに6冊が被害遭った図書館側は警告文の館内掲示巡回強化警戒に当たるとともに桑名警察署被害届提出している。

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開館後(1987-)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 10:22 UTC 版)

津市図書館」の記事における「開館後(1987-)」の解説

上述のように図書館設置下準備整えた津市は、1987年昭和62年8月に約8冊を保有する津市図書館を、同年5月竣工した津リージョンプラザ内に開館した開館当時津市図書館当時津市民だけでなく、周辺市町村住民利用対象とする広域図書館として役割担っていた。ところが津市図書館後を追うように周辺市町村でも市町村立図書館開館相次いだため、軌道修正検討されるようになっていった。 1994年平成6年)度の蔵書数229,000冊、貸出冊数74であったこれまで三重県立図書館広明町にあり津市図書館とは近接し協力関係にあったが、1994年平成6年10月県立図書館郊外三重県総合文化センター移転したため、津市図書館独立運営模索することとなったその結果、高度な専門書収集県立図書館任せ津図書館では日常的に利用する図書収集徹することとした。また津市内の学校図書館の司書研修担っている

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開館後(2004-)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/04 04:24 UTC 版)

ゆうき図書館」の記事における「開館後(2004-)」の解説

2004年平成16年5月15日結城市民情報センター完成式が挙行され同時にゆうき図書館開館し名誉館長新川和江就任した総工費は約47億円であった蔵書管理ICタグ導入したのは、同年4月23日開館した笠間市図書館(現・笠間市笠間図書館)に次いで茨城県2番であった開館にあたって図書館として特別な宣伝行ったわけではなかったが、各種マスメディア取り上げられたこともあり、開館から1年100団体1,600人超の視察見学者集め一般入館者数40万人突破した図書館利用した経験のなかった結城市民の中には利用方法が分からなかったり、職員意味不明質問投げかけたりするなど、戸惑う人も多かったという。2004年平成16年9月3日ブックスタート事業開始した開館から1年後利用登録者数は約13,000人で、うち2,000人ほどが結城市外の住民であった貸し出し住所要件設けなかったことから、市外貸出利用者栃木県小山市から千葉県まで幅広くなった。蔵書数117千冊でうち1万冊は公民館図書分室から引き継いだものであった2005年平成19年8月図書館所蔵する雑誌紹介目的としてブログ開設2007年平成19年)には「ゆうき図書館Webサービス勉強会」を立ち上げ公共図書館におけるウェブサービスの提供を推進し始めた2009年平成21年2月14日第1回新川和江賞表彰式挙行以後毎年2月中旬表彰を行うようになる2011年平成23年3月11日発生した東北地方太平洋沖地震では、結城市結城震度5強を観測しゆうき図書館では火災報知器誤作動による火災発生告げアナウンス流れた。幸い来館者・職員ともに怪我人はなかったが、結城市民情報センター全体休館即決した図書館では開架室で公開する図書の8割が落下し3階ギャラリーガラス扉が倒れた図書重みに耐えきれずに割れ被害発生した。翌3月12日より再開向けた作業開始した一方で余震続いたためすぐ書架資料を戻すことはせず、書架前に本を並べ余震回数が減るのを待つという作戦を執った。また震災きっかけ書架低くする作業並行して行ったこうした被害状況復旧作業情報順次写真付きインターネット公開続け4月1日図書館再開し、「災害対策」と題した企画展示行ったほか、震災に関する情報発信しているウェブサイト一覧を紙媒体配布した同年10月1日ギャラリー2で「多田富雄コレクション」の公開開始し2015年平成27年3月27日多田富雄資料室設置した2015年平成27年9月4日より、常陽銀行寄贈受けて読書履歴プリントシステム」(読書通帳)の運用開始した2014年平成26年4月1日より、結城市民情報センター運営指定管理者制度導入され公益財団法人結城市文化・スポーツ振興事業団運営移行した。この時点ではゆうき図書館は市の直営維持されたが、結城市民情報センター第2期指定管理においてゆうき図書館含めることとなったため、2017年平成29年4月1日より、ゆうき図書館結城市文化・スポーツ振興事業団運営となった

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開館後(2004-)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 06:32 UTC 版)

山中湖情報創造館」の記事における「開館後(2004-)」の解説

2004年平成16年4月21日完成式を挙行し、同年4月25日午前9時30分に日本初指定管理者制度導入図書館として開館した建設費331,019,976円であった開館当時職員館長含めて8人で、うち司書資格保持者が5人、デジタルライブラリアン資格保持1人であった指定管理期間が3年であったため、職員全員契約職員で、1 - 3年契約であった館長小林無給であった開館1年目実績は、開館日347日、蔵書数29,161冊、貸出冊数42,373冊で村民1人当たり7.2冊借りている計算になった2005年平成17年8月5日には指定管理者制度考えフォーラム地域資料デジタル化研究会山梨学院大学生涯学習センター共同開催した不明本は6冊であったが、指定管理者弁償したため不明率は0%だった。2007年平成19年)度には開館日348日、蔵書数42,310冊、貸出冊数58,389冊で村民1人当たり9.85冊借りている計算になった2014年平成26年10月からは日本電子図書館サービスによる実証実験として電子図書館サービスの提供開始した2015年平成27年6月からガイスター・カルカソンヌなどボードゲーム貸し出し開始し、月に1度の「ボードゲームの日」も始めた同年8月14日には日本国内公共図書館2番目に3Dプリンター導入8月22日にはロボットPepperが「職員になった来館者の対応や図書館でのイベントへの参加行っている。

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開館後(2016年11月〜)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:19 UTC 版)

すみだ北斎美術館」の記事における「開館後(2016年11月〜)」の解説

2016年11月29日すみだトリフォニーホールにて開館記念コンサート開催された。「『すみだ北斎美術館開館記念コンサートwith新日本フィル 河竹黙阿弥生誕200年ウィリアム・シェイクスピア没後400年 尾上菊之助歌舞伎シェイクスピア音楽》」と題し尾上菊之助新日本フィルとともに出演した開館半年後の2017年4月29日当初想定年間来館者数だった20万人達成したその後9月8日30万人2018年7月31日50万人達成した2018年度には、日本建設業連合会主催する第59回BCS賞受賞した

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