郷土資料
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一般的に郷土とは自治体区分よりも広い範囲を指すことが多く、郡、律令国、都道府県、地方など、指す範囲はまちまちである。公共図書館はその地域の専門図書館の側面を有するため、丹念に郷土資料を収集してレファレンスサービスを提供する義務があるとされる。従来は郷土資料と地域資料が同義語として扱われていたが、今日では郷土資料は地域資料の一部であるとする考え方が一般的であり、郷土資料と地方行政資料の総称が地域資料であるとされる。
- 1 郷土資料とは
- 2 郷土資料の概要
郷土資料
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/29 08:48 UTC 版)
.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{text-align:left;background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;text-align:center}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{text-align:center}} 4階の郷土資料室 多治見レトロ写真の展示 郷土の古文書などの歴史資料の保存と利用のために、4階には郷土資料室を設置している。中日新聞岐阜県内版を1944年(昭和19年)分から永年保存している。郷土史に関するレファレンスへの対応も郷土資料室で行っている。多治見市図書館は2008年度(平成20年度)から西浦家文書の調査を行っており、地元の専門家らによる調査を実施している。 地元の高齢者や陶磁器製造販売関係者に対して、昔の暮らしや陶磁器産業などについて聞き取り調査を行っている。1975年(昭和50年)頃には多治見市が石造物調査を行ったが、その補足調査を行っている。多治見市文化財保護センターと共同で自社の棟札調査を行っている。文化財保護センターと共同では市内にある長福寺の軸物の調査も行っている。博物館・資料館・研究者・メディアなどに対する資料の貸出や提供なども行っており、また古文書などの解読調査や共同調査を行うこともある。 1976年(昭和51年)から1987年(昭和62年)に刊行された『多治見市史』の編纂時に収集した、明治時代から昭和時代の写真約3万点を保存している。これらの古写真をパネル化して「多治見レトロ写真」と名付け、2014年度(平成26年度)から高齢者福祉施設などに貸出している。 多治見市在住の高校教員からの寄付を基に収集した資料で、1999年(平成11年)3月に水野千鶴子文庫が設置された。図書1,918冊と加藤助三郎家文書からなる。辞書・事典・図鑑・図録などの参考図書、生活・文化・学術を後世に伝えると書、陶磁器に関する図書、多治見市の郷土資料を収集している。図書の一部と加藤助三郎家文書は郷土資料室で保管している。「陶器将軍」とも呼ばれた加藤が創刊した『陶器商報』を所蔵しているが、『陶器商報』をある程度まとめて所蔵している図書館は珍しく、研究者の注目を集めている。
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郷土資料
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県立金沢文庫が収集した郷土資料として、金沢八景や神奈川県下の名所絵、県下でおこった出来事を描いた歴史絵、横浜絵などの浮世絵がある。金沢北条氏とゆかりのある吉田兼好、『徒然草』関係のコレクションなどもある。
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郷土資料
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岡崎市ゆかりの人物の郷土資料が充実しており、徳川家康(岡崎出身の武将)、菅江真澄(岡崎で活躍した国学者)、鶴田卓池(岡崎出身の俳人)の3人については個別の文庫が設置されている。2008年に岡崎市図書館交流プラザが開館すると、これらの特殊文庫は「岡崎学」コーナーに設置されている。 1965年(昭和40年)には「家康公350年祭」を記念し、岡崎ロータリークラブからの寄付金を元に家康文庫を設置。ロータリークラブからはその後も毎年寄付を受け、家康文庫を拡張させていった。1975年度(昭和50年度)末の家康文庫は663点だったが、2007年度(平成19年度)末には2,744点、2014年(平成26年)時点では約3,900点となっている。直接家康に言及している文献以外にも、家康が生きた時代などに関する幅広い分野の文献を揃えている。1986年(昭和61年)には郷土史家の内田武志から菅江真澄に関する文献の寄贈を受け、1987年(昭和62年)から複製製本した菅江文庫として公開している。さらには同年に寄贈または寄託された鶴田卓池に関する文献を中心として、鶴田文庫として書籍・短冊・軸物・粉本・屏風など265点の資料を所蔵している。 岡崎市図書館交流プラザ内には歴史資料展示室「岡崎むかし館」がある。小中学生の郷土学習に重点を置いており、岡崎出身の偉人、岡崎の歴史、岡崎の文化をまとめている。
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郷土資料
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郷土資料の修復作業にあたった岩手県立図書館 郷土資料の修復作業にあたった東京都立中央図書館 貴重本庫以外の資料はすべて流出したと思われていたが、実際には自衛隊が約2万冊の児童書・小説・郷土資料を車庫に集めており、地元住民によっても集められていた。2011年11月には東京都のNPO団体が車庫の郷土資料を発見し、日本図書館協会を通じた情報提供と資料救済の協力を申し出る。その後、陸前高田市教育委員会が岩手県立図書館に救済を要請し、岩手県立図書館、国立国会図書館、日本図書館協会が協力して資料の捜索や修復などを行った。 2012年3月17日から19日には、これらの機関が陸前高田市立図書館で捜索と仕分けを行い(第1期)、約500点の資料を救出した。6月3日から5日には岩手県立図書館で資料の応急処置やクリーニングを実施(第2期)。国立国会図書館や日本図書館協会の専門家に加え、富士大学・盛岡大学・岩手大学の教職員や学生などもこれらの作業に加わった。再入手が困難な259点について岩手県立図書館が応急処置を行い、8月からはうち62点のデジタル撮影を行った。2013年8月には陸前高田市立図書館の要請によって、62点のうち再入手できなかった51点の書物が9月に東京都立中央図書館の資料保全室に運ばれた。 東京都立中央図書館の資料保全室は、資料修復を専門とする日本の公立図書館唯一の部署である。撮影、解体、ドライクリーニング、消毒、洗浄、乾燥・平滑化、補修、再製本の順に、1年半かけて修復作業を行った末に、2015年3月20日に仮設図書館に返還された。書物の返還に先立ち、東京都立中央図書館では2月20日から3月11日まで「大津波からよみがえった郷土の宝 - 陸前高田市立図書館 郷土資料の修復展 -」を開催している。2013年8月には関係者などによって発掘されていた83点を追加で受け入れ、2016年末までの予定で修復作業を行っている。 2013年3月18日には、陸前高田市内にある岩手県立高田高等学校図書室の被災資料の救済作業を盛岡大学が開始している。
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