言語・文学とは? わかりやすく解説

言語・文学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 00:46 UTC 版)

ボヘミア王国」の記事における「言語・文学」の解説

1918年チェコスロヴァキア独立以前ボヘミア長きにわたりハプスブルク帝国支配下にあったため、ボヘミア文学チェコ語歴史チェコ民族独自性守ろうとする運動深く関連している。 ボヘミアでは1097年ラテン語書き言葉として導入されたが、次第チェコ語置き換えられていった。最も早い時期チェコ語文献13世紀プシェミスル朝宮廷文書で、讃美歌主だった14世紀になると聖人伝伝説英雄譚年代記騎士道ロマンスなどのチェコ語韻文作品登場したこうした文学作品で特に早期成立した作品1つとして、フランスで書かれラテン語詩をもとにしたアレクサンドロス大王伝記がある。1350年ごろから散文登場し始める。当初聖人伝年代記用いられ形式だったが、次第大衆的な中世物語散文書かれるようになった14世紀末には、風刺韻文教訓詩、またスミル・フラシュカのノヴァー・ラダ(新たなる評議会のような政治風刺文学生まれた。これはボヘミア王対し貴族権利を守るため執筆されたものである15世紀初頭ヤン・フスによるボヘミア宗教改革始まり宗教改革者たちは2世紀に及ぶカトリック教会神聖ローマ皇帝との闘争突入した。この時代宗旨論争改革派内部抗争結果実用的な分野においてもチェコ語による筆記促進された。フス自身チェコ語説教行い、『ボヘミア語の正書法について』(ラテン語: De orthographia Bohemica)と題した論文執筆してチェコ語表記法改革訴えたとされる彼の後継者1人であるペトル・ヘルチツキーはより急進的な論文書いて同胞団発端となり、この後2世紀にわたり重要なチェコ語文学輩出していくモラヴィア兄弟団原型作った16世紀ボヘミア文学は、ルネサンス期ヒューマニズム影響受けた教訓書や学術論文中心となった1579年から1593年の間には、同胞団学者たちがチェコ語翻訳聖書(クラリッス聖書)を制作し、これが古典的チェコ語原型となった1620年ハプスブルク家ボヘミアプロテスタント打倒しボヘミア貴族駆逐されたのち、ボヘミアにはチェコ語知識乏しドイツ人貴族入ってきた。これまでの2世紀の間に培われたチェコ語伝統ハプスブルク家の支配下で否定され国外亡命したチェコ人のみがボヘミア文学存続させていた。こうした亡命チェコ人で特に重要なのが、教育学者として知られるヤン・アーモス・コメンスキーヨハネス・アモス・コメニウス)である。彼が1631年著した地上迷宮と心の楽園』(チェコ語: Labyrint světa a ráj srdce)は、チェコ語による散文としては偉大な作品1つ数えられている。しかし18世紀までに、チェコ語文学において使われなくなっていった。 18世紀後半歴史主義懐古主義風潮生まれ多くチェコ人学者たちがボヘミア古文学歴史研究するようになった。さらに、マリア・テレジアによるハプスブルク帝国中央集権政策反対してボヘミア愛国主義勃興した。この2つロマン主義的な現象結果として19世紀前半チェコ民族復活運動生まれた。またこの頃社会的・経済的な発展進んだボヘミアでは中流階級拡大しボヘミア文学読者層増えることになった。 チェコ・ロマン主義学術・文学両面によって弾みがついた。ヨセフ・ドブロフスキーはチェコ語書き言葉研究し、再体系化した。ヨセフ・ユングマン翻訳文学発展させることで、チェコ語語彙拡張改新するとともに1835年から1839年にかけてチェコ語ドイツ語辞書編纂したモラヴィアでも、歴史家フランティシェク・パラツキースロヴァキア人考古学者パヴェル・ヨセフ・シャファジクらがチェコ語復興取り組んだスロヴァキア人のヤン・コラールは、チェコ語風刺的なソネット連作スラヴの娘』(チェコ語: Slávy dcera)を書いた。これは復興チェコ語最初重要な文学作品である。 チェコ・ロマン主義時代の、そしてチェコ文学史上最大詩人カレル・ヒネク・マーハである。1836年抒情詩五月』(チェコ語: Máj)にはジョージ・ゴードン・バイロンウォルター・スコット、ポーランド・ロマン主義影響みられるが、マーハ強烈な詩的ビジョン完璧な言語使用によってこれらの先駆者超越している。1840年代になると、ロマン主義対抗する動き出てくる。政治ジャーナリストカレル・ハヴリーチェク・ボロフスキー小説家ボジェナ・ニェムツォヴァーらはより政問題関心寄せチェコ語日常会話導入することでチェコ伝統の復興図った19世紀後半リベラル現実主義的ナショナリズムチェコ文学浸透させよう試みる「五月グループ」が登場した代表的な作家としては、詩人短編作家ヤン・ネルダ小説家カロリナ・スヴェトラー、詩人ヴィーテェツラフ・ハーレクなどがいる。 1870年代までに詩や小説分野チェコ語確立されたが、演劇はそれらに後れを取っていた。チェコ語文学分野はルミル派とルフ派の2つ集約され前者チェコ文学ヨーロッパ化する必要性説いたが、後者チェコ本来の伝統重きを置いた。エミル・フリーダ(仮名ヤロスラフ・ヴルヒツキー)はチェコ文学史で最も多作人物の1人で、コスモポリタニズム的な潮流牽引した。彼は熟達したチェコ語抒情詩生み出していった。彼の作品各国語翻訳されヨーロッパじゅうの作家影響与えた。ユリウス・ゼヴェルの短編にもコスモポリタニズム思想うかがえる。この時代民族主義的文学者としてはスヴァトプルク・チェフが挙げられる。彼は歴史的な叙事詩再構成してのどかなチェコ人の生活を描き実利主義的なチェコ人中産階級風刺した19世紀後半チェコ文学は、歴史小説家のアロイス・イラーセクやジクムンド・ヴィンターにみられるような現実的な記述主流となった。彼らはチェコの歴史理想化して描いていたが、その細部には学術研究成果反映されていた。イラーセクは自分時代まで至る全チェコ史小説描き、その中にはフス派時代1780年以降民族復活時代含まれていた。19世紀末、詩の分野ではオタカル・ブジェジナ(仮名ヴァーツラフ・イェバヴィー)、ペトル・ベズルチ(仮名ヴラディミール・ヴァシェク)らによる新潮流が生まれた。ブジェジナは繊細独創的な言葉自分信条語り彼の韻律は後のチェコ詩歌大きな影響与えた

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