第一巻「表象としての世界の第一考察」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/11 08:17 UTC 版)
「意志と表象としての世界」の記事における「第一巻「表象としての世界の第一考察」」の解説
~根拠の原理に従う表象、すなわち経験と科学との客観~ 第1節 世界はわたしの表象である。 第2節 主観と客観は直かに境界を接している。 第3節 根拠の原理の一形態としての時間。 世界は夢に似て、マーヤーのヴェールに蔽われている。 第4節 物質とは働きであり、因果性である。 直観能力としての悟性。 第5節 外界の実在性に関するばかげた論争。 夢と実生活との間に明確な目じるしはあるだろうか。 第6節 身体は直接の客観である。すべての動物は悟性をもち、動機に基づいた運動をするが、理性をもつのは人間のみである。理性を惑わすのは誤謬、悟性を惑わすのは仮象である。とくに仮象の実例。 第7節 われわれの哲学は主観や客観を起点とせず、表象を起点としている。全世界の存在は最初の認識する生物の出現に依存している。シェリング批判、唯物論批判、フィヒテ批判。 第8節 理性は人間に思慮を与えるとともに誤謬をもたらす。人間と動物の相違。言葉、行動。 第9節 概念の範囲と組み合わせ。論理学について。 第10節 理性が知と科学を基礎づける。 第11節 感情について。 第12節 理性は認識を確実にし、伝達を可能にするが、理性は悟性の直観的な活動の障害にあることがある。 第13節 笑いについて。 第14節 一般に科学は推論や証明ではなしに、直観的な明証を土台にしている。 第15節 数学も論理的な証明にではなく、直観的な明証に基づく。ユークリッド批判。理性を惑わす誤謬の実例。哲学とは世界の忠実な模写であるというベーコンの言葉。 第16節 カントの実践理性への疑問。理性は善に結びつくだけではなく悪にも結びつく。ストアの倫理学吟味。 ショーペンハウアーは、世界はわたしの表象であるという。このことは、いかなる客観であっても主観による制約を受けていることを示している。 ショーペンハウアーが本書の序論とみなしている博士論文「根拠律の四つの根について」においては以下の4類に分かたれている。先天的な時間空間、ないしは「存在 (essendi) の根拠(充足理由律)」 原因と結果の法則、あるいは「生成 (fiendi) の根拠」 概念論理的判断、ないしは「認識 (cognoscendi) の根拠」 行為の動機づけの法則、ないしは「行為 (agendi) の根拠」
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