【空中給油】(くうちゅうきゅうゆ)
航空機が基地、飛行場、航空母艦に着陸・着艦せず、空中で飛行を続けたまま燃料の補給を受けること。
実質的な航続距離と作戦行動半径を飛躍的に伸ばし、CAPや訓練の高効率化、奥地侵攻等が可能となる。
また、燃料切れによる墜落が予想される場合の救助・事故予防にも使われる。
ただし、給油機は航空優勢が確保されていない危険空域ではほとんど運用できない。
このため、最終的な作戦行動範囲は機体本来の航続距離性能に大きく依存する。
空中給油機には、主として旅客機・貨物機・輸送機・戦略爆撃機や早期警戒機などをベースにした機体(KC-135、K1トライスター、KC-10、KC-767等)が用いられる。
この他、F/A-18やS-3・A-6・トーネード等、既存の戦闘機・攻撃機(マルチロールファイター)の一部には、「バディシステム」などと呼ばれる給油用ポッドを取り付け、僚機に燃料を供給できるようにしたものもある。
関連:空中加油機 空中における航空機に対する給油機能及び国際協力活動にも利用できる輸送機能を有する航空機
略史
空中給油は1923年にアメリカ陸軍航空隊が初めて実験を行って以来、各国で研究が進められていた。
この当時の空中給油は給油機からホースを垂らし、被給油機の後部座席に乗る乗員がこれをキャッチして給油口に差し込むものだった。
しかし、この方式ではプロペラにホースが絡む危険性があり、実用には至らなかった。
第二次世界大戦以降、ジェットエンジンが戦闘機の主流となってから研究は加速。
朝鮮戦争期(1950年代前半)に基礎的な技術が確立され、以降、寄生戦闘機方式から急速に移り変わっていった。
現在では、大きく分けてフライングブーム式とプローブ&ドローグ式の二つが採用されている。
(初期の空中給油試験。八八式偵察機)
空中給油
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/23 09:28 UTC 版)
空中給油(くうちゅうきゅうゆ、英語: aerial refueling)とは、飛行中の航空機に他の航空機から給油を行うこと。専門用語としては In-Flight Refueling (IFR) や Air-to-Air Refueling (AAR) と呼ばれる。軍事目的での飛行で行なわれることが多い。
注釈
- ^ またベトナム戦争中、地上基地からの運用を行っていたアメリカ海兵隊でも、A-4攻撃機が最大ペイロードで離陸できないという問題に対して、燃料をやや減らした状態で離陸した上で、離陸後にKC-130Fからの空中給油によって補うという運用を行っていた[4]。
- ^ 1953年9月23日、北大西洋での演習中、アメリカ海軍・カナダ海軍の航空機42機が、空母から発進したのち霧のため着艦不能に陥り、奇跡的に霧の谷間が発生するまで緊急着水を覚悟するという事態が発生しており、空中給油の必要性が強く意識された[6]。
- ^ アメリカ航空宇宙局(NASA)が行ったAAR研究の一環として、給油時に自動で機体を制御する研究が行われ、F/A-18の改造機で実地テストも実施した[7]。
- ^ アメリカ空軍でも、フライングブーム方式が実用化されるまではこちらの方式を用いていた[2]。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k Clancy 1997, pp. 243–256.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 稲葉 2021.
- ^ a b c d e May 2004.
- ^ a b c d e f g Tokunaga 2021.
- ^ 陸軍機が滞空時間百五十時間の新記録『東京日日新聞』昭和4年1月9日(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p8 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ a b c d 徳永 2021.
- ^ Refueling Store on F/A-18 for AAR Project - NASA
- ^ a b 白井 2021.
- ^ a b c d e f g h 江畑 1988, pp. 297–300.
- ^ 坪田 2006.
空中給油
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 07:45 UTC 版)
フォークランド紛争の終結後、バルカンは空軍から退役することになっていた。しかし、第57飛行隊の解散とロッキード社製トライスター給油機の有用な運用が遅れ、ブラック・バック作戦において複雑な空中給油に成功したことから、バルカンは空中給油機として運用が続けられることになった。 臨時の処置として、6機のバルカン B.2の胴体後部上にHDU (Hose drum unit) ボックスを付け加える改修がなされた。粗雑な改修であったが、ECMは取り除かれ、HDUボックスとその他の追加装備が機能を補完した。 1982年6月23日、最初のバルカン (XH561号機) がウォディントン空軍基地へ送られた。1982年から1984年までバルカン K.2として第50飛行隊で運用された。さらに少数機が燃料積載量を増強するため、爆弾倉に燃料タンクを設けられ、総燃料積載量は45,000 kgとなった。
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空中給油
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 00:35 UTC 版)
「F/A-18E/F (航空機)」の記事における「空中給油」の解説
退役したKA-6DやS-3Bの代替として空中給油機の役割も果たせるようになっている。 プローブアンドドローグ方式が採用されており、"aerial refueling system"(ARS、空中給油システム)と呼ばれるポットを装着することで内部タンクと増槽4本あわせて最大29,000ポンド(13トン)の燃料を搭載することができる。
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空中給油
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1951年8月1日、第307空中給油飛行大隊がこの航空団に配属された。それはKB-29給油機を1952年6月16日に退役するまで運用した。 第6空中給油飛行大隊は、KC-135A航空機の初期モデルを運用し、1958年1月3日から1967年1月25日までウォーカー空軍基地に隷属された。1960年2月3日に、「ショートテイル」(非油圧援用方向舵)のKC-135Aが強く激しい横風の中での離陸のあいだに墜落した。パイロットは方向制御を維持できなくなり、あまりに早くにこの航空機を5-10ノットで回転させた。航空機は滑走路の土のエプロン上へと突っ込み、二つのエンジンを落とし、駐機エリアを押し分けて行き、そして格納庫の中で止まった。この単発の墜落は三機のKC-135航空機の破壊と8人の軍隊員の死という結果になった。 1965年6月25日、第310空中給油飛行大隊がこの航空団に配属された。それは1967年1月25日に基地が閉鎖されてこのユニットがニューヨーク州プラッツバーグ空軍基地へと移動するまで、KC-135A航空機を運用した。
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空中給油
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「MiG-29 (航空機)」の記事における「空中給油」の解説
空中給油プローブについては開発時や製造当初には装備されていなかったが、冷戦終結後は運用柔軟性の向上や、輸出商戦におけるライバルであるF-16やミラージュ2000に対抗する意味合いも兼ねて空中給油の能力を備えるようになった。
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