水戸徳川家時代とは? わかりやすく解説

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水戸徳川家時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 21:51 UTC 版)

水戸藩」の記事における「水戸徳川家時代」の解説

水戸徳川家」も参照 頼宣のあとに、頼宣の同母弟である家康十一男で当時6歳鶴千代徳川頼房)が下総下妻藩より25万石入った。頼房以降藩主家水戸徳川家と呼ぶ。頼房も頼宣と同様に幼少年時は水戸に赴かず駿府江戸にあり、1619年初め水戸に入る。1622年、3万石加増され28万石となる。のち3代藩主綱條時代1701年新田開発の分を含めるとして表高35万石改めたが、この高直しはかなり無理があったようである。 水戸藩徳川御三家中でも唯一参勤交代行わない江戸定府の藩であり、万が一変事備えて将軍目代役目受け持っていたともいわれている。そのため、水戸藩主領地不在のまま統治を行わねばならず、物価の高い江戸生活、江戸領地家臣二重化などを強いられた上、格式優先して実態伴わない石直し表高改訂)を行ったため、内高表高恒常的に下回っていた。幕府対す軍役表高基礎計算され何事も35万石格式持って行う必要性があったため、財政難喘ぐこととなった。 頼房は事情により三男光圀継嗣とし、長男松平頼重讃岐高松藩12万石与えられた。光圀学問好み、『大日本史』の編纂開始し水戸藩尊王気風植え付けた水戸藩生まれた水戸学幕末尊皇攘夷運動に強い影響与えた3代藩主綱條は、宝永2年浪人松波勘十郎登用して財政改革実施したが、宝永6年1709年)の百姓一揆3000人もの百姓江戸へ出て様々な集団的示威行動取ったため、やむなく年貢増徴撤回松波罷免行い改革挫折した宝永改革失敗し4代藩主宗堯が短い期間の統治没し5代藩主宗翰が幼少水戸藩継承したおりには、8代将軍徳川吉宗により付家老中山信昌ほかの水戸家重臣呼び出され幼君の輔育と一和忠勤直接命じられた。さらに、吉宗以降御三家幕府による統制強化される中、寛延2年には、御連枝支藩藩主)の松平頼寛陸奥守山藩)と松平頼済常陸府中藩)が老中堀田正亮の役邸に呼び出され財政改革実施命じられた。このため宗翰は宝暦の改革呼ばれる藩政改革実施し太田資胤命じて財政再建進めたが、宝暦6年に資胤が致仕すると頓挫した安永7年には、幕府が再び水戸藩家老直接細かい指示与えて財政再建命じた6代藩主治保は幕命に従って倹約努め藩主就任以来24年ぶりにお国入り果たし寛政の改革乗り出したが、天明の大飢饉によって財政はさらに悪化した尾張藩紀州藩藩主血統断絶幕府からの財政援助独立志向附家老による幕府統制への迎合などにより、御三卿将軍家から藩主迎えたのに対し水戸藩では支藩からの養子により藩祖血統守った継嗣なく死去した8代藩主斉脩の後継問題では、清水家から恒之丞(徳川斉彊)を養子迎えようとする派閥と、藤田幽谷門人らを中心とした藩祖血統維持派が対立し、斉脩の三弟である斉昭が家督継いだ。 9代藩主斉昭は藩政改革幕政への参加志し藤田派を中心に人材登用を行うとともに、藩内の保守派中心となり幕府との連携果たそうとする付家老勢力削ぐため、一般家臣と同じ知行制組み込んだ財政圧迫した藩主付家老江戸定府制度についても、1年ごとの交代制改めた教育改革についても弘道館建設して整備行い水戸学藩論に強い影響与えることになった。しかし、強い尊王攘夷傾向のため幕府疎まれ長男の慶篤に家督譲って隠居余儀なくされた。また斉昭は、財政難の中で新規召し抱え行ったため、藩財政窮乏極めた。斉昭の隠居後には改革派藤田東湖らも免職蟄居となった10代藩主となった慶篤は、3連枝高松藩松平頼胤守山藩松平頼誠府中藩松平頼縄)の後見のもとで藩政行った。なお、15代将徳川慶喜は慶篤の実弟であるが、御三卿一つ一橋家継いでから将軍になった。斉昭には他にも多く男子があり、親藩外様問わず多くの藩に養子出されている。 水戸藩幕末には斉昭が存在感示したものの、藩内では保守派諸生党)と改革派天狗党)の抗争から統制失い藩士による桜田門外の変天狗党の乱弘道館戦争を招くとともに藩論統一財政難克服することができず、幕末政局主導権を握ることができなかった。 水戸藩領は廃藩置県により、水戸県経て茨城県編入された。

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