こうどう‐かん〔コウダウクワン〕【弘道館】
弘道館
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弘道館(こうどうかん)は、江戸時代後期に日本の常陸国水戸藩に作られた藩校。所在地は、茨城県水戸市三の丸1丁目6番内。
- ^ 旧弘道館
- ^ a b “弘道館記碑の修復完了 東日本大震災で崩壊”. 『茨城新聞』. (2013年11月19日) 2013年11月19日閲覧。
- ^ 「水戸・弘道館の北柵御門が復元 見学会に120人超参加」日本経済新聞ニュースサイト(2019年12月19日)2020年10月8日閲覧
- ^ “文化庁報道資料 2015年4月24日「日本遺産(Japan Heritage)」の認定結果及びロゴマークの発表”. 2016年1月22日閲覧。
- ^ “文化庁ホームページ/日本遺産/近世日本の教育遺産 ―学ぶ心・礼節の本源―”. 2016年1月23日閲覧。
- ^ 『弘道館資料輯』北沢 彦一、1972年、13頁。
- ^ 『近世日本の学問・教育と水戸藩 ―世界遺産暫定一覧表記載資産候補「近世の教育資産」に係る平成21年度調査・研究報告書ー』水戸市教育委員会、2010年、76-77頁。
- ^ 弘道館公園 茨城県営都市公園オフィシャルサイトによる。しかし、改暦のため「明治5年12月8日」は存在しない。1872年12月8日は明治5年11月8日であり、明治5年12月8日となるはずであった日は明治6年(1873年)1月6日となった。
- ^ 『水戸市史 中巻(五)』瀬谷義彦、1990年、790-791頁。
- ^ 鈴木暎一『「五浦論叢」分冊・歴史編 3 水戸弘道館小史』茨城大学五浦美術文化研究所、2003年、132-133頁。
- ^ 鈴木暎一『「五浦論叢」分冊・歴史編 3 水戸弘道館小史』茨城大学五浦美術文化研究所、1990年、21頁。
- ^ a b c 関弧円『弘道館と偕楽園』茨城県観光協会、1962年、68-73頁。
- ^ a b c 関孤圓『梅と歴史に薫る 水戸の心』川又書店、1969年、148-159頁。
- ^ a b c 水戸市教育委員会事務局 文化課 世界遺産推進室『近世日本の学問・教育と水戸学』水戸市、2011年、144-148頁。
- ^ 水戸史学会『水戸の道しるべ』展転社、1993年、80-81頁。
- ^ 水戸市『広報みと』2009年6月1日(15頁)
- ^ 伊藤寅八郎『弘道館建学の精神』茨城県教育界出版、1999年、9頁。
- ^ 松崎睦生『水戸の梅と弘道館』暁印書館、1984年、27頁。
- ^ 水戸史学会編『水戸の道しるべ』展転社、1980年、83頁。
- ^ 松崎睦生『水戸の梅と弘道館』暁印書館、1984年、252頁。
- ^ 小圷のり子「弘道館・偕楽園の被災と復旧への歩み」(PDF)『茨城史林』第36号、103-108頁、ISSN 0913-7238。
- ^ 水戸史学会『水戸の道しるべ』展転社、1980年、82頁。
- ^ 名越漠然『水戸弘道館大観』常陸書房、1981年、125頁。
- ^ 松崎睦生『水戸の梅と弘道館』暁印書館、1984年、254頁。
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