格式
FIAやJAFの規定により開催されるレースやラリーにおいて、参加マシンの種類やドライバーのライセンスの種類を規定する取り決めのこと。ちなみに、F1やWRCは国際格式となるが、以下、準国際、国内、準国内、地方、クローズドなどに分類される。
格式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/09 04:38 UTC 版)
格式(きゃくしき)とは、律令の補完のために出された法令あるいはそれらをまとめた法令集のことを指す。格(きゃく)は律令の修正・補足のための法令(副法)と詔勅を指し、式(しき/のり)は律令の施行細則を指した[1][2]。
- ^ 唐の律令には律を「生刑定罪」・令を「設範立制」・格を「禁違正邪」・式を「軌物程事」と定義し、日本の弘仁格式の序文に「律は懲粛を以って宗とし、令は勧誡を以って本とし、格はすなわち時を図って制を立て、式はすなわち闕を補って遺を拾う、四者あいまって範を垂るるに足る」と記載されて以来こうした解釈が一般的であるが、同序文には重ねて「過去の法令の中で個々に発令されてきた単行法令の中で奉勅を得たもの及び事の旨がやや大きいために(今回の編纂に際して)改めて奉勅を得たものを格に置き、それ以外の恒例とするに足りるものを式に採り入れた」と記しているなど定義づけに混乱も見られる、このため同一の法令を「格」と呼んだり「式」と呼んだりする例も存在している。
- ^ 『八幡宇佐宮御託宣集』
- ^ a b c 早川(1995)p.286-289
- ^ a b c 川尻(2002)p.111-112
- ^ 坂上(2001)p。202-204
- ^ 「弘仁格式」序
格式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/29 00:07 UTC 版)
附家老とされるが、越前家の家臣、つまり陪臣である。 だが本多家は諸大名並に参勤交代を行い、家康直々に行列時の装備としての長刀携帯を許可され、関所を駕籠に乗ったままの通行許可などの特例を与えられ、参府の年には将軍に直接拝謁し、江戸城においては柳の間(中堅大名・高家並)に席次、諸大名並に江戸に屋敷がそれぞれ与えられ、将軍家の慶弔行事にも諸大名と並んで参加するなど、常に大名としての格式を与えられていた。陪臣ながら、慶長16年(1611年)3月には従五位下を授爵した。 これは富正死後も続けられ、越前府中本多家は明治維新を迎えるが、陪臣ということで旧大名としての待遇は受けることができず、本多家は華族ではなく士族とされた。これを不服とした旧家臣・旧領民らによって武生騒動が勃発した。武生騒動は多くの処罰者を出したが、それらの運動の結果本多家は改めて華族に列せられ、男爵となった。
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格・式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 15:59 UTC 版)
その後、9世紀の前期から中期にかけて、律令制を再整備しようとする動きが活発となる。律令の修正法である格(きゃく)と律令格の施行細則である式(しき)が、大宝律令の施行以後、多く残されていたが、820年にそれらを集成した弘仁格式が編纂された。更に830年には、天長格式が撰修され、834年には令の官製逐条解説である『令義解』(りょうのぎげ)が施行された。これらは、律令制の実質を維持していこうとする意思の表れだった。しかし、律令制の弛緩、換言すれば別の統治体制への移行は、時代を追うたびに進展し、特に班田制の崩壊が著しかった。こうした状況下で、870年前後に貞観格式が編纂・頒布されるとともに、868年には、律令条文の多様な解釈を集成した私的律令解説本の『令集解』(りょうのしゅうげ)が惟宗直本により記された。 10世紀には、最後の格式となる延喜式が編纂された。しかし、律令制はこの時期にほぼ実態を失ってしまう。多くの論者が、律令制は遅くとも10世紀末までに死滅したとしている。律令制に基づく律令国家から請負統治に依拠する王朝国家(前期王朝国家)へ転換したとする見解が広範な支持を得ている。ただし、律令制の死滅は、律令もしくは律令法の死滅を必ずしも意味していないので、律令の名目上の完全な終焉時期も重要であるが、制度としての律令制が崩壊したことに注意する必要がある。11世紀以降も、律令の一部の条文は効力を保持していたからである。そして、後醍醐天皇の建武の新政のように、律令制への回帰を求める動きも少なからず何度も出現していた。しかしながら、律令制の根幹を成す王土王民思想や一君万民思想は武家政治の根幹を成す封建的君主制とは相容れない存在であり、建武の新政は謂わば時代遅れの政治体制であったことは否めなくなっていた。 律令の中には明治維新まで有効とされていたものもある。例として太政官制があり、1885年(明治18年)に廃止されるまで続いた。
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格式
「格式」の例文・使い方・用例・文例
- 死に関してもアメリカ人は全く格式ばらず実際的な国民だ.
- 彼は格式相当の生活をしている
- 緊張したか格式ばった空気をリラックスさせる発端
- 献納式よりも格式ばっていない形態(文学の作品)での演説
- 特に厳粛で入念または格式のある方法で行われる活動のどれか
- それを受ける人に特別の優雅さを与える格式のある宗教儀式
- 伝統に縛られ、または厳格に格式ばった
- 格式張っていないであるか自然な
- 格式ばった彼の言葉によって他人が彼を緊密に注目するようになった
- 他人の妻に対する格式張らない言葉
- 家の格式
- 格式のよい家系
- 江戸吉原で,最も格式高い遊女屋
- 格式という,身分的な決まり
- 格式という,律令時代の法令
- 格式にとらわれて態度や行動が固苦しくなる
- 格式の高い歌
- 優雅で格式の高い音楽
- 国主大名という,大名の格式
- 国主大名という格式の大名
格式と同じ種類の言葉
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