御附家老
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御附家老(おつけがろう)は、江戸幕府初期、将軍家の連枝を大名として取り立てた際に、特に将軍から直接の命令を受けてその者の家老に附属された家臣のことをいう。江戸時代には、将軍から附けられたことから「御附家老」と呼ばれたが、現在では単に附家老(つけがろう)ということが多い。多い場合は十数人付けられたらしいが、通常はそのうちの筆頭家老を指す。附家老家の中でも徳川御三家の筆頭附家老5家が特に知られている。
- 1 御附家老とは
- 2 御附家老の概要
付家老
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分家した家に本家より監視・監督する役割を担って配された家老を付家老と呼ぶ。付家老は、本藩(本家)と支藩(分家)の両方から家禄を受けている場合と、出仕先の支藩からのみ家禄を受けて、支藩に次第に取り込まれていった場合とがある。 将軍家から御三家に遣わされていた付家老は、幕府と藩の双方から家禄を受けていた。尾張藩成瀬氏や、紀伊藩水野氏及び安藤氏のように、城主となり官位、官職を受けていた付家老もいた。これらは、家老と言えど大名と同等の格式を与えられ、主家の参勤交代随伴時においても大名並みの格式と威光を放ったとされる。なお、水戸藩の中山家や尾張藩の成瀬家などの『五家』は大名への昇格、独立を画策して連携するようになる。 御三卿付きの家老は、御三卿が将軍家の家族という扱いであったため、江戸城留守居と並ぶ将軍家旗本の最高の役職とされたが、3,000石級以下の旗本で有能な者が任じられることも珍しくなかった。
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