機関車の塗装と外観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 01:09 UTC 版)
「サザン・パシフィック鉄道」の記事における「機関車の塗装と外観」の解説
他の多くの鉄道会社と同様に、20世紀を通じてサザン・パシフィック鉄道はほとんどの蒸気機関車を黒く塗っていたが、1930年代から視認性のために機関車の煙室前部をほとんど白に見えるライトシルバー、側面を黒で塗装するようになった。 機関車が復元されるにつれて、パシフィック(車軸配置4-6-2)の機関車のボイラーは、ダークグリーンに塗られていたことを示す証拠が見つかるようになった。またカームバッハ出版2007年の「スティーム・グローリー2」(Steam Glory 2) という本では「サザン・パシフィック鉄道の塗装された車両群」(Southern Pacific's Painted Ladies) という記事があり、1940年代から1950年代に掛けてのカラー写真で、通常旅客ターミナルに配置されていた多くの車軸配置0-6-0の入換機関車が、運転台の屋根と扉を赤、煙室の前と側面を青白いシルバー、ボイラーをダークグリーン、黒い運転台に多色のサザン・パシフィック鉄道の紋章、シリンダーカバーを緑、細かい部品に色差しがなされた塗装になっていたことを示している。少なくとも、こうした塗装がなされた旅客用機関車が存在していたか、少なくともダークグリーンのボイラーの機関車があったと思われる。記事によれば、こうした塗装はしばらくの間続けられたもので、イベントに際して用いられた特別塗装ではなかった。 急行旅客機関車の中には、その牽引する列車名に「デイライト」という言葉が入っていたことから、デイライト塗装と呼ばれる色になっていたものがあった。この塗装はテンダーに適用されており、明るいほとんどオレンジ色に近い赤が上部と下部の3分の1に塗られ、中央の3分の1が明るいオレンジであった。これらの色の間に幅の狭い白い帯が巻かれていた。機関車までこうした色が伸びているものもあった。もっとも有名なデイライト塗装の機関車はGS-4形であった。デイライト塗装の機関車が牽引した有名な列車は「コースト・デイライト」や「サンセット・リミテッド」がある。 サザン・パシフィック鉄道は独特のキャブ・フォワード型蒸気機関車を運用していたことで知られる。通常の蒸気機関車とは逆向きに運転台(キャブ)を前側(フォワード)にして走るように設計された機関車で、煙室の側にテンダーを連結し、さらにその後ろに客車や貨車を連結した。サザン・パシフィック鉄道では山岳地帯に数多くのスノーシェッドを設置しており、天井に当たった煙が運転台に吹き返してきて機関士がほとんど窒息することが度々あった。そのため、多くの機関士が機関車を逆向きに連結してテンダーを先頭にした列車を走らせるようになったが、視界が悪く高速運行にも支障があった。そこでサザン・パシフィック鉄道の依頼を受けてボールドウィン・ロコモティブ・ワークスが製造したのが、一連のキャブ・フォワード型の機関車である。 いずれも駆動装置を片側2基ずつ備えた車軸配置2-8-8-2(先輪1軸、動輪4軸・4軸、従輪1軸)の「MC型」(MC-2, 4, 6 の各型式と、元は前煙室型であったがキャブ・フォワード型に改装され「MC-2型」に編入された「MC-1型」の、計49輌。MC-3,5の両型式は欠番。1936年までにスクラップになった「MC-2型」の2輌以外はさらなる改装を受けてAC-1型(元MC-1,2), 2型(元MC-4), 3型(元MC-6)の各型式に改編された。)と、4-8-8-2の「AC型」(AC-4型-8型, 10型-12型の、計195輌。ライマ製・車軸配置2-8-8-4のMC-9型は前煙室型なので除外)。の、合計234輌が製造された。北アメリカでキャブ・フォワード型を発注した鉄道会社は他になく、サザン・パシフィック鉄道の独特な特徴となった。最後に製造された「MC-12型」4294号機がサクラメントにあるカリフォルニア州鉄道博物館(英語版)に保存されている。 ディーゼル機関車の使用が始まった初期には、ディーゼル機関車も黒に塗装されていた。操車場の入換機関車は視認性のために斜めのオレンジの帯を車端に塗装しており、この塗装にはタイガー・ストライプという名前が付いた。本線用貨物機関車は一般に全体が黒で赤い帯が車体の下部にあり、銀とオレンジの翼状の塗装が車端に入っていた。"SOUTHERN PACIFIC"の文字が白のセリフ書体で入っていた。鉄道ファンはこの塗装をブラック・ウィドウと呼んでいる。一時的な塗装である、全体を黒に塗ってオレンジの翼状の車端塗装をしたものは、ハロウィーンと呼ばれていた。この塗装をした機関車は非常に少なく、写真もほとんど残っていない。 多くの旅客用機関車は初期には上述したデイライトと同じ塗装になっていた。しかし、シカゴ・ロックアイランド・アンド・パシフィック鉄道 (Chicago, Rock Island and Pacific Railroad) と共同で運行していた、シカゴとロサンゼルスを結ぶゴールデン・ステートで用いるために、上部を赤、下部を銀で塗装した機関車があった。また、サンセット・リミテッドやその他のテキサス州へ走る列車には銀色に上部を狭い赤の帯にしたものが用いられていた。1959年にサザン・パシフィック鉄道は塗装パターンを標準化し、ダークグレーに赤い翼状の車端塗装となった。文字は白で入っていた。 サザン・パシフィック・サンタフェ鉄道を形成する合併が却下された1980年代に半ばの時期には、フィルムの箱の色から「コダクローム」と呼ばれる塗装がサザン・パシフィック鉄道の多くの機関車に施されていた。合併が州際通商委員会によって却下された時、この塗装はすぐには塗り戻されず、サザン・パシフィック鉄道が独立した会社でなくなるときまでサザン・パシフィック・サンタフェ鉄道の略称であるSPSFの大きな文字とともに残ったものもあって、「そんなに早く塗るべきではない」(Shouldn't Paint So Fast) の略であるなどと言われるようになった。州際通商委員会の決定によって、サザン・パシフィック鉄道は独立したままの荒廃した状態に残され、機関車はすぐには塗り戻されなかったが、何年も延期された保守作業がやっと行われる際にブラッディ・ノーズ塗装に戻されるものもあった。デンバー・アンド・リオグランデ・ウェスタン鉄道のオーナー、フィリップ・アンシュッツによる1988年のサザン・パシフィック鉄道の買収後、機関車の脇の文字は塗装が戻される際に元のサザン・パシフィック鉄道のセリフ書体によるものから、リオグランデ鉄道の「スピード・レタリング」という書体に変更された。アンシュッツは、サザン・パシフィック鉄道の名前の方がより広く認識されていると考え、デンバー・アンド・リオグランデ・ウェスタン鉄道の名前は残らなかった。 サザン・パシフィック鉄道のロード・スイッチャーは、塗装以外にいくつかの特徴で鉄道ファンによく知られていた。これらの機関車にはしばしば凝った照明設備が搭載されており、フロント・リアの両方に大きな赤いマーズライト (Mars Light) を緊急用の信号として搭載し、また2つのライトを対にしたシールドビーム前照灯を、1対を運転台の上の番号ボードの間に、もう1対を機関車前端のマーズライトの下に設置していた。サザン・パシフィック鉄道は1970年代から運転台の空調を全ての新しい機関車で採用し始め、運転台上部に取り付けられた空調室外機がとても目立つものであった。またサザン・パシフィック鉄道は、主にドナー峠のルートで冬期に激しい雪が降ることがあることから、ロード・スイッチャーの排障器にとても大きなスノープラウを取り付けていた。サザン・パシフィック鉄道の多くのロード・スイッチャーは、西部の州ではとても珍しい和音を鳴らすネイサン-エアチャイム (Nathan-AirChime) のM3またはM5の警笛を装備していた。 サザン・パシフィック鉄道とその子会社のセントルイス・サウスウェスタン鉄道は、EMD SD45T-2形ディーゼル機関車 (EMD SD45T-2) 、通称「トンネルモーター」の唯一の運用者であった。これは標準構成のEMD SD45形ディーゼル機関車 (EMD SD45) ではサザン・パシフィック鉄道の広範囲に渡ってスノーシェッドやトンネルが続くカスケード峠とドナー峠の路線で運用されている時に、十分な冷却用空気をラジエターに取り込むことができなかったために必要とされていた。標準的なラジエターの構成では、車体の上部と側面に設置されたラジエターを通じて空気を吸い込むファンが長いフードの上部に取り付けられているが、このトンネルモーターではエアインテイクが車体の通路の高さに設置されている。トンネルやスノーシェッドの中では、重連運転の先頭側の機関車から吐き出された熱い排気ガスがトンネルやスノーシェッドの天井付近に集まり、2両目の機関車のラジエターに吸い込まれてしまい、オーバーヒートを起こすことにつながっていた。サザン・パシフィック鉄道はEMD SD40T-2形ディーゼル機関車も運用しており、これはデンバー・アンド・リオグランデ・ウェスタン鉄道も同様であった。他の大多数の鉄道と異なり、1967年までサザン・パシフィック鉄道では機関車に取り付けられたナンバーボードを機関車の番号を表示するために用いるのではなく、列車番号を表示するために用いていた。後に他の鉄道の標準のやり方を採用したが、サンフランシスコとサンノゼを結ぶ通勤列車(現:カルトレイン)に関しては列車を待っている旅客の利便性のために列車番号の表示を例外として続けていた。他に1960年代末期までナンバーボードを列車番号表示に用いていた主要な鉄道会社としては、サザン・パシフィック鉄道とともに大陸横断鉄道を運営していたユニオン・パシフィック鉄道がある。 サザン・パシフィック鉄道の会社としての最後の時期になるにつれて、その機関車がとても汚くなっていったことが知られている。厳しい運用に用いられた機関車は、雨が降ったときにしか洗われなかったと観察する鉄道ファンもいた。 ユニオン・パシフィック鉄道は、古い塗装パターンを再現した「ヘリテイジシリーズ」のEMD SD70シリーズディーゼル機関車を運用しているが、その6番目で最後となるユニオン・パシフィック鉄道1996号機関車を公開し、その塗装パターンはデイライトとブラックウィドウパターンであった。
※この「機関車の塗装と外観」の解説は、「サザン・パシフィック鉄道」の解説の一部です。
「機関車の塗装と外観」を含む「サザン・パシフィック鉄道」の記事については、「サザン・パシフィック鉄道」の概要を参照ください。
- 機関車の塗装と外観のページへのリンク