志村けん
志村けん
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 18:22 UTC 版)
「志村けんのだいじょうぶだぁII」の記事における「志村けん」の解説
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志村けん
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 18:45 UTC 版)
しむら屋の主人。三代続いた団子屋を妻と共に切り盛りしている。典型的な中年男性で、もの忘れをしたり、残尿でズボンを汚したり、竜兵や克広とキャバクラなどに飲みに行き、妻・優香の目を盗んで知り合った女とこっそり会って遊んだりしていることがよくある。その浮気行為は全て、所持品(特に出掛けた先の店で働くホステスの名刺)や肥後夫婦の夫婦喧嘩における克広の発言の中で発覚してしまい、これに激怒した優香に叱られてしまうというパターンがその際の定番である。竜兵にお金をせがまれ、いつも貸してしまうが、回を重ねるごとに竜兵が来ると金せびりとみなし、ぞんざいに扱うようになる。竜兵が「こんにちは」と言っただけで「帰れ」と言ったこともある。
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志村けん
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 17:43 UTC 版)
「ザ・ドリフターズの映画」の記事における「志村けん」の解説
メンバーとしての出演は1974年公開の『超能力だよ全員集合!!』からだが、1968年公開の『ドリフターズですよ!冒険冒険また冒険』以降、複数の作品に端役で出演している。
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志村けん
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:35 UTC 版)
詳細は「志村けん」を参照 (1950-02-20) 1950年2月20日 - (2020-03-29) 2020年3月29日(70歳没)、本名:志村() 康徳()(しむら やすのり) ボーヤ加入:1968年2月 見習い昇格:1973年12月 ドリフ加入:1974年3月 担当楽器:加入直後はキーボード、その後ギターへ転向 1968年ボーヤとして採用され1973年見習いへ昇格し1974年荒井の脱退と共にメンバー加入 いかりやに直々に懇願しドリフの付き人となるが、1年余りで脱走。志村の著書では、あくまで「社会勉強のための休養」となっている。その後、加藤の口添えで出戻り、加藤の付き人兼加藤家居候を経て、お笑いコンビ「マックボンボン」を結成。日本テレビ『ぎんぎら!ボンボン!』も担当したが、人気が出ず2年余りで解散。脱退を表明した荒井の後釜として、1973年12月にドリフ見習いとなり、1974年3月9日に正式メンバーとなる。 加入後、2年近くはギャグが受けずスランプ状態に陥っていたが、「東村山音頭」や「カラスの勝手でしょ」で一気にブレイクし、子供の人気を獲得。さらに新たなネタやギャグを連発し、ドリフの一番人気になった。 映像では荒井の脱退後に初期はキーボード、のちにギターを弾いており元々コメディアン志望ではあるが、ソウル・ミュージックに精通しており、三味線の腕もプロ並みであった。 「一人になった時に、何かが現れる」という台本通りのコントでは、客席の子どもたちが舞台に向かって一斉に「志村!うしろ、うしろ!!」と本気で声援を送るという恒例のパターンを生み出した。 仲本同様、1981年2月18日には競馬のノミ行為が発覚し、謹慎1カ月、書類送検のうえ起訴猶予処分となった。 康徳名義で中央競馬の馬主としても活動していた。 1970年代からビートルズのレコードコレクターとして、所有している種類や枚数はかなりの数である。自身の番組内にビートルズナンバーを度々使用している理由の一つでもあった。 メンバーの中で唯一独身だったが、女性との交際歴は非常に多く、本人が公表しているだけでも10人を超える女性と同棲を重ねていた。 歴代ドリフメンバー(すわしんじは除く)で唯一、戦後生まれである。 2020年3月29日23時10分、新型コロナウイルスによる肺炎のため死去。
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志村けん
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:47 UTC 版)
通称「バカ殿」。歌舞伎「一条大蔵譚」のパロディ。名前通りバカで、破天荒な性格の殿様。あまりのバカさやハチャメチャぶりに家老からは「珍バカ(珍しいくらいにバカ)」 と陰口を叩かれたり、「バカのオリンピックに出たら金メダルが取れる」「バカのノーベル賞があったら受賞間違いなし」「ホームラン級のバカ」と評される程である。装束は殿様らしいが、顔は真っ白で口紅を塗った 能面の小面のような顔をしており、ちょんまげをしている。 下ネタ・イタズラが大好きで、城内にもからくりをたくさん仕掛けている(桑野と上島が主な被害者。)。一方、超音痴(本人も自覚あり)でもあり、宴会で吉幾三の「雪国」を歌ったところ宴会場が半壊した事がある。 父親でもある先代の殿は名君だったため、いつも爺からはそのことを絡めて小言を言われている。それでも家来たちに対しては旅行へ連れていったり、お年玉をあげたり(ただし、ダチョウ倶楽部登場前は家老のみはあげず、登場後は上島のみあげない事が多い。)、悩みを聞いてあげたりと一人一人を家族のように大切に想っているため、なんだかんだ言いながらも家来たちは皆、殿に対して忠誠を誓っている。 ドリフ大爆笑初期はよく怒っていたが、特別番組化後は基本的に温厚な人柄となり、滅多に怒ることはないものの、家来(特に家老や側用人)から単刀直入に「バカ」 と言われた時(由紀さおり、または小柳ルミ子が年をごまかすシーンも同様(後述)。)は尺八の効果音が鳴り、その場で刀を手にしてドスの効いた声を上げるほど怒りを露わにする(「バカ」とは異なるが、タカアンドトシのトシに「欧米か!」と頭を叩かれた時も同様の反応をしている)。 酒が好きで、甘いものが苦手である。(実際の志村も酒が好きで、甘いものが苦手。) 羽織の色は初期は銀色系のものだったが、全員集合末期の頃から朱色系のものになった。現在はオレンジ、幼少時代は水色の羽織を着ている。 初期はすっとんきょうな高い声を出していたが、晩年は志村の素の声であることが多かった。 美人女性好きだが、女運は全く皆無である。また奥方はおらず、家老や家来からしばしば「いつ結婚するんだ!」「早く結婚しろ!」などと言われている。苦手な人はナオコ姫で、遊びに来ることを拒みたいが、ナオコ姫が予告なしで来たり、家来が勝手に通してしまったりすることで、結局相手をして悲惨な目に遭わされることが多い。 時々家老達には内緒で隠居する事があるが、ほとんど若い町娘が目的で出会った女性タレント(殆どがお笑い芸人以外。)が演じる町娘に好意を寄せるも、娘に婚約者がいるもしくは既に結婚している・娘から「あんたなんか嫌いよ」などと言われて平手打ちなどを食らう・家老達に見つかって城に戻されるなどで結果的に振られて失敗ばかりしている。 親藩である(「丸に三つ葵」の徳川家の家紋が城内に見られる)。幼名は「竹千代」。志村城の城主、志村藩12万石の領主(初期は50万石、25万石、15万石)。 コントによっては、殿がいつの間にか下記の他に志村が演じるキャラクターに入れ替わっている事がある。
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志村けん
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:45 UTC 版)
石橋の中学生素人時代の相方(島崎伸一・現制作プロダクション経営)がドリフターズの付き人になったことから、志村けんは当初石橋と付き合いが深かった。しかし後に木梨との付き合いも深まり、木梨自身もキャラクター設定、コントの作り方などで志村から影響を受けたこともあり一時は「コンビ結成」の噂が立つほどだった。この件について石橋自身が志村本人に抗議して終息した。ただこの付き合いの過程の中でとんねるずはイザワオフィスとつながりを強め、これが後の独立へとつながる。 『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「食わず嫌い王決定戦」等で共演を果たしている。
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