小柳ルミ子
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小柳 ルミ子(こやなぎ るみこ、本名:小柳 留美子、小柳 瑠美子[1]、1952年〈昭和27年〉7月2日 - )は、日本の歌手、俳優である。別名でrumicoとも称する。福岡市早良区で生まれる。母親の愛子は秋田県五城目町出身[2]である。血液型はA型。愛称はルミちゃん、ルミルミ[3]など。プラチナムプロダクション所属。身長159cm(1972年3月)[1]。
注釈
- ^ のちに音楽番組に出演する際も「小柳ルミ子」名義を用いている
- ^ 以降2度再発。1979年AB面差替、1981年B面を「夕涼み」に変えて再発。
- ^ 内海美幸の同名曲のカバー。
- ^ 石川ひとみの「恋」に、異なる歌詞をつけたリメイク楽曲。
- ^ rumiko名義。
- ^ 同曲は1980年にデビューした河合奈保子のバージョンも存在する。歌詞は一般応募で一等入選したものが採用された。レコードは非売品であったが、2011年発売の「小柳ルミ子 デラックス・ボックス」で初CD音源化された。
- ^ rumiko meets a million bamboo名義。アナログ盤限定シングル。
- ^ 辺見マリと小柳ルミ子のジョイント編集アルバムではあるが、辺見と小柳のトークが入っている
- ^ 色は黄色。
- ^ SMSから再発された際にアルバム・タイトルは『泣きぬれてひとり旅』に変更された。
- ^ アルバム・タイトルはいわゆるベスト・アルバムを思わせるものがあるが、10曲中7曲はオリジナル作である。
- ^ ただし、A面1曲目の「恋にゆれて」はスタジオ録音。
- ^ 『過去からの声』と同じシリーズ。原作はスー・グラフトン。
- ^ 1990年代後半から2000年代前半にかけて、「土曜ワイド劇場」枠で『京都の芸者弁護士事件簿』シリーズとしてリニューアルされた。主演は小柳と同様に宝塚歌劇団出身の涼風真世。
- ^ 小柳ルミ子名義で挿入歌「シルクな心」も歌唱した。
- ^ 小柳ルミ子名義で衣裳協力もしている。
- ^ 『おもろい夫婦事件帖』シリーズのパイロット版。
出典
- ^ a b c 「内外人気スターからバレー選手まで 決定版STアイドル名鑑 小柳ルミ子」『週刊セブンティーン』1972年3月14日号、集英社、109頁。
- ^ 『あの日あの時母の顔―私の母語り』 小学館 1996年 156頁
- ^ 『ヒルナンデス』小柳ルミ子、20代モデルに最高のフォロー 「優しい…」:ニュースサイトしらべぇ
- ^ 監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日、80-81頁。ISBN 9784484146010
- ^ 新井恵美子『女たちの歌』 光文社、2004年、ISBN 4334783147。
- ^ (3ページ目)〈追悼・志村けん〉小柳ルミ子「ボーヤの頃に出会って48年。同志であり、戦友だった」|芸能|婦人公論.jp
- ^ 2007年11月27日、テレビ朝日系『スーパーモーニング』
- ^ QVC ブランド「小柳ルミ子『DANCING QUEEN』」
- ^ a b c 小柳ルミ子、サッカー解説者デビューへ!「浦和-ドルトムント」で副音声初挑戦 サンスポ、2017年7月10日、2021年1月16日閲覧
- ^ “小柳ルミ子もショック メッシ退団「もうどうにもならないのか」”. デイリースポーツ (2021年8月6日). 2021年8月6日閲覧。
- ^ 『人生最高レストラン』 2019年2月9日放送分
- ^ “「渡辺さん何故?!」小柳ルミ子 「縊死との報道にショック」「奥様の気持ち考えると辛くて」”. デイリースポーツ online (2022年5月5日). 2022年5月5日閲覧。
- ^ 森繁久彌/加藤登紀子、渚ゆう子、森進一のカバー曲等収録。
- ^ “小柳ルミ子、“食”にまつわる商品を華麗に紹介!新通販番組『ルミ子の食卓』スタート”. テレ朝POST. テレビ朝日 (2022年4月5日). 2023年4月22日閲覧。
- ^ 小柳ルミ子「『2018 FIFAワールドカップ』、日本は100%決勝T進出します」と断言 - フジテレビ
- ^ “2018(平成30)年 大河ドラマ「西郷どん」出演者発表!”. NHKドラマトピックス. NHK (2017年4月12日). 2017年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月12日閲覧。
小柳ルミ子
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1970年春に宝塚音楽学校を首席で卒業後、NHKの連続テレビ小説『虹』で女優デビュー。翌年4月に3人の先陣を切り、「わたしの城下町」(L-1026R)でレコード・デビューを果たした。八重歯の愛らしいルックスに加え、楽曲の叙情・旅情的な雰囲気が、当時国鉄(現JR)が行っていた集客キャンペーン“ディスカバー・ジャパン”の流行りにマッチして同レコード盤は大ヒット。総合シングルチャートで12週に渡り連続1位を獲得し、同年のシングル年間売り上げ1位となった(ともにオリコン調べ)。2009年現在も、女性ソロ歌手では歴代1位の連続記録である。以降、同系統である演歌調の楽曲を順次発表し、ヒットチャート上位にランクインした。
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小柳ルミ子
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「新三人娘」の中では唯一小柳のみが、現在もテレビ番組出演などコンスタントに芸能活動を続けており、その傍らで2007年からは週刊誌『週刊大衆』でコラムを連載していた。2011年3月には、2010年代初となるシングル盤「やさしくして」を発表。昭和時代の音源を集めたCD-BOXも発売された。
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