たいようのこ〔タイヤウのこ〕【太陽の子】
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太陽の子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/18 00:39 UTC 版)
『太陽の子』(たいようのこ、てだのふあ[注 1])は、灰谷健次郎の長編小説(児童文学)である。1978年に理論社から単行本が出版された[3]。挿絵を田畑精一が担当した。のち、新潮文庫版が刊行されたが、1997年に起きた神戸の事件の流れで絶版となり、現在は角川文庫版が刊行されている。
注釈
- ^ 角川文庫版の奥付では「たいようのこ」とルビが振られている。理論社版単行本の「あとがき」で灰谷自身は「てだのふあ」というルビを付している(奥付にはルビはない)[1]。また、扉および本編には、昭吉くんによる「『てだのふあ』は『太陽の子』の意味だ」という内容の台詞が記載されている[2]。
- ^ 厳密には沖縄方言で助詞の「の」は「ぬ」となる。
- ^ 沖縄方言で「胸が痛む」という意味。
- ^ 父の体は「梁から降ろされ」、「首から耳のあたりにかけて赤い一筋の痕があった」と記されている[6]。
- ^ 本書では「三絃」と表記されている。
- ^ 作中ではふうちゃんの母などが東二見に行くために、「明石で特急から普通電車に乗りかえた」[29]とあるが、現実においてはこの時代から東二見駅には特急が停車していた。
- ^ 1973年に当たる。
- ^ 現行の角川文庫版にはこの「あとがき」は直接収録されておらず、高史明の解説に抄録が引用される形で掲載されている。
- ^ 黒古の原文では本作に「全くアメリカ軍基地のことが出てこない」[42]とあるが、「登場人物」節に記したとおり、キヨシの手紙には沖縄時代の家が「アメリカの基地の飛行場の下」であることと母が米兵の暴行を受けたことが記されており[43]、「全く」出てこないという指摘は失当である。
- ^ キヨシがギッチョンチョンの金を持って出ていく場面では「建国記念日」と字幕に表示される。またふうちゃんの父の死亡が確認される日に、昭和天皇の「79回目の誕生記念の一般参賀」のニュースがテレビで流れる場面がある。
- ^ 的形駅のほか、八家地蔵が登場する。
- ^ これらの学校名は、画面に字幕で表示されている。
- ^ 作中の三線演奏も担当している。
- ^ 実際に沖縄戦に参加して戦闘で右手を失った一般人である(2001年没)[33]。
- ^ テレビドラマデータベースでは『てだのふあ・おきなわ亭(太陽の子)』となっているが、放映前および当日の『毎日新聞』大阪版での表記には「(太陽の子)」はない。
- ^ MBSの放映日における新聞縮刷版のテレビ欄(東京版)には本作の記載はない。
出典
- ^ 灰谷健次郎「あとがき」『太陽の子』理論社、1978年、p.365
- ^ 灰谷 1998, pp. 4, 20.
- ^ 灰谷 1998, p. 420.
- ^ “戦後75年・名作の風景 太陽の子 報道写真家・石川文洋さん 沖縄の命つなぎたい”. 毎日小学生新聞. (2020年6月23日) 2020年6月27日閲覧。
- ^ 灰谷 1998, p. 118.
- ^ 灰谷 1998, p. 414.
- ^ 灰谷 1998, p. 102.
- ^ 灰谷 1998, p. 152.
- ^ 灰谷 1998, p. 177.
- ^ a b 灰谷 1998, p. 47.
- ^ 灰谷 1998, p. 386.
- ^ 灰谷 1998, p. 325.
- ^ 灰谷 1998, p. 311.
- ^ a b 灰谷 1998, p. 18.
- ^ 灰谷 1998, p. 34.
- ^ 灰谷 1998, p. 33.
- ^ 灰谷 1998, p. 250.
- ^ 灰谷 1998, p. 30.
- ^ 灰谷 1998, p. 13.
- ^ 灰谷 1998, pp. 22–23.
- ^ 灰谷 1998, pp. 221–222.
- ^ 灰谷 1998, p. 68.
- ^ 灰谷 1998, p. 139.
- ^ 灰谷 1998, p. 326.
- ^ 灰谷 1998, pp. 6–7.
- ^ 灰谷 1998, p. 418.
- ^ 灰谷 1998, p. 21.
- ^ a b 小松潔「灰谷健次郎「太陽の子」 神戸市 戦争は終わっているのだろうか。」日本経済新聞2013年12月7日[1](全文をwebで読むには会員登録が必要)
- ^ 灰谷 1998, p. 314.
- ^ 灰谷 1998, pp. 308–324.
- ^ 灰谷 1998, p. 73.
- ^ 灰谷 1998, pp. 389–390.
- ^ a b c d “愛の旅人 「太陽の子」灰谷健次郎と兄”. 朝日新聞Travel. (2008年2月16日) 2017年7月9日閲覧。
- ^ 灰谷 1998, pp. 423–425, 高史明「解説」.
- ^ 灰谷健次郎『島で暮らす 灰谷健次郎エッセイ集』理論社、1982年、p.227
- ^ a b 「文芸時評 <下>」『朝日新聞』1978年12月22日夕刊5頁
- ^ 清水 1984, p. 175-178.
- ^ 清水 1984, p. 180-181.
- ^ 清水 1984, p. 186-190.
- ^ 黒古 2004, p. 44.
- ^ 黒古 2004, pp. 46–62.
- ^ 黒古 2004, p. 48.
- ^ 灰谷 1998, p. 301.
- ^ 太陽の子 てだのふあ - allcinema
- ^ キネマ旬報 1980年・第54回 - KINENOTE
- ^ 河原一邦「邦画マンスリー 今月の新作紹介」『ロードショー』1980年9月号、集英社、221頁。
- ^ a b 読売新聞1979年10月8日夕刊9頁
- ^ a b 読売新聞1980年6月9日夕刊9頁
- ^ 読売新聞1980年2月23日夕刊5頁
- ^ a b c d 大西赤人「日の丸に取り込まれた沖縄 (PDF) 」(『同時代のルポルタージュ』大和書房、1980年収録。初出は『思想運動』1980年10月1日号)[リンク切れ]
- ^ a b c d e f g h 木曜キネマ探偵団Vol.42 沖縄から神戸まで!「てだのふあ」ロケ地めぐり - クリックボイス沖縄(YouTube、2017年3月2日放送)2017年7月14日閲覧
- ^ 神戸市立小学校 統合の状況 (PDF) - 神戸市(2016年4月)[リンク切れ]
- ^ 尼崎市には沖縄出身者やその子孫の人が多く住んでおられ、とくに戸ノ内地区に多い。その歴史的経緯を知りたい。 - 国立国会図書館(レファレンス協同データベース、2013年6月29日)
- ^ a b 『毎日新聞』大阪版10月21日24頁
- ^ a b てだのふあ・おきなわ亭(太陽の子) - テレビドラマデータベース
- ^ a b 毎日新聞大阪版1979年9月8日夕刊6頁
- ^ a b 『毎日新聞』大阪版1979年10月13日夕刊6頁
- ^ 太陽の子 - テレビドラマデータベース
- ^ 岸部一徳 - NHK人物録
- ^ a b 早稲田大学演劇博物館ウェブサイト内データベース[2]の検索結果による。
- ^ a b “灰谷健次郎の「太陽の子」をミュージカルに、イッツフォーリーズ「てだのふあ」”. ステージナタリー. (2019年5月21日) 2019年7月25日閲覧。
- ^ ミュージカル てだのふあ プレビュー公演 - ルネこだいら(2022年9月4日閲覧)
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