太陽の子とは? わかりやすく解説

たいようのこ〔タイヤウのこ〕【太陽の子】

読み方:たいようのこ

[一]灰谷健次郎児童文学作品昭和53年1978刊行挿絵田畑精一神戸に住む少女ふうちゃんは、父親精神病んだきっかけ調べ過程で、沖縄戦歴史を知る。昭和55年1980)、「太陽の子てだのふあ」の題名映画化されているほか、前進座による舞台化作品もある。

[二]福士幸次郎の第1詩集大正3年(1914)刊行


特定非営利活動法人太陽の子

行政入力情報

団体名 特定非営利活動法人太陽の子
所轄 埼玉県
主たる事務所所在地 深谷市武蔵野内方3793番地
従たる事務所所在地
代表者氏名 佐藤達也
法人設立認証年月日 2013/07/17 
定款記載され目的
この法人は、特別支援学校に通う児童・生徒等に対し障害児童・生徒等の個々尊重した放課後児童クラブ運営事業及び障害児通所支援事業行い障害児童・生徒等とその家族の生活を豊かで安全に、そして地域福祉の向上に寄与することを目的とする。 
活動分野
保健・医療福祉     社会教育     まちづくり    
観光     農山漁村中山間地域     学術・文化芸術スポーツ    
環境保全     災害救援     地域安全    
人権・平和     国際協力     男女共同参画社会    
子どもの健全育成     情報化社会     科学技術振興    
経済活動活性化     職業能力雇用機会     消費者保護    
連絡助言援助     条例指定    
認定
認定・仮認定
認定   認定   旧制度国税庁)による認定   認定更新中  
PST基準
相対値基準     絶対値基準     条例指定()    
認定開始日:       認定満了日:       認定取消日:   
認定年月日:    認定満了日:    認定取消日:   
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特定非営利活動法人太陽の子

行政入力情報

団体名 特定非営利活動法人太陽の子
所轄 山梨県
主たる事務所所在地 中巨摩郡昭和町西条4301番地
従たる事務所所在地
代表者氏名 ゾムブ ナランチメグ
法人設立認証年月日 2011/03/16 
定款記載され目的
この法人は、モンゴル共和国貧し子どもたちが、教育職業訓練などを受けられるよう支援する。これによって多くの子どもたちの自立地域住民の生活向上をはかり、地域社会発展と、さらには世界平和に寄与することを目的とする。モンゴル共和国人々への理解友好深め互いに支え合いながら共にいきる社会実現目指し、もって不特定かつ多数のものの利益増進寄与することを目的とする。 
活動分野
保健・医療福祉     社会教育     まちづくり    
観光     農山漁村中山間地域     学術・文化芸術スポーツ    
環境保全     災害救援     地域安全    
人権・平和     国際協力     男女共同参画社会    
子どもの健全育成     情報化社会     科学技術振興    
経済活動活性化     職業能力雇用機会     消費者保護    
連絡助言援助     条例指定    
認定
認定・仮認定
認定   認定   旧制度国税庁)による認定   認定更新中  
PST基準
相対値基準     絶対値基準     条例指定()    
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太陽の子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/18 00:39 UTC 版)

太陽の子』(たいようのこ、てだのふあ[注 1])は、灰谷健次郎の長編小説(児童文学)である。1978年理論社から単行本が出版された[3]。挿絵を田畑精一が担当した。のち、新潮文庫版が刊行されたが、1997年に起きた神戸の事件の流れで絶版となり、現在は角川文庫版が刊行されている。


注釈

  1. ^ 角川文庫版の奥付では「たいようのこ」とルビが振られている。理論社版単行本の「あとがき」で灰谷自身は「てだのふあ」というルビを付している(奥付にはルビはない)[1]。また、扉および本編には、昭吉くんによる「『てだのふあ』は『太陽の子』の意味だ」という内容の台詞が記載されている[2]
  2. ^ 厳密には沖縄方言で助詞の「の」は「ぬ」となる。
  3. ^ 沖縄方言で「胸が痛む」という意味。
  4. ^ 父の体は「梁から降ろされ」、「首から耳のあたりにかけて赤い一筋の痕があった」と記されている[6]
  5. ^ 本書では「三」と表記されている。
  6. ^ 作中ではふうちゃんの母などが東二見に行くために、「明石で特急から普通電車に乗りかえた」[29]とあるが、現実においてはこの時代から東二見駅には特急が停車していた。
  7. ^ 1973年に当たる。
  8. ^ 現行の角川文庫版にはこの「あとがき」は直接収録されておらず、高史明の解説に抄録が引用される形で掲載されている。
  9. ^ 黒古の原文では本作に「全くアメリカ軍基地のことが出てこない」[42]とあるが、「登場人物」節に記したとおり、キヨシの手紙には沖縄時代の家が「アメリカの基地の飛行場の下」であることと母が米兵の暴行を受けたことが記されており[43]、「全く」出てこないという指摘は失当である。
  10. ^ キヨシがギッチョンチョンの金を持って出ていく場面では「建国記念日」と字幕に表示される。またふうちゃんの父の死亡が確認される日に、昭和天皇の「79回目の誕生記念の一般参賀」のニュースがテレビで流れる場面がある。
  11. ^ 的形駅のほか、八家地蔵が登場する。
  12. ^ これらの学校名は、画面に字幕で表示されている。
  13. ^ 作中の三線演奏も担当している。
  14. ^ 実際に沖縄戦に参加して戦闘で右手を失った一般人である(2001年没)[33]
  15. ^ テレビドラマデータベースでは『てだのふあ・おきなわ亭(太陽の子)』となっているが、放映前および当日の『毎日新聞』大阪版での表記には「(太陽の子)」はない。
  16. ^ MBSの放映日における新聞縮刷版のテレビ欄(東京版)には本作の記載はない。

出典

  1. ^ 灰谷健次郎「あとがき」『太陽の子』理論社、1978年、p.365
  2. ^ 灰谷 1998, pp. 4, 20.
  3. ^ 灰谷 1998, p. 420.
  4. ^ “戦後75年・名作の風景 太陽の子 報道写真家・石川文洋さん 沖縄の命つなぎたい”. 毎日小学生新聞. (2020年6月23日). https://mainichi.jp/articles/20200623/kei/00s/00s/014000c 2020年6月27日閲覧。 
  5. ^ 灰谷 1998, p. 118.
  6. ^ 灰谷 1998, p. 414.
  7. ^ 灰谷 1998, p. 102.
  8. ^ 灰谷 1998, p. 152.
  9. ^ 灰谷 1998, p. 177.
  10. ^ a b 灰谷 1998, p. 47.
  11. ^ 灰谷 1998, p. 386.
  12. ^ 灰谷 1998, p. 325.
  13. ^ 灰谷 1998, p. 311.
  14. ^ a b 灰谷 1998, p. 18.
  15. ^ 灰谷 1998, p. 34.
  16. ^ 灰谷 1998, p. 33.
  17. ^ 灰谷 1998, p. 250.
  18. ^ 灰谷 1998, p. 30.
  19. ^ 灰谷 1998, p. 13.
  20. ^ 灰谷 1998, pp. 22–23.
  21. ^ 灰谷 1998, pp. 221–222.
  22. ^ 灰谷 1998, p. 68.
  23. ^ 灰谷 1998, p. 139.
  24. ^ 灰谷 1998, p. 326.
  25. ^ 灰谷 1998, pp. 6–7.
  26. ^ 灰谷 1998, p. 418.
  27. ^ 灰谷 1998, p. 21.
  28. ^ a b 小松潔「灰谷健次郎「太陽の子」 神戸市 戦争は終わっているのだろうか。」日本経済新聞2013年12月7日[1](全文をwebで読むには会員登録が必要)
  29. ^ 灰谷 1998, p. 314.
  30. ^ 灰谷 1998, pp. 308–324.
  31. ^ 灰谷 1998, p. 73.
  32. ^ 灰谷 1998, pp. 389–390.
  33. ^ a b c d “愛の旅人 「太陽の子」灰谷健次郎と兄”. 朝日新聞Travel. (2008年2月16日). https://www.asahi.com/travel/traveler/TKY200802160063.html 2017年7月9日閲覧。 
  34. ^ 灰谷 1998, pp. 423–425, 高史明「解説」.
  35. ^ 灰谷健次郎『島で暮らす 灰谷健次郎エッセイ集』理論社、1982年、p.227
  36. ^ a b 「文芸時評 <下>」『朝日新聞』1978年12月22日夕刊5頁
  37. ^ 清水 1984, p. 175-178.
  38. ^ 清水 1984, p. 180-181.
  39. ^ 清水 1984, p. 186-190.
  40. ^ 黒古 2004, p. 44.
  41. ^ 黒古 2004, pp. 46–62.
  42. ^ 黒古 2004, p. 48.
  43. ^ 灰谷 1998, p. 301.
  44. ^ 太陽の子 てだのふあ - allcinema
  45. ^ キネマ旬報 1980年・第54回 - KINENOTE
  46. ^ 河原一邦「邦画マンスリー 今月の新作紹介」『ロードショー』1980年9月号、集英社、221頁。 
  47. ^ a b 読売新聞1979年10月8日夕刊9頁
  48. ^ a b 読売新聞1980年6月9日夕刊9頁
  49. ^ 読売新聞1980年2月23日夕刊5頁
  50. ^ a b c d 大西赤人日の丸に取り込まれた沖縄 (PDF) 」(『同時代のルポルタージュ』大和書房、1980年収録。初出は『思想運動』1980年10月1日号)[リンク切れ]
  51. ^ a b c d e f g h 木曜キネマ探偵団Vol.42 沖縄から神戸まで!「てだのふあ」ロケ地めぐり - クリックボイス沖縄(YouTube、2017年3月2日放送)2017年7月14日閲覧
  52. ^ 神戸市立小学校 統合の状況 (PDF) - 神戸市(2016年4月)[リンク切れ]
  53. ^ 尼崎市には沖縄出身者やその子孫の人が多く住んでおられ、とくに戸ノ内地区に多い。その歴史的経緯を知りたい。 - 国立国会図書館(レファレンス協同データベース、2013年6月29日)
  54. ^ a b 『毎日新聞』大阪版10月21日24頁
  55. ^ a b てだのふあ・おきなわ亭(太陽の子) - テレビドラマデータベース
  56. ^ a b 毎日新聞大阪版1979年9月8日夕刊6頁
  57. ^ a b 『毎日新聞』大阪版1979年10月13日夕刊6頁
  58. ^ 太陽の子 - テレビドラマデータベース
  59. ^ 岸部一徳 - NHK人物録
  60. ^ a b 早稲田大学演劇博物館ウェブサイト内データベース[2]の検索結果による。
  61. ^ a b “灰谷健次郎の「太陽の子」をミュージカルに、イッツフォーリーズ「てだのふあ」”. ステージナタリー. (2019年5月21日). https://natalie.mu/stage/news/331811 2019年7月25日閲覧。 
  62. ^ ミュージカル てだのふあ プレビュー公演 - ルネこだいら(2022年9月4日閲覧)





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