代替ネットワーク構築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 10:05 UTC 版)
「東名高速道路」の記事における「代替ネットワーク構築」の解説
当初予想された計画交通量を上回る急激な需要増から混雑が目立ってきたことで、1971年(昭和46年)4月には、第二東名高速道路の計画が立ち上がり、建設省が調査を開始した。しかし、地形的な難易度が高いこともあって計画は停滞した。 1980年代後半になると、東名の1日の平均利用台数は約33万台、1日の平均断面交通量は7万台弱となった。これは、開通当初の平均断面交通量21,000台と比較して3倍強という増加量である。また、日本の全道路貨物輸送量(トンキロベース〈輸送重量×輸送距離〉)の約12パーセント、全道路輸送旅客量の2パーセントを受け持ち、全国高速道路の料金収入の22パーセントは東名からのもの、路線延長でいえば、全幹線道路(高速道路、一般国道、都道府県道)の総延長のわずか0.2パーセントに過ぎない道路が、これほどの物量を担うまでになった。 路線改良によって一部の混雑は緩和されたとはいえ、東名全体の交通量は増加の一途を辿った。東名は東海道の工業、流通、農業などに好影響を与えたが、それは高速道路を使った高速性と時間短縮効果を前提にしたもので、渋滞がやがて恒常化するに及び、定時性というメリットが失われることから輸送時間の不規則化による非効率、輸送コスト増大が深刻化してきた。加えて、1979年(昭和54年)7月に発生した日本坂トンネル火災事故や由比地区における高潮の影響で東名が通行止めとなった際は、経済活動に甚大な影響を与えた。特に日本坂トンネル火災事故による仮復旧までの約一週間、通行止になって生じた影響は、日本の物流が高速道路の存在を前提にしていることを如実に知らしめた。滞ったトラック輸送は並行する国道1号に流れたが、概ね40 kmにのぼる大渋滞となって物流は停滞した。流通の停滞により、スーパーに食料品が届かず、品薄になって値上がりするなど、市民生活に大きな影響が現れ、工業面でも、部品が届かないことで工場生産が止まるなど、経済に深刻な影響を及ぼした。見かねた警察庁が、静岡、神奈川、愛知の3県警察に渋滞解消を命じ、安全面で抵抗する公団の反対を押し切って、事故後一週間で仮復旧させるに至った。この日本坂の事故がいろいろな方面に影響を及ぼしたのは、それだけ日本経済に占める高速道路の比重が大きいからに他ならず、それは東名を軸に東海道メガロポリスの物流システムが構築されたものの、その軸が機能不全に陥った場合はシステムそのものがたちいかなくなることをこの事故は如実に示した。 東海道の物流を背負って立つ高速道路が東名、名神の1本だけでは、非常時の通行止めにより、動脈が切れて経済を大混乱に陥れる。よって、渋滞解消のための交通量の分散と、代替ネットワークの構築は、関係者の間では喫緊の課題として認識されたが、政府の反応は鈍く、ようやく第二東名建設の端緒についたのは1987年(昭和62年)6月の第四次全国総合開発計画(四全総)の閣議決定であった。同年9月に国土開発幹線自動車道建設法が改正され、第二東名は正式に計画に盛り込まれた。 第二東名に施行命令が下された直後の1995年(平成7年)、阪神・淡路大震災が発生し、阪神高速道路はじめ国道2号など幾多の交通が集中している箇所が大地震によって寸断され、物流が麻痺した。影響を受けた貨物総量は日換算117万トンで、その全てが兵庫のみで完結する訳ではない。それは九州で水揚げされたのち大阪、東京方面へ向かう水産物をはじめ、中京圏から中国、九州地方へ輸送される自動車、あるいは電子機器など、阪神地区を通過する貨物だけで1日22万トンに達し、影響はかなりの広範囲に及んだ。これにより企業は輸送手段を失い、部材供給が滞ったことで、工場生産に多大な影響を与えた。トラックは迂回ルートを求めて日本海側の限られたルートや、海上輸送に殺到し、特に大阪や九州のフェリーターミナルでは長距離フェリーを求めてトラックが集中し、乗りきらないトラックの積み残しが長期間続いた。この被害によって物流がライフラインそのものであることが改めて認識されるに及んで、各界からリダンダンシー論が急浮上した。これは「冗長性」「多重性」を意味し、危機管理に使われる言葉である。一本の道路に頼るよりも代替輸送ルートを整備し、非常事態に備えようとする動きがこの地震以降、強まることになった。東名においても予測される東海地震等に備える意味もあって、第二東名の整備が急がれることになった。 新東名(第二東名からの改称)が開通したのは2012年(平成24年)4月で、御殿場JCT - 三ヶ日JCT間約160 kmの区間で東名とのダブルネットワークとなったことで、同区間における東名の混雑は著しく減少した。続く2016年(平成28年)2月の浜松いなさJCT - 豊田東JCT間の開通も、並行する東名の渋滞解消に大きく貢献した。
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