ドライ戦争とは? わかりやすく解説

ドライビール

(ドライ戦争 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/25 00:35 UTC 版)

ドライビールは、ビールにおけるスタイルのひとつ[1][2]で、辞書などでは「アルコール度数を従来のビールより高めて[注釈 1]、辛口(英語では"DRY")に仕上げたビール」を定義する[3]1987年2月に順次発売を開始したアサヒビール(以下「アサヒ」)の『アサヒスーパードライ(以下「スーパードライ」)』を始祖とし[4]その翌年には同業他社も追随していったため、ドライ戦争とも呼ばれる[5]熾烈な販売合戦・市場占有率争いが行われた。


注釈

  1. ^ 例として、それまでの主要銘柄であるキリンビール(当時。1988年に「キリンラガービール」に改名)は4.5%、アサヒスーパードライは5%である。
  2. ^ 日経トレンディが発表する「ヒット商品ベスト30」とは別の企画(キーワードで読むガイアの夜明け - テレビ東京)。

出典

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  23. ^ レファレンス事例集 / 日経流通新聞(日経MJ)に毎年年末にヒット商品番付が掲載されますが、第1回〜19回(1971年〜1989年)の掲載月日とページを教えてください。 - 国立国会図書館 2010年4月22日
    企業好意度とコーポレートイメージ (PDF) - 日経リサーチ
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  26. ^ a b c d e f アサヒビールの経営革新 (PDF) - 東京大学 COE ものづくり経営研究センター 2008年6月
  27. ^ a b c 「CM NOWのアングル ドライビールの広告と売り上げ!?」『CM NOW』22号、玄光社、1988年10月、p.48、2017年3月9日閲覧 
  28. ^ ニッポン・ロングセラー考 Vol.074 ピーナッツ入り柿の種”. COMZINE. NTTコムウェア (2009年6月24日). 2010年12月8日閲覧。
  29. ^ 永井隆「第2章 "ドライ戦争"は一人勝ち」『ビール15年戦争 すべてはドライから始まった』(第1刷)日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2002年8月1日、78頁。ISBN 4-532-19139-4 
  30. ^ a b アサヒ「スーパードライ」、22年連続年間1億ケース突破 - MSN産経ニュース 2010年12月6日
  31. ^ 「スーパードライ」を飲み干す「アサヒ本生」 - FINANCE Watch 2001年3月26日
  32. ^ アサヒビールグループの概要と事業方針 (PDF) - アサヒビール 2008年10月
    衝撃的シェア逆転から失地回復 - 日経ビジネスオンライン 2007年10月12日
  33. ^ サントリー、「ホップス・ドライ」全国販売へ - 日本食糧新聞 1995年6月12日
  34. ^ 商品名が酷似、使用中止を アサヒがサントリーに警告”. 47NEWS (2002年6月13日). 2012年5月14日閲覧。
  35. ^ a b 「ドライ戦争」が収束 サントリーが商品名変更”. 47NEWS (2003年3月14日). 2010年12月1日閲覧。
  36. ^ 「糖質ゼロ」戦争勃発! さて、どの“ゼロ発泡酒”がうまいか? - 日経トレンディネット 2008年2月21日
    “ドライ”“ゼロ”戦争で実現「アサヒ勝ちパターン」 - プレジデントロイター 2009年10月14日


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ドライ戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 13:49 UTC 版)

ドライビール」の記事における「ドライ戦争」の解説

スーパードライ』のネーミング用いられた「スーパー」は、根拠無く商品優れていることを誇示し優良誤認ネーミングで「ビールの表示に関する公正競争規約」に違反していた。アサヒ当初から違反認識していた。そこで、銀行から派遣されていた当時の社長が、大蔵省から天下っていた副所長大蔵省への工作命じた大手ビール会社業界団体であるビール酒造組合大蔵省へ、公正取引委員会裁定を仰ぐことを事前に相談行った。すると、大蔵省ビール酒造組合に対して、事を荒立てずに更に話し合うようにと指導したアサヒビール工作功を奏し、『スーパードライ』は使われ続け、後にアサヒは、「スーパーイースト」も発売した。 『スーパードライ』のヒットを受け、この状態に歯止めをかけるべく競合3社も追随して、翌1988年1月ドライビール発売概要発表。これに対しアサヒ1月知的所有権侵害問題として「名称・ラベルが『スーパードライ』に似すぎており消費者誤解与える」という抗議文を内容証明キリンサッポロビール(以下「サッポロ」)に送付するなど、ドライビール名称について議論ドライ論争が行われたが、競合各社が名称変更しアサヒ側が譲歩したことで同月中に収束した。この論争加熱して新聞などで報じられたことで、ドライビールに関する消費者認知度高まった2月以降から各社からドライビール発売された。他社ドライビール発売が『スーパードライ新発売から約1年遅れた理由として、ビール新商品開発・試作生産には時間が掛かることや、1980年代において主力新商品発売本格シーズン到来前の春が恒例であったことが挙げられている。アサヒ以外の3社の動向次の通りだった。 キリンビール 1988年2月22日に『キリンドライ』(CM俳優ジーン・ハックマン起用しCMソングにはミュージシャン鈴木雅之起用)、1989年4月麦芽100%オールモルトドライビール『キリンモルトドライ』を発売販売数量はキリンドライが1988年4000ケース1989年1750ケースで、モルトドライが1989年350ケース。しかし『スーパードライ』の独走止めることはできず、1988年にはそれまで維持していた日本国内シェア50%を割っている。 サッポロビール 1988年2月26日に『サッポロドライ』(CM吉田拓郎広岡達朗石田えり起用)を発売販売数量は1988年2300ケース1989年950ケース。しかし、それまで同社ファンからは不評発売2年足らず生産中止。さらにドライ感を強めた『サッポロハーディ』や『サッポロクールドライ』を1989年発売するも、短期間生産終了している。 サントリー 1988年2月23日、『サントリードライ』を発売販売数量は1988年1300ケース1989年750ケース差別化戦略としてアルコール度数を5.5%に高めた『サントリードライ5.5』も発売しCMボクサーマイク・タイソン起用したことが話題になった販売数量は1988年200ケース。その一方モルツ』のCMでは「私はドライではありません」と謳っていた。1989年には二条大麦六条大麦のダブルモルトを使用した麦芽100%ドライの『冴』を発売し、こちらは和風イメージ差別化図った各社発売したドライビール想定上の需要押し寄せ2月下旬には品不足態となったが、アサヒ前年から需要拡大販売計画立て供給力余裕があったことから、他社潜在需要在庫があった『スーパードライ』に流れた。さらにアサヒ生産能力の向上に努め、『スーパードライ』に傾斜した生産体制をとり、他社独走体制阻止を図るためにドライビール生産増強販促宣伝活動注力した。この状態をマスコミは「ドライ戦争」と表現して盛んに用いた前述)。 ビール業界の間では、前述のように先々見据えた展開を行ったアサヒがドライ戦争の勝者となると序盤戦から予想されていた。同年6月27日アサヒ新聞各紙において『スーパードライ』の広告掲載行い、「この味が、ビール流れ変えた。」の表現事実上の“ドライ戦争の勝利宣言”と捉えられ大きな反響呼んだ同年夏の需要期にはアサヒ含めた各社ドライビール品薄状態が目立つようになっていたが、夏商戦引き続きアサヒ有利に展開したその結果明らかになり始めた8月終盤から新聞において「ドライ人気一時的」「ドライ人気秋風!?」「ドライにかげり?」といった見出しが目立つようになり、競合他社ドライビール一過性のブーム捉えていたことから、同年後半ドライ偏重戦略改め従来主力商品力を入れたり、新たな次期主力商品模索し始めるなど、アサヒ以外の各社ドライビール戦争から戦線離脱した態となった。 他社発売したドライビール売上1988年従来新製品比べる好調部類入り1988年ドライビール市場1億5000ケース規模となり全ビール市場における割合前年の3%(アサヒのみ)から34%(全社合計)と急上昇した一方でドライ以外の銘柄売上低下する共食い現象発生したり、前年に「ドライビールスーパードライ」のイメージ消費者にて形成されていたことで、他社ドライビール宣伝しても客は元祖の『スーパードライ』に流れ状況となっていた。 結果的に時代新たな潮流生む確信してドライビール取り組んだアサヒ圧倒的支持を受け、1988年販売数実績7500ケース記録したスーパードライ』の勝利でドライ戦争は終了した。この好影響を受け、同年ビール市場占有率アサヒサッポロ抜き2位上昇した。 ドライ戦争は他にも影響及ぼしており、亀田製菓柿の種ビールに合うおつまみとして需要拡大定着するなどの要因で、同時期において売上は3倍弱の伸び率記録した

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ドライ戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 03:20 UTC 版)

日本のビール」の記事における「ドライ戦争」の解説

1980年代中盤頃のアサヒビールは「夕日ビール」と揶揄されるくらいに業績低迷していた。当時苦味のあるラガースタイルが日本のビール主流であったところにアサヒ麦芽量を減らしコーンスターチなどの副原料比重増やすことで発酵度を高めアルコール度数高くした「アサヒスーパードライ」を開発1987年発売開始する従来アサヒビールも「コクがあってキレもある」との評価だったが、その評価を更に推し進めキレ」に徹した商品であった地域限定発売されスーパードライは、すぐに全国展開される。スーパードライ初年度売上は、1350箱とビール新製品売り上げ記録更新することになったスーパードライヒットによって、アサヒビール業績回復するまた、1988年より他社スーパードライ類似した商品発売し、「ドライ戦争」と呼ばれることになる販売競争始まった。 「ドライ戦争」の商戦結果ビール市場全体拡大しており、スーパードライ発売前となる1986年1990年比較した場合市場32%拡大をした。 詳細は「ドライビール#ドライ戦争」を参照

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