附属池田小事件 事件の経緯

附属池田小事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/04 14:12 UTC 版)

事件の経緯

事件前日

事件前日の2001年平成13年)6月7日夜、宅間は自宅マンションで過去に思いを巡らせ、「何をやっても裏目に出る」と考えていた。3回の離婚経験があり、3人目になる元妻との復縁を試みていたがうまくいかず、それどころかますます離れていくばかりだった。宅間が小学校勤務をしていたときに、ある薬物混入事件を起し免職になっていた。この事件も、彼女と別れて苛々していたから起こしてしまったのだと考え、「彼女と知り合っていなければ、こんなことにはならなかった」と全ての責任を押し付けて恨みを募らせた[10]消費者金融からの借金が300万円以上ある上に家賃も請求され、自身の将来の見通しが全く立たない絶望感に駆られる。復縁を求めていたのにもかかわらずいつしか彼女への憎しみに変わり、上記のような原因を作ったとされる元妻を殺害すべく、彼女の勤務先がわかっていたときに殺しておけばよかったと後悔する。だがしかし、それと同時に[11]、生活に行き詰まっても自殺もできない自分が情けなく、苛立たしく思った。だが次第に「自殺しても元妻らが喜ぶだけだ。あほらしい」「大量に人を殺害すれば、元妻は自分と知り合ったことを後悔するだろうし、世間の多くの人も絶望的な苦しみを味わうだろう」という考えに変化していった。大阪市内の繁華街へダンプカーで突っ込むことも考えたが、小学生を襲うのが簡単だと考え、小さい頃に憧れて同時に嫉ましくも思っていた、エリート校の附属池田小を襲うことに決めたという[10]

午後9時45分頃に、宅間は104番の電話番号案内で附属池田小の電話番号を聞き、メモしている。だが宅間も、以前から考えていた元妻の殺害を諦めきれず、日付が変わった午前2時になって、出会いパーティーで知り合った女性との電話で、興信所の調査費用50万円の借金を申し込んだが断られ、附属池田小の児童を無差別に殺害する決意を改めて固めた[11]

事件当日

事件当日の2001年平成13年)6月8日、宅間は午前8時頃に起床し、以前から快く思っていなかったアパートの賃貸人にもアパートを焼損させて復讐しようとの考えから、火の付いた煙草を布団の上に置き、午前9時30分頃に部屋を出た。この煙草の火は間もなく自然に消えており、火災には至っていない[11]

午前9時40分頃(事件の40分前)、宅間とみられる男が、白い乗用車を運転し猛スピードで駐車場から出ていった様子が目撃された。目撃した人物は「何かやるぞと感じた」という[12]。宅間は午前10時前に刃物店を訪れると「丈夫なやつ」と告げ、ケース入りの出刃包丁1本(刃体の長さ約15.8 cm[1])を7480円で購入[10][11]。車内でケースから包丁を取り出してビニール袋に入れると、前日にメモしていた附属池田小の電話番号をカーナビゲーションに入力し、同校へと向かった[11]。附属池田小に着く直前に思ったのは「よく考えると僕死んどったんじゃないか。たまたま助かっただけやないか、と思ったのを覚えているんです。(病院から)飛び降りたときに。あの時死んどったんや。おまけ(の人生)やないか、と」ということであったという[13]。車内には、元妻を殺そうとの目的で以前から準備していた文化包丁もあった[10]

宅間は大阪教育大学附属池田小学校東門の前に車を停めると、約100メートル離れた南校舎へ向かい[14]、午前10時10分過ぎ、1階にある2年生の3教室に次々と侵入し犯行に及んだ。時間は2時間目の授業が終わった休憩時間で、2年南組担任の教諭は、数人の児童と共に花壇の世話のため外へ出ていたが、児童の悲鳴を聞いて校舎へ近づき、2年東組担任と1年南組担任の教諭が宅間を追いかけているのを目にした。1年南組担任は、宅間の振り回した包丁で背中を刺されている。2年南組担任がテラスに出ていた児童にグラウンドへ逃げるよう指示すると、宅間は一瞬児童らを追う素振りを見せたが、方向を変えて1年南組教室へと飛び込んだ[14]

午前10時20分、1年南組の児童たちはちょうど音楽の授業から教室へ戻ってきたところで、一足早く音楽室から戻ってきていた男児が、ここで刺され犠牲となった。宅間は他の児童にも次々と切りつけ、教室の後ろにいた女児らは泣きながら廊下へと逃げ出した。駆け付けた副校長と2年南組担任が宅間と格闘になり、2年南組担任は包丁を持った手を押さえようとして顔を切られた。しかし手を押さえられると宅間はおとなしくなり、二人により取り押さえられた。15分に及んだ犯行の間、宅間は終始無言だった[14][注 1]

児童8名(1年生1名、2年生7名)が殺害され、児童13名・教諭2名が傷害を負った[16]。その後、宅間は駆けつけた池田警察署の署員により、殺人未遂容疑で現行犯逮捕されたが、左手指に怪我をしていたため、まず病院で手当てを受けた[17]。その後、大阪府警察捜査一課・少年課)が池田署に設置した捜査本部により、容疑を殺人容疑に切り替えられ、取り調べを受けた[4]。その後、同月10日には1年南組の児童4人に対する殺人および殺人未遂(男児1人を刺殺し、同級生3人を負傷させた)容疑で、大阪地方検察庁送検された[18]。残る2年生の女児7人への殺人容疑と、児童および教師計12人への殺人未遂容疑、そして銃刀法違反容疑でも、同月29日に再逮捕された[19]

宅間は7月8日から刑事責任能力を調べるため、大阪地検によって大阪拘置所に鑑定留置され、翌日(7月9日)から本格的な精神鑑定を受けた[20]。当初の留置期限は10月7日まで(3か月間)だったが[20]、同年9月6日には鑑定人が大阪地検に「完全責任能力があった」とする鑑定結果を報告した[21]。これを受け、大阪地検は早期起訴を目指し、鑑定留置期間の短縮を大阪地方裁判所に申請[22]。それが認められたことから、鑑定留置は同月13日午前をもって終了し[23]、宅間は翌日(9月14日)に大阪地検によって、児童8人への殺人罪や、児童および教師15人に対する殺人未遂などの罪で、大阪地方裁判所起訴された[5]。また、同月25日には余罪(傷害・暴行・器物損壊)の罪でも追起訴され、一連の捜査は終結した[24]

事件後

宅間は取り調べで、事件を起こした理由について「エリートでインテリの子をたくさん殺せば、確実に死刑になると思った」などと供述していた[25]

逮捕当初、宅間は精神障害者を装った言動を取っていた[注 2][注 3]。しかし、被疑者に対して起訴前と公判中に2度行われた精神鑑定の結果で、2度とも「情性欠陥者で妄想性などのパーソナリティ障害は認められるが、統合失調症ではなく、責任能力を減免するような精神障害はない」となり、事件の責任能力を認める結果が出た[27]。また、同時に宅間の犯行時の制御能力について「2、3歳程度の水準にまで」退行していた可能性があるという判断がされた[28]

宅間は逮捕直後に「薬を十回分飲んだ。しんどい」と供述して医師の診察を受けた[29]が、宅間が飲んだとされる薬は通院先の病院などを調べた結果、抗精神病薬「セロクエル」と抗うつ薬「パキシル」、睡眠剤「エバミール」の三種類と判明した[29]。仮にこれら全部を宅間の供述通り10回分服用しても眠くなるだけで、奇怪な行動を起こすことはない[29]

また宅間の自宅を捜索すると、睡眠薬や抗精神病薬など10数種類、約200錠の薬物が押収[29]されたが、これは宅間が複数の病院に通院しては、医師に「眠れない」などと睡眠障害・不眠症を偽って(いわゆる詐病の一種)薬を処方してもらい、服用せずにため込んでいた[29]ものだった。さらに、逮捕後に宅間の血液や尿を採取して仮鑑定した結果、精神安定剤の成分が検出されなかった[29]捜査員がこの事実を宅間へ突きつけると、「すみません。薬は飲んでいません。作り話でした」と偽証していたことを認めた[29]。逮捕直後池田警察署に連行されたが、座ることもできないほど疲労した状態であり、楽になるための一時的な申告であったという[30]

弁護団によると、初公判が近付くにつれ宅間は多弁になり、「こんなことを言ったらマスコミは騒ぐかな」「(自分に対する)傍聴人の不規則発言は退廷させられるんですかね」などと語っていた。また、弁護団は遺族の思いを伝えることで内省を深めさせようと、宅間に遺族ら被害者の調書150点を差し入れていた。しかし返ってきたのは「遺族にとても聞かせられない言葉」であったといい、弁護団も「公表は控えたい」と口をつぐんでいる[31]

夏には弁護士に、反省の気持を綴った手紙を3通送っていたが、のちに弁護士も「こんなに上手に謝罪の手紙が書けるということを示したかったのかもしれない」と振り返っている。自分の気持ちを本に書かないかとも言われていたが、「高く売れるんだったら書きましょうか」「フェルトペンでは書きにくいから」として、その気を示さなかった[31]

またこの頃、「こんなところでいたずらに生かされるのは嫌だ」「死刑になってもなかなか執行されないなら、早くやるよう訴訟を起こそうかな」などと話しており、弁護士も「普通の感覚では理解できない。精神医学でどの程度説明できるのだろうか」と洩らしている[31]


注釈

  1. ^ 最後の一人を刺し終えた瞬間、凶器である出刃包丁を自ら落として、「あーしんど!」と呟いたとの週刊誌の報道もある[15]
  2. ^ 取り調べで「オレは学校なんか行ってない。阪急池田駅で人をメッタ斬りした」と不可解な発言をした[26]
  3. ^ 宅間は過去に15回もの逮捕歴(高速道路の逆走、実兄の愛車である高級輸入車を「サラリーマンが外車なんか乗るな!」と角材で破壊する行為、小学校教諭が飲む茶に精神安定剤を混入させる行為など多岐にわたる)を持つが、精神科通院歴が理由で不起訴処分(あるいは保護観察処分)という比較的軽い処分を経験している[26]
  4. ^ 裁判長は川合昌幸、陪席裁判官は畑口泰成・渡邊英夫の両名[7]。右陪席は畑口、左陪席は渡邊(いずれも判事補)がそれぞれ担当した[37]
  5. ^ 『読売新聞』は刑務官の人数を「4人」[39]、『朝日新聞』は「5人」とそれぞれ報じている[40]
  6. ^ 刑事訴訟法では、法廷秩序を乱した被告人を退廷させて判決を言い渡すことができることが規定されているが、被告人不在のまま死刑が宣告されたことは極めて異例[38]。同様の例は宅間以前に、松川事件の第一審判決公判(1950年)で、福島地裁が被告人全員を退廷させた上で、被告人5人を死刑に、別の被告人5人を無期懲役に処す判決を宣告した事例がある[37]
  7. ^ a b 死刑判決の際、主文が冒頭で宣告された事例は本事件以外にも、京都・大阪連続強盗殺人事件[38]富山・長野連続女性誘拐殺人事件[41]藤沢市母娘ら5人殺害事件[42]東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(被告人:宮崎勤)、大阪連続バラバラ殺人事件[38]広島タクシー運転手連続殺人事件[43]などがある。
  8. ^ 2004年度(平成16年度)に改称[63]
  9. ^ 大阪教育大学附属池田小学校と池田市立池田小学校の2校は歴史的に関連がある。

出典

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  5. ^ a b 『読売新聞』2001年9月15日大阪朝刊一面1頁「大教大池田小児童ら殺傷 宅間容疑者を起訴 大阪地検「責任能力は完全」と判断」(読売新聞大阪本社)
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  25. ^ 北日本新聞』2001年6月11日夕刊一面1頁「大阪・校内児童殺傷 「エリート殺せば死刑に」 宅間容疑者犯行認める 凶器は直前に購入」(北日本新聞社)
  26. ^ a b 一橋文哉 2003, p. 398.
  27. ^ 一橋文哉 2003, p. 398-399.
  28. ^ a b 『死刑囚200人最後の言葉』(2019年8月22日、宝島社発行)204ページ。
  29. ^ a b c d e f g 一橋文哉 2003, p. 403.
  30. ^ 岡江晃 2013, p. 252.
  31. ^ a b c d e 『朝日新聞』2001年12月27日東京夕刊社会面23頁「『座ったらあかんか』 池田小事件初公判 宅間被告、突然声あげ 起訴状朗読中 裁判長『立ってなさい』」
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  33. ^ 石原慎太郎『凶獣』(2017年、幻冬舎)
  34. ^ 『読売新聞』2003年6月26日大阪夕刊一面1頁「池田小事件 「宅間被告、心神喪失か耗弱」 弁護側、最終弁論で主張/大阪地裁」(読売新聞大阪本社)
  35. ^ a b c 『読売新聞』2003年6月27日大阪朝刊一面1頁「付属池田小事件結審 宅間被告「死ぬことびびっていない」 8月28日に判決」(読売新聞大阪本社)
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  38. ^ a b c d e f g 『読売新聞』2003年8月28日大阪夕刊一面1頁「池田小児童殺傷事件 宅間被告に死刑判決 冒頭に暴言、退廷/大阪」(読売新聞大阪本社)
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  43. ^ 『読売新聞』2000年2月9日大阪夕刊第一社会面19頁「4女性殺害の元タクシー運転手に死刑 『冷酷非情、責任重い』 /広島地裁判決」(読売新聞大阪本社)
  44. ^ a b 『朝日新聞』2003年8月28日東京朝刊第4版第一総合面1頁「大阪・附属池田小事件 宅間被告に死刑 地裁判決 「完全な責任能力」 宅間被告、冒頭で騒ぎ退廷 再発防止策願う」(朝日新聞東京本社) - 『朝日新聞』縮刷版 2003年(平成15年)8月号1353頁
  45. ^ 『読売新聞』2003年9月10日大阪夕刊一面1頁「大教大付属池田小児童殺傷事件 宅間被告弁護団が控訴 本人「取り下げ」焦点」(読売新聞大阪本社)
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