辻口博啓 辻口博啓の概要

辻口博啓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/02 10:08 UTC 版)

つじぐち ひろのぶ
辻口 博啓
生誕 (1967-03-24) 1967年3月24日
石川県七尾市
出身校石川県立中島高等学校
職業パティシエショコラティエ
著名な実績「全国洋菓子技術コンクール」優勝
「コンクール・シャルル・プルースト」銀賞受賞
「クープ・ド・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」あめ細工部門優勝
「C.C.C.」ショコラ品評会「ゴールドタブレット(金賞)」受賞
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略歴・人物

  • 1967年:石川県七尾市の和菓子屋「紅屋べにや」の長男として生まれる。元々は実家を継ぐつもりだったが、小学3年の時に招かれた友人の誕生日会で生まれて初めてショートケーキを食べ、そのおいしさに感動し、洋菓子職人を志すようになった[1](実家は18歳の時に倒産[2])。
  • 1990年:史上最年少の23歳で「全国洋菓子技術コンクール」優勝。その後、多くの国内大会で優勝し「コンクール荒らし」と呼ばれる[2]
  • 1994年:フランスの「コンクール・シャルル・プルースト」で銀賞[4]
  • 1997年:パティシエのワールドカップと呼ばれる「クープ・ド・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」のあめ細工部門で優勝[4]。フランスのセット市にあるMOF(フランスの国家最優秀職人章)の称号を持つ洋菓子店「パティスリー・ベルタン」で修行を重ねる。
  • 1998年3月:東京自由が丘に「モンサンクレール」をオープンし[5]シェフパティシエに、2001年にはオーナーパティシエになる。
  • 1999年:同年2月12日に放送したフジテレビ料理の鉄人』に出演。イタリアンの鉄人・神戸勝彦バナナ対決で破り、パティシエとして初めて勝利した。その後、ロールケーキ専門店、コンフィチュール専門店などを次々に開店[5]
  • 2000年:ガストロミックの会モンタニエよりシュバリエを受賞。料理オリンピックのイタリア代表としてドイツに招かれた。これによりイタリア鉄人協会会員となる。
  • 2004年二子玉川の百貨店内に「和楽紅屋」オープンし実家の紅屋の再建が叶う[5]
  • 2006年:石川県の和倉温泉で「辻口博啓美術館 ル ミュゼ ドゥ アッシュ」を開館した。
  • 2008年:スイーツとライフスタイルをテーマとしたWebマガジン「SUPER SWEETSスーパースイーツ」を発起人としてスタートさせた[6]9月20日、石川県金沢市の石川県立美術館内に「ル ミュゼ ドゥ アッシュ KANAZAWA」をオープン。
  • 2009年6月:菓子作りをインターネットで学べる「SUPER SWEETS SCHOOL」を開講[1][7]
  • 2011年8月:ベトナムの農薬無散布の茶畑にて収穫された、こだわりのお茶「天空の辻口茶園」の商品販売をスタート[8]。10月、SUPER SWEETS SCHOOL自由が丘校を開校。
  • 2012年4月:石川県に「スーパースイーツ製菓専門学校」(学校法人国際ビジネス学院)開校。学校長に就任。
  • 2013年:スーパースイーツ製菓専門学校の別科「アトリオ」開校。atre品川に豆スイーツ専門店「Feveフェーヴ」、長崎県佐世保市に「アトリエ アッシュ」を開店。C.C.C.のショコラ品評会で最高位「5タブレット+★」を受賞。
  • 2014年:「H CHOCOLAT SUPPLEMENT」販売開始。東京都麻布十番に「和楽紅屋 麻布十番本店」、渋谷ヒカリエShinQsに「和楽紅屋」、東京都立川市に「和楽紅屋 ルミネ立川店」「フェーヴ ルミネ立川店」、石川県金沢市に「ル ミュゼ ドゥ アッシュ 百番街店」「ル ミュゼ ドゥ アッシュ エムザ」、韓国ソウル市に「モンサンクレール ソウル」を開店。
  • 2015年:糖質コントロールチョコレート「ショコラ ユニバース」販売開始。東京・銀座に「ル ショコラ ドゥ アッシュ 銀座本店」、JR名古屋駅・名古屋うまいもん通りにチーズタルト専門店「Cuitte(キュイット)」を開店。
  • 2019年1月:辻口博啓の素材探しから新作完成までに密着した日本発のショコラ・ドキュメンタリー映画『LE CHOCOLAT DE Hル ショコラ ドゥ アッシュ』が公開。第67回サン・セバスティアン国際映画祭、第8回ロングビーチ国際映画祭、Lift-Off Film Festival、第45回シアトル国際映画祭にて正式上映された。

肩書・公職・役職


  1. ^ a b 「時代を駆ける:辻口博啓:HIRONOBU TSUJIGUCHI (1)」 『毎日新聞』 2010年2月1日、12版、5面。
  2. ^ a b 「時代を駆ける:辻口博啓:HIRONOBU TSUJIGUCHI (3)」 『毎日新聞』 2010年2月3日、12版、9面。
  3. ^ 「時代を駆ける:辻口博啓:HIRONOBU TSUJIGUCHI (2)」 『毎日新聞』 2010年2月2日、12版、9面。
  4. ^ a b 「時代を駆ける:辻口博啓:HIRONOBU TSUJIGUCHI (4)」 『毎日新聞』 2010年2月9日、12版、9面。
  5. ^ a b c 「時代を駆ける:辻口博啓:HIRONOBU TSUJIGUCHI (5)」 『毎日新聞』 2010年2月10日、12版、9面。
  6. ^ SUPER SWEETS”. 2011年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年7月3日閲覧。
  7. ^ SUPER SWEETS SCHOOL”. 2010年2月21日閲覧。
  8. ^ 天空の辻口茶園”. 株式会社T Project. 2012年5月18日閲覧。
  9. ^ “最優秀チョコ職人に辻口さんら フランスで受賞”. 共同通信社. 47NEWS. (2013年11月1日). オリジナルの2014年8月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140827042512/http://www.47news.jp/CN/201311/CN2013110101001301.html 2013年11月1日閲覧。 
  10. ^ ドキュメンタリー映画「LE CHOCOLAT DE H」 | 日本が世界に誇るショコラティエ辻口博啓、新たな挑戦”. 「ドキュメンタリー映画「LE CHOCOLAT DE H」」製作委員会. 2022年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月29日閲覧。
  11. ^ 「辻口さんの物語に見入る 赤羽ホールで県工高生 ドキュメンタリー映画試写会」(2019年1月18日付北國新聞朝刊27面)2021年3月22日閲覧


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