軍事戦略 軍事戦略の学派

軍事戦略

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/25 06:19 UTC 版)

軍事戦略の学派

陸軍の戦略

陸軍は最古より存在してきた軍事力の形態であり、人間が陸上で定住生活を営む限り陸上戦力の重要性は不変である。近代までは地上部隊の戦略的運用は戦略一般から区分されないまま研究されていたが、より体系的な陸軍の戦略の考察はナポレオン戦争を経て登場したジョミニの研究に始まる。

近代的な軍事戦略の提唱者としてはマキアヴェッリが挙げられるが、彼の後にライモンド・モンテクッコリセバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバンモーリス・ド・サックスによる研究がなされる。このような戦略思想を背景とながらプロイセン国王フリードリヒ2世はオーストリアとの戦争を通じて消耗戦の戦略思想を発展させ、一方で後のナポレオンは敵を徹底的に殲滅戦の戦略を実践してそれまでのヨーロッパにおける戦略思想に大きな影響を与えた。

ナポレオンの影響はジョミニの『大陸軍作戦論』や『戦争概論』にも示されており、この著作では戦場における幾何学的な戦力の相対的な配置と各々の戦力が持つ後方連絡線の意義についての考察をまとめた上で、戦いの原則をまとめた。この戦いの原則は陸軍戦略だけでなくマハンの海軍戦略の思想にも大きな影響を与えている。

海軍の戦略

海軍がその軍艦の開発が進んで軍事力としての価値が高まり、また貿易の増加や植民地化が進行するにつれて海軍の戦略についての研究が近代以降進められるようになってきた。

海軍の戦略を始めて本格的に論じたのは18世紀のロシア海軍フョードル・ウシャコフである。ウシャコフは戦略と海戦の戦術を明確に区分しないままに論じた。19世紀後半にはイギリスのコロム中将によってそれらが整えられ、制海権の概念が提唱された。

さらにマハンの『海上権力史論』によってシーパワーの概念が提唱され、海洋に関わる戦略理論の基盤を構築した。それにおいては、艦隊、根拠地、シーレーンなどの戦略的要素から構成されるシーパワーは、制海権の維持と海洋権益の活用をもたらす、とする。

マハンのような攻勢的な海軍戦略に対して、全く異なる戦略が1880年ごろから青年学派から提唱された。イギリス海軍のような戦艦を中心とした大規模な艦隊に対して真っ向から対決することの財務的なコストに注目し、潜水艦機雷巡洋艦を中心とした海軍を編成することの効率性を根拠に守勢的な海軍戦略を主張した。

空軍の戦略

ライト兄弟が1903年に飛行実験を成功させると航空機が重要な軍事力として価値を占めるようになる。航空機はそれまでの陸地や海洋などの地形地物の影響を受けない唯一の戦力としての潜在性を持っていたが、そのことが認識されるためには第一次世界大戦の軍事的経験が必要であった。

1921年にイタリアのドゥーエは『制空』において航空攻撃の重要性を主張して独立空軍の創設、戦闘機による制空権の獲得、戦略爆撃の実施を論じた。この議論は初めて航空戦力に基づいた航空戦略の思想であった。アメリカでもミッチェルが将来戦争の主役は航空部隊であり、これは戦闘機、戦術爆撃機攻撃機など複数の航空機からエアパワーを構成するものであった。しかしこの思想が発表された当初は航空戦力の評価が定まっておらず、正当な戦略理論として理解されなかった。

1950年代に航空機がジェット機になるなど技術革新が進み、また核兵器が登場すると大量報復の一環として戦略爆撃機が導入され、航空戦略の価値が再評価されるようになった。中東戦争でも戦術空軍の意義が認識され、精密誘導兵器や無人飛行機の導入で航空戦略は現在も変化している。

核兵器の戦略理論

核兵器が発明されるとその破壊力をどのように戦略的に活用すればよいのかという核戦略の議論がされるようになった。ブローディは「絶対兵器」(1946年)において、核兵器は僅かな使用であっても都市圏を破壊する上に有効な対抗策がないため「絶対兵器」であると称して核兵器を独特な軍事力として位置づけた。アメリカは1950年代に大量報復戦略を打ち出したが、リデル=ハートはこの核戦略の議論で、核兵器が従来のように実施されてきた戦争の概念を旧式化したと論じた。彼の『抑止か防衛か』では通常軍備の意義を強調しながらも、戦術核兵器について戦場では威力を発揮するが、戦争そのものの規模が拡大して核戦争になると論じる。リデル=ハートに続いてオズグードの『制限戦争』(1957年)、キッシンジャーの『核兵器と外交政策』(1957年)、トーマス・シェリングの『紛争の戦略』(1963年)などによる理論的進歩があり、核兵器によっていかに核抑止を成り立たせ、また戦争においては制限戦争に留めるための戦略理論が構築された。

革命の戦略理論

20世紀にマルクス主義の政治イデオロギーを実現しようとする革命運動が成立すると、その政治戦略としての革命理論だけでなく軍事理論の構築も求められるようになった。革命の観点からの戦略の研究はカール・マルクスの同志であったフリードリヒ・エンゲルスの軍事研究があるが、革命を実践するための戦略理論を体系化した戦略家は毛沢東である。毛沢東は『遊撃戦論』(1938年)などの著作の中で正規軍に対する非正規軍の戦い方を示しており、ゲリラ戦の枠組みを構築した。毛沢東の戦略理論はその後の多くの革命家によって参照され、ヴォー・グエン・ザップ人民の戦争・人民の軍隊』やチェ・ゲバラゲリラ戦争』(1960年)などの著作にその影響を認めることができる。革命戦略の理論は他の軍事戦略の理論とは異なり、戦場での圧倒的な勝利ではなく敵に対する一撃離脱の奇襲的な作戦を重視し、民衆の政治的支持を重視することが特徴である。


  1. ^ 現代の戦略と戦術の概念をもたらしたのはマイゼロアとも言われているが、ここでは佐藤堅司著『世界兵学史話』(学問書院、昭和11年)を参考にしている。


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