第二次中東戦争 背景

第二次中東戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 05:50 UTC 版)

背景

スエズ運河

スエズ運河はフランスおよびエジプト政府による資金援助で1869年に開通した。しかし、この建設費負担の為にエジプトは財政破綻し、エジプト政府保有株はイギリスに譲渡された。エジプトはイギリスの財政管理下におかれ、後に保護国となった。運河はイギリスにとってインド北アフリカおよび中東全体への戦略上重要な地点であり、その重要性は2つの世界大戦によって証明された。第一次世界大戦時、運河は英仏によって同盟国側の船舶通航が禁止された。第二次世界大戦時は北アフリカ戦役において粘り強く防衛され、連合国軍のレンドリースを含めた物資輸送や兵力の輸送に利用され、戦局に貢献を与えた。

エジプト革命

1952年軍事クーデターで政権を掌握した自由将校団は、ムハンマド・ナギーブ将軍大統領に擁立すると、翌年に国王フアード2世を退位させ共和制へと移行させた。また、スエズ運河地帯に駐留していたイギリス軍を撤退させる協定を結ばせる一方で、冷戦構造において二大国のどちらにも関わらない非同盟主義にたつなどアラブ世界の糾合に努めた。しかし、アメリカがイスラエルへの配慮からエジプトへの武器供与に消極的だったこともあり、1955年9月27日東側諸国チェコスロバキアと兵器協定を締結して新式の兵器を購入すると(エジプト=チェコスロバキア武器取引英語版)、中東における軍備供給の独占を崩された西側諸国との代理戦争の様相を呈し、フランスは対抗措置として最新の戦闘機をイスラエルに売却し、アメリカやイギリスなどからアスワン・ハイ・ダム建設資金の世界銀行の融資を撤回されるという報復を受けた[3]。こうした中、1956年に大統領に就任したガマール・アブドゥル=ナセルは、7月26日にスエズ運河の国有化を行なった[4]

戦争計画

このナセルのやり方に憤慨したイギリスのアンソニー・イーデン首相は運河の国際管理を回復するために数ヶ月間に渡りエジプトとの交渉を続けたが、結実は成せず、フランスと協力してエジプトへの軍事行動を構想し始めた[5]

また、フランスは当時アルジェリア戦争においてエジプトがアルジェリア民族解放戦線に対する各種援助を提供する実質上の庇護者であると誤解し、ナセル政権を打倒することこそがアルジェリアにおける紛争終結に結びつくと考えた。

7月から8月にかけてパリロンドンを訪問したイスラエルのシモン・ペレス国防相はイギリスとフランスがエジプトへの軍事行動を本格的に考えていることを知り、9月半ばに再びパリへ赴き、戦争に備えるための武器の調達に奔走した。フランスはイスラエルへの武器提供を積極的に支援し、ペレスはフランスのイスラエル支持の姿勢を確かめることになった[6]

英仏両国政府はエジプトに侵攻してスエズ運河地帯の確保を画策したが、第二次世界大戦以後、かつてのような侵略目的の戦争は非難を浴びる社会となっていたことから、英仏が目をつけたのが第一次中東戦争でエジプトと敵対していたイスラエルであった(エジプト革命の際にイスラエルはエジプトを攻撃しており、これに激怒したナセルは、イスラエルのインド洋への出口であるアカバ湾紅海をつなぐチラン海峡軍艦をもって封鎖していた。これによってイスラエルは経済に打撃を受けていた)。スエズ運河の利権を確保するために軍事行動の口実を探していた英仏と、チラン海峡における自国船舶の自由航行権を確実なものとするためにエジプト軍シナイ半島から追い払いたいイスラエルは利害が一致した。

ナセル政権打倒で一致していた三国による共同軍事行動をまとめたのは、フランスであった。

10月フランスは、自国の軍用機を派遣してイスラエル側の代表をフランスまで招いた。三国の代表は10月22日 - 24日にかけてパリ郊外のセーブルで秘密会談を行った。イギリスからは外相ロイド、フランスから首相モレ、外相ピケ、イスラエルから首相ベングリオン、外相ペレス、軍参謀総長ダヤンが参加した。三国共同軍事作戦は以下のように遂行されることに決定された。『英仏の海軍艦隊が地中海のエジプト沿岸で待機しイスラエルによる侵攻を待つ。10月29日19時(イスラエル時間)イスラエルがシナイ半島へ侵攻したところで、英仏政府が兵力引き離しのためにイスラエル・エジプト両国に軍をシナイ半島から撤退するように通告する。侵攻されたエジプトは通告を拒否するので、通告から12時間経過した時点でスエズ運河の安全航行確保を名目に英仏軍が介入し、エジプト軍をスエズ運河以西へ駆逐する。スエズ運河地帯を兵力引き離しのための緩衝地帯に設定して平和維持を名目に英仏軍が運河地帯に駐留し、イスラエルはシナイ半島を占領する。』[7]

イスラエルはこのため、フランスより多くの軍事援助を受け取っている。AMX-13戦車250両を獲得したほか、援助の75mm対戦車砲を搭載したM50スーパーシャーマン50両も整備された[8]


  1. ^ a b c d e f g h スエズ戦争”. コトバンク. 2024年3月15日閲覧。
  2. ^ a b c d Israel Defense Forces: Military Casualties in Arab-Israeli Wars (1948 - 1973)”. Jewish Virtual Library. 2024年3月15日閲覧。
  3. ^ 池田亮『スエズ危機と1950年代中葉のイギリス対中東政策』(一橋大学、2008年)p494-498
  4. ^ 「ナーセル」世界大百科事典第二版
  5. ^ ルイス・ギルバート 著、千本健一郎 訳『イスラエル全史【下】』朝日新聞出版、2009年1月21日、17頁。 
  6. ^ ギルバート、千本(p.18 - 25)
  7. ^ Avi Shlaim (1997). “The Protocol of Sevres, 1956: Anatomy of a War Plot”. International Affairs Vol.73, No.3: 509-530. 
  8. ^ 山崎雅弘『中東戦争全史』学習研究社 2001年 ISBN 978-4059010746
  9. ^ a b c ギルバート、千本(p.29 - 41)
  10. ^ a b c d 図説 中東戦争全史 学習研究社 2002年 ISBN 4056029113
  11. ^ ギルバート、千本(p.31)
  12. ^ Chaim Herzog (2005). The Arab-Islaeri Wars: War and Peace in the Middle East. Vintage Books. pp. 117-123 
  13. ^ 鳥井順『中東軍事紛争史』(第三書館、1995年)p335-410
  14. ^ 佐々木雄太『イギリス帝国とスエズ戦争』名古屋大学出版会、1997年2月28日、187-188頁。 
  15. ^ Memorandum of Discussion at the 302d Meeting of the National Security Council, Washington, November 1, 1956, 9 a.m., FOREIGN RELATIONS OF THE UNITED STATES, 1955–1957, SUEZ CRISIS, JULY 26–DECEMBER 31, 1956, VOLUME XVI, pp.902-916.
  16. ^ [1]
  17. ^ 佐々木雄太『イギリス帝国とスエズ戦争』名古屋大学出版会、1997年2月28日、205-206頁。 
  18. ^ John Lewis Gaddis (1993). We Now Know, Rethinking Cold War History.. Oxford University Press. p. 173 
  19. ^ Telegram From the Department of State to the Embassy in Egypt, Washington , November 6, 1956—6:29 p.m., FOREIGN RELATIONS OF THE UNITED STATES, 1955–1957, SUEZ CRISIS, JULY 26–DECEMBER 31, 1956, VOLUME XVI, pp.1032-1033.
  20. ^ 鏡(p.74)
  21. ^ ギルバート、千本(p.41)
  22. ^ Message From Prime Minister Ben Gurion to President Eisenhower, Jerusalem, March 7, 1957, FOREIGN RELATIONS OF THE UNITED STATES, 1955–1957, ARAB-ISRAELI DISPUTE, 1957, VOLUME XVII, pp.379-380.
  23. ^ Douglas Little (2003). American Orientalism, The United States and the Middle East since 1945. I.B.Tauris. pp. 91-93 
  24. ^ 「2-2 NDRF/RRFの歴史」『米国海軍予備船隊制度に関する調査』シップ・アンド・オーシャン財団 1998年5月






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