渋谷駅駅員銃撃事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/15 00:48 UTC 版)
事件の経緯
出所後、熊谷は犯行実行に備え、レンタカー[注 25]で運転を練習しながら、東京駅までの走行時間の下調べ、犯行に用いる衣服・道具[注 26]の購入などの準備を行った[95]。そして「もし犯行に失敗しても、拳銃で自殺すればいい」と考えつつ[80]、同年4月26日には最後の下調べとして東京駅を訪れた[96]。熊谷は他人を信用していなかったため、共犯者を誘うつもりはなく、単独で犯行を決行した[97]。また、犯行前は港の見える丘公園で別れた妻・娘(事件当時18歳)とともに過ごした日々に思いを馳せたり[注 27]、「キヨスクを襲撃して大金を得たら、罪滅ぼしのために人助けに生きてみよう」と考えたりしていた[99]。
東京駅放火未遂事件
2004年5月3日、熊谷は決行の際に身につける服装[注 28]・鞄や拳銃を持って石川町駅(JR東日本・根岸線)から東京駅(東海道線)へ向かったが、地下5階の入り口はシャッターが閉まっていた[注 29][102]。当時は連休(ゴールデンウィーク)中だったため、熊谷は「(事務所のシャッターは)今は閉まっている」と考えて仮宿舎に戻った[102]。その上で「キヨスクのような大きな組織を襲うためには、銃弾6発では足りない。万が一(拳銃での強盗に)失敗して追手に囲まれたら、油を撒いて点火し、拳銃で自殺しよう」と考え、ペットボトルに[100]灯油[注 30][5]を入れて持参した[100]。そして同年5月5日に衣服・結束バンド12本・マスク・サングラス・拳銃および銃弾・灯油[注 30]500 mlを用意して襲撃の準備を済ませ、翌5月6日に決行することを決めた[100]。
犯行当日(2004年5月6日)、熊谷は7時40分ごろに石川町駅を出発して東京駅へ向かい[100]、8時45分ごろに東京駅丸の内北口の改札を出ると、駅構内で作業シャツに着替え、ヘルメットを被った[103]。そして地下2階に下りて地下5階までエレベーターに向かおうとしたが、エレベーターは4階までにしか行けなかったため、やむを得ず地下3階でエレベーターを降り、非常階段で地下5階へ向かった[103]。その上で地下5階にてキヨスクの社員が出社する時刻を見計らったが、しばらく待っても誰も来なかったため、近くにあった台車にゴミの容器を載せ、その上に手提げバッグを置いてエレベーターに乗ったが、そのエレベーターにビールを運搬する人物が乗り込み、怪訝そうな表情で「何階に行くんですか?」と訊かれた[103]。このため、熊谷は「地下5階です」と答えたが、相手から「地下5階には行けませんよ」と返されたため、「地下3階」と答え直した[103]。熊谷はその人物の言葉から「キヨスクの事務所は地下3階だろう」と考え、同階で事務所を探したが見当たらず、地下2階も探してみたが見つけられなかった[104]。この時、熊谷は時計を忘れていたために時間を正確に把握することができず、このことも(標的の事務所が見つからないことと合わさって)焦りを大きくしていた[104]。
やがて熊谷は「今日はひとまず引き上げて、再度決行しよう」とも考えたが、襲撃場所がわからないことに加え、時間的・経済的にも余裕がなかったことから追い詰められていた中で灯油の存在を思い出し、鞄から取り出した[105]。そして16時ごろ、熊谷は東京駅の地下3階倉庫で[106]、灯油を台車に積まれていたダンボールに撒き、その上にライターで点火したティッシュペーパーを投げ込んで点火した[105]。これにより、廃棄するため置いてあったエアコン・ペンキ缶などが焼けたが[79]、建物に燃え移る前に消火され、放火は未遂に終わった[107]。怪我人は出なかったが、横須賀・総武快速線ホーム(地下5階)などに煙が充満し、同線の電車上下6本が東京駅を通過し、乗客約300人が避難した[108]。
点火後、熊谷はエレベーターで地上に出て駅へ歩き、東海道線で石川町に戻り、宿舎にしていた事務所でヘルメット・作業服を処分した[109]。
横浜中華料理店主射殺事件
東京駅放火未遂事件から10日あまりが経過しても熊谷の身辺には捜査の手はおよばず[110]、熊谷は別の犯罪で金を得ようとした[111]。そして、かつて勤務していた横浜市神奈川区台町の警備会社[注 31][112](横浜駅西口付近)の事務所を標的として、拳銃を利用した強盗を企てた[111]。
2004年5月27日14時ごろ、熊谷はその事務所に従業員の給料用の現金を強取しようと企てて侵入[107]。事務所に1人でいた男性警備員(当時64歳)に拳銃を突きつけ「金を出せ」などと脅した上で引き出しなどを物色したが、金がなかったため、何も取らず逃走した[112]。思うように金を手に入れられないことに焦った熊谷は、「横浜中華街の店主宅へ強盗に押し入れば、1,000万円くらいは手に入るだろう」と思いつき、そのために22時ごろに下見に出た[113]。そして、神奈川区の事件から2日後には中華料理店主宅で強盗殺人事件を起こした[112]。
2004年5月29日22時50分ごろ、横浜中華街で中華料理店「白楽天」を経営していた男性(当時77歳)が横浜市中区鷺山の自宅玄関前で射殺され[1]、手提げバッグ(現金約43万5,000円入り)などを奪われた[13]。これは熊谷が被害者の店主から売上金を強取する目的で行った犯行で[107]、熊谷は同日、18時ごろに軍手を嵌め、拳銃を紐で首に吊るしてポケットに入れた状態で家を出た[114]。そして同日22時ごろ、熊谷は標的の店主宅に向かい、同20分ごろに着くとそのまま店主の帰宅を待ち伏せた[注 32][115]。そして店主が帰宅すると、熊谷は植え込みから飛び出して店主に拳銃を突きつけたが、店主から抵抗され拳銃を奪われそうになったため、引き金を引いた[注 33][116]。この時、銃口は店主の右頬に密着した状態で[8][5]、店主は頭部を撃ち抜かれた衝撃で1 mほど後方に吹っ飛んで転倒し[8]、間もなく死亡した[1]。熊谷は店主の鞄を奪って逃走し、本牧通りでタクシーに乗車して[注 34]中華街で降車し、ねぐらの事務所に戻ったが、現金は40万円ほどしかなかった[116]。
神奈川県警察(捜査一課など)は山手警察署内に捜査本部を設置し、強盗殺人事件として本事件を捜査したが[11]、事件発生から1か月間で有力な手がかりは得られず[117]、熊谷の犯行が判明するまで未解決となっていた[118]。
渋谷駅で銃撃事件
熊谷は被害者Aを殺害した後、犯行を後悔しながらも自身が逮捕されることを恐れ、事件翌日には友人から提供してもらっていた横浜中華街のねぐらを引き払い、山谷のドヤ(簡易宿泊所)に移動した[119]。その後、「渋谷駅の地下事務所には大金庫があり、1週間分の売上が貯め込まれている」と考え、同駅で駅員を襲撃して売上金を奪うことを決めた[120]。熊谷はそれに向けて下見を始め[注 35][122]、駅員の通り道を確認し、事件の数日前には簡宿を出てレンタカーを借り、車中泊した[123]。熊谷は事件当時、「犯行後、手にした金を元手に六本木で、世界でも類を見ないような酒場を経営したい」と考えていたが、事件後に自著 (2006) で「今思えば襲撃そのものも、その人生設計も妄想の産物に過ぎなかった」と回顧している[124]。また、事件直前には残された自身の娘の行く末を案じつつ、「もし襲撃が失敗すれば、自分には死刑か自殺しか道は残っていない」と考えていた[125]。
事件当日(2004年6月23日)8時45分ごろ[注 36][3]、熊谷は拳銃を持って渋谷駅に向かい、駅員を待ち伏せていたところ、駅員が通りかかった。この駅員が本事件の被害者男性(事件当時32歳・東京メトロ渋谷駅無区統括駅務係)で、男性は渋谷駅(銀座線)での泊まり勤務を終え、着替えのための洗面道具などを入れた紙袋[注 37]を持ち、半蔵門線の駅事務所[注 1](地下1階)に向かっていた[3]。熊谷は駅員の後をつけ[125]、地下鉄定期券売り場(半蔵門線)[注 38][3]の5, 6メートル手前で駅員に近づき、紙袋をひったくろうとした[127]。駅員は抵抗したが、熊谷は駅員の横腹に拳銃を突きつけ「おとなしく(紙袋を)こっちへ渡せ!渡さないと撃つぞ!」と脅した[128]。しかし駅員が紙袋を離さなかったため[128]、熊谷は殺意を有した上で[5]拳銃の引き金を引いて発砲した[128]。そして紙袋を奪い、駅構内に入って東急東横線のホーム[注 39]に向かい、同線の特急電車に乗車して逃走したが、電車の中で奪った紙袋の中身を調べたところ、金銭は入っていなかった[128]。熊谷は自由が丘駅で下車し、ゴミ箱に帽子・奪った紙袋を捨て、しばらく歩いた先にあったバス停からバスに乗車していったん渋谷に戻り、レンタカーの車内で着替えて横浜へ移動し、蒔田公園で車中泊した[129]。熊谷は当時の心境について、自著 (2006) で「自分の命を賭けてまで無意味な犯行を重ねたことに慄然とし、『キヨスク襲撃に失敗した時に自殺すべきだった』と後悔した」と述べている[129]。
銃撃された被害者の駅員は右腹部に銃弾を受けて重傷を負い、東京都立広尾病院に搬送された[130]。命に別状はなかったが[130]、全治まで約3か月間を要する胃損傷などのほか、脊椎損傷などの傷害を負った[5]。そのため、回復不能な右足の完全麻痺など、重篤な後遺症を負って社会的活動を著しく制約され、生活・人生を大きく狂わされた[8]。事件を受け、東京メトロは事件翌日(6月24日)朝から乗降客の多いターミナル駅計14駅で警備員を1, 2人増員[注 40]し、特に現場となった渋谷駅では警備員を通常の2人から4人に増やして構内を巡回させた[131]。
注釈
- ^ a b c 東京メトロ半蔵門線は渋谷駅で直結する東急田園都市線(東急電鉄)と相互直通運転を行っている。事件当時(2004年)は東京メトロの管理駅だったが、2007年12月2日からは東急の管理駅になっている[2]。
- ^ a b 枕崎町は1949年(昭和24年)9月1日に市制施行[24]。
- ^ 2011年12月時点で新たな死刑確定者にも同様のアンケートを送付している[27]。
- ^ 彼女は「徳久」を拾う少し前、「徳久」と同年代孫の1人が病死しており、同じ年格好の孤児を引き取ろうと考えていた[37]。
- ^ 熊谷は自著 (2006) で、彼のその後について「些細なことで友達を刺し殺し、殺人犯として刑務所に送られた。そのことで養母も酒浸りになり、自身の娘や私(熊谷)を包丁で追いかけ回すようになったため、私は養母の家を出た」と述べている[42]。
- ^ 大分県の特別少年院[43]。
- ^ 最初に懲役刑を宣告されたのは1961年8月(兵庫県内における窃盗容疑で生田警察署〈兵庫県警察〉に逮捕された後)で、神戸地方裁判所にて懲役8月の実刑判決を受け[44]、加古川刑務所に服役した[45]。出所後は「大阪・神戸より東京の方が一般家庭に現金が多く、盗みをしやすい」と考えて山谷で寝泊まりしつつ東京で盗みを働くようになったが、それから1年足らずで下谷警察署(警視庁)に逮捕され、台東簡易裁判所で懲役1年2月の実刑判決を受けて府中刑務所に服役した[46]。
- ^ しかし、熊谷本人は多数の窃盗前科があったため、自ら右翼になることはなかった[51]。
- ^ この結婚について熊谷は自著 (2006) で「当時、ボスからは結婚を反対されていた。彼女との結婚は自分の人生の大失敗のうちの一つだ」と述べている[57]。
- ^ その後、執行猶予を取り消され服役した[8]。
- ^ 熊谷は当時38歳・スナック経営者(横浜市中区山下町)[62]。
- ^ 事件当時の『朝日新聞』 (1978) では「熊谷は今年、店の新築のため約600万円を借金したが、その返済の目処が立たず強盗を計画し、同日朝に新宿で包丁を購入した」と報道している[62]。しかし、熊谷本人は自著 (2006) で「当時は金に困っていたわけではない。妻との結婚生活が破綻に瀕し、精神的に疲弊して自暴自棄になって罪を犯した」と述べている[63]。
- ^ 熊谷は秋葉原駅付近で銀行から出てくる人を待ち伏せて尾行するつもりだったが、尾行の途中で当時の標的と被害者を見誤ったとされる[62]。
- ^ 包丁(刃渡り23 cm)[62]。
- ^ ただし、その鞄の中に現金は入っていなかった。
- ^ 『朝日新聞』 (1978) では「被害者男性の左腰を刺し、1週間の怪我を負わせた」と報道されている[62]。
- ^ 熊谷は自著 (2006) で「(娘の誕生は)自分の人生で最も嬉しい出来事」と述べている[69]。
- ^ 当時、熊谷は1日分の売上をすべて妻に渡していた[78]。
- ^ 熊谷は逮捕後、警視庁特捜本部(渋谷署)の取り調べに対し「1993年ごろ、拳銃1丁と実弾6発を暴力団関係者から購入した」と供述した[79]。
- ^ 熊谷は自著 (2006) で「この時、幼い娘が狂気の父親(自分自身)から母親をかばって楯になったが、この時には『自分のようなやくざの父親から、こんな立派な娘が生まれた』と嬉しく思った」と述べている[81]。
- ^ 東京高裁 (2007) は「重さ約2 kgのダイス(金属製工具)」と認定している[8]。
- ^ 1996年1月22日15時50分ごろ、横浜市中区福富町東通の路上で、東京相和銀行港南台支店の男性嘱託職員(当時70歳)が後ろから来た男(=熊谷)に、頭部を円盤型の鈍器で殴られ、輸送していた小切手2枚(額面約49万円)などが入ったバッグを奪われた[87]。
- ^ 熊谷は「かつて東京駅付近で中華まんの露天販売をしていた際、何度か集金事務所を利用したが、その際に多額の現金を見た記憶があるが、実際には自分が確信していた『集金事務所』は実在しなかった。今思えば自分自身の漠然とした記憶と、人から聞いた噂を混同して『キヨスクの集金事務所には莫大な現金がある』と信じ込んでいただけかもしれない」と述べている[90]。
- ^ 獄中では看守の目を盗んで腕立て伏せ・腹筋運動をしていたほか、運動の時間にはランニング・野球のノックで体を鍛えていた[93]。
- ^ 熊谷は逮捕当時、所持金は数百円しかなく、レンタカー代も滞納していた[94]。
- ^ 変装用のヘルメット・作業ズボンや人を縛る結束バンドなど[95]。
- ^ その際には犯罪計画を練っていることに罪悪感を覚えることもあったが、「(当時)66歳の自分がまともに働いてもたくさんの金は稼げない」と考え、強盗計画を断念することはなかった[98]。
- ^ シャツ・作業ズボン・ヘルメット・黒い運動靴・ゴム手袋・軍手[100]。
- ^ 熊谷は「このシャッターの向こうには、昔から(標的の)集金事務所がある」と考えていたが、実際にはシャッターの向こうは電車の走る線路だった[101]。
- ^ a b 熊谷は自著 (2006) で「軽油」と述べているが[100]、判決では「灯油」と認定されている[5]。
- ^ 熊谷は2002年2月から2か月間、工事現場の交通整理員として同社で勤務していた[112]。熊谷が勤務していた当時の給料日は27日だったため、熊谷はこの日に侵入したが、事件当時は26日に変わっていた[112]。
- ^ 熊谷は指紋を残さないために軍手を嵌めて現場に向かったが[114]、この時には玄関に停まっていた軽自動車に自分の指紋が残るよう、自分の軍手を重ねて置いていた[115]。
- ^ 東京高裁 (2007) および最高裁 (2011) はいずれも確定的殺意があった旨を認定しているが[8][5]、熊谷は自著 (2006) で「店主が抵抗したことで拳銃が彼の顔の前に来た。そして店主が自分から拳銃を奪おうとしたため、思わず引き金を引いた」と述べている[116]。
- ^ タクシーに乗車するまでの間、熊谷は着ていたもの・身につけていたものを脱ぎ捨て、奪った鞄とともに竹藪・路地に遺棄した[116]。
- ^ 熊谷は「自分はいつ死ぬかわからない」と考え、上野公園の西郷隆盛像前・皇居・靖国神社を訪れている[121]。
- ^ 当時、駅は朝のラッシュ時間帯で混雑していたが、通勤通学客らに怪我はなかった[3]。
- ^ 実際の中身は被害者の駅員が着替えのために用意していた洗面道具などだった[3]。当時、熊谷は「この紙袋の中に売上金が入っている」と考えていたが、事件後に自著 (2006) で「常識的に考えて、無造作に持っている紙袋に現金を入れて運ぶはずはない。しかし、当時の自分はこれを『駅員のカムフラージュだ』と思いこんでいた」と述べている[125]。
- ^ 事件当時、同駅の定期券売り場には毎日正午ごろに売上金(1日平均3,280万円)が運び込まれ、取引銀行が警備員と集金に来るまで金庫で一時保管していたが、銀座線の売上金(約1,180万円)は駅務助役・係員が計3人で地上3階の同駅から運び込んでいた[126]。
- ^ 事件当時、渋谷駅の東急東横線ホームは高架ホームだったが、2013年(平成25年)3月16日に東京メトロ副都心線との相互直通運転を開始すると同時に現行の地下ホームへ移転した。
- ^ 事件当時、警視庁は2004年3月から国際テロ対策の一環として都内のターミナル駅6駅に計約350人の機動隊員を配置しており、渋谷駅でも事件当時はJR東日本の駅を中心に数十人が警備していたが、事件を目撃した隊員はいなかった[3]。
- ^ うち1人は、熊谷が心を許していた数少ない友人だった[132]。
- ^ 熊谷はNHKを選んだ理由について、「かつて代々木公園で屋台を開いていた際、常連客の中にNHKの職員がいた。また、NHK職員行きつけの飲食店などで顔を合わせる機会も多かったため、特別な親しみがあったからだろう」と述べている[135]。
- ^ a b 渋谷駅駅員銃撃事件は警視庁の捜査一課・渋谷警察署が捜査を担当[142]。その後、東京駅放火未遂事件は渋谷署内に設置された特別捜査本部が捜査を担当した[79][106]。
- ^ 高橋は『読売新聞』社会部 (2009) の取材に対し「一連の事件の死者は1人だが、(渋谷駅事件で重い後遺症を負った被害者の存在や、至近距離から拳銃を発射した犯行などを考慮すれば)限りなく2人殺害に近い」と述べている[152]。
- ^ 弁護人は上告趣意書で死刑制度の違憲論を主張した[107]。
出典
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