河南省 (中華民国) 地理

河南省 (中華民国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/07 02:26 UTC 版)

地理

清代の河南省の管轄地域を継承し、現在の中華人民共和国河南省全域、安徽省金寨県の大部分、湖北省大悟県東部を管轄した。

東は山東省及び安徽省、北は山西省及び河北省、南は湖北省、西は陝西省に接していた。

歴史

1912年民国元年)3月、中華民国北京政府が成立すると河南巡撫を河南都督と改称、1913年(民国2年)、『劃一令』により民生部門長官として民政長が設置されたが、河南省でも都督が兼任している。1914年(民国3年)5月23日には民政長を巡按使と改称されている。1916年(民国5年)7月6日、巡按使は省長と改称、その下部に政務、財務等の庁が設置された。1927年(民国16年)3月9日、国民党中央政治会議は河南省政務委員会を設置、当初は武漢国民政府、後に南京国民政府に帰属した。

1937年(民国26年)、日中戦争が勃発すると河南省は日本軍により占領、南京政府は実効支配権を喪失し河南省政府は亡命政権となった、その後は中華民国臨時政府、続いて汪兆銘政権の実効支配下に置かれることとなった。

1945年(民国34年)、日本の敗戦と汪兆銘政権の崩壊により中華民国の統治権が回復、しかし1948年(民国37年)10月24日、共産党勢力により開封県が「解放」されると、中華民国は実効支配権を喪失している。

省会

省会は開封県に位置していたが、日中戦争により日本軍に占領されると1938年(民国27年)6月に鎮平県、1939年(民国28年)10月に洛陽県、1942年(民国31年)4月に魯山県、同年5月に内郷県盧氏県に疎開している。1945年(民国34年)、日本の敗戦後は再び開封県に戻された。

歴代省長

氏名 就任日 退任日
1 斉耀琳 1912年3月 -
2 張鎮芳 1912年3月 -
3 段祺瑞 1914年2月 -
4 田文烈 1914年4月 -
5 趙倜 1914年9月 -
6 馮玉祥 1922年5月 -
7 張福来 1922年10月 -
8 胡景翼 1924年12月 -
9 岳維峻 1925年4月 -
10 寇英傑 1926年3月 -
11 靳雲鵬 1927年3月 -
12 馮玉祥 1927年6月 -
13 韓復榘 1928年12月 -
14 劉峙 1930年10月 -
15 商震 1935年12月 -
16 程潜 1938年2月 -
17 方策 1939年2月 -
18 衛立煌 1939年9月 -
19 李培基 1942年1月 -
20 劉茂恩 1944年7月 -
21 張軫 1948年8月 -



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