江戸東京たてもの園
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復元建造物
園内は3つのゾーンに分けられ、西ゾーンは武蔵野の農家と山の手の住宅、センターゾーンは格式ある歴史的建造物が並び、東ゾーンは下町の町並みが再現されている。
センターゾーン
- 旧光華殿(現・江戸東京たてもの園ビジターセンター) - 昭和15年(1940年)に紀元二千六百年記念式典の仮設式殿として宮城外苑に造営。式典終了後の昭和16年(1941年)8月に当地へ移築された[10]。
- 旧自証院霊屋 - 江戸初期の慶安5年(1652年)に建てられた、幕府大棟梁甲良宗賀による華やかな霊廟建築。3代将軍徳川家光の側室自証院(お振りの方、石田三成の曾孫)を祀ったもの。東京都指定有形文化財(建造物)。
- 高橋是清邸 - 二・二六事件で暗殺された政治家・高橋是清の邸宅。明治35年(1902年)落成。総栂普請。和風邸宅に窓ガラスを使った初期の事例である。是清はこの建物の2階で暗殺された。昭和13年(1938年)邸宅は東京市に寄贈され、母屋は多磨霊園に移築。休憩所「仁翁閣」となり戦災を免れた。だが老朽化で昭和51年(1976年)公開中止となり、昭和58年(1983年)に一部修繕。
- 西川家別邸 - 西川製糸[11] 創業者・西川伊左衛門が接客用兼隠居所として用いた和風邸宅[12]。大正11年(1922年)竣工。
- 伊達家の門 - 大正時代に伊達侯爵家(旧宇和島藩伊達家)が白金三光町に建てた屋敷の表門。片番所を設けた大名屋敷の格式で建てられている。
- 会水庵 - 大正期頃、宗徧流の茶人・山岸宗住(会水)が建てた茶室。
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旧光華殿
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旧自証院霊屋
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高橋是清邸
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西川家別邸
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伊達家の門
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会水庵
西ゾーン
- 常盤台写真館 - 昭和初期の郊外住宅地・常盤台に建てられた写真館。北側に大きなガラス面を取り、間接光が入るように設計されている。
- 三井八郎右衞門邸 - 第二次大戦終戦後に京都から港区麻布に移築された財閥三井本家の和風邸宅。東京都指定有形文化財(建造物)。
- 奄美の高倉 - 江戸末期頃、奄美大島宇検村に建てられた穀物倉。高倉形式で、茅葺の屋根部分が貯蔵庫になっている。
- 吉野家(農家) - 江戸時代後期、多摩郡野崎村(現・三鷹市野崎)の農家。内部は昭和30年頃の生活を再現している。
- 八王子千人同心組頭の家 - 江戸後期の郷士組頭の屋敷。床の間をもつ座敷や式台付きの玄関など、一般民家より高い格式をもつ。
- 前川國男邸 - モダニズム建築家の前川國男が1942年に建てた自邸[2]。戦時の建築統制下で建築面積は小さく抑えつつも、大屋根の中央に吹き抜けの居間とロフト風の2階を配している。東京都指定有形文化財(建造物)。
- 田園調布の家(大川邸) - 「田園都市」の理想のもと開発された近郊住宅地に建てられた大正期の洋風郊外住宅。下見板張りの外壁とテラスにパーゴラが設けられている。岡田信一郎の事務所にいた三井道男による設計。
- 綱島家(農家) - 世田谷区岡本にあった貴重な江戸時代中期の農家。
- 小出邸 - 建築家・堀口捨己がヨーロッパから帰国した直後に設計した住宅。黎明期の和洋風混在住宅で、四角錐のような大屋根と水平な軒を持つ。東京都指定有形文化財(建造物)。
- デ・ラランデ邸 - 新宿区信濃町にあった西洋館。気象学者・物理学者の北尾次郎が自邸として設計したと伝わる平屋建てであったが、1910年ごろ、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデにより、木造3階建へ大規模に増築され、その当時の姿を想定して復元された[13]。バリアフリーの便宜を図り、外付けで2階へのエレベーターが設置されている。
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常盤台写真館
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三井八郎右衛門邸
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奄美の高倉
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吉野家(農家)
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八王子千人同心組頭の家
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前川國男邸
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田園調布の家(大川邸)
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綱島家(農家)
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小出邸
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デ・ラランデ邸
東ゾーン
- 天明家(農家) - 江戸時代の豪農が住んだ、長屋門をもつ格式高い農家。
- 小寺醤油店 - 出桁造りの商家。日本酒、味噌、醤油を量り売りしていた。店内は昭和30年代後半の状況を再現。
- 鍵屋(居酒屋) - 台東区下谷にあった庶民的な居酒屋(1856年建築)。
- 子宝湯 - 足立区千住にあった宮造りの銭湯(1929年建築)。
- 仕立屋 - 出桁造りの町家。内部は大正期の仕立屋の仕事場を再現している。
- 武居三省堂(文具店) - 神田にあった文房具屋。看板建築。
- 花市生花店 - 神田にあった花屋。看板建築。ファサードの銅板にレリーフが施されている。
- 万世橋交番 - 万世橋のたもと、旧万世橋駅の傍にあった煉瓦造の交番。竣工年不詳だが、明治後期と推定される。
- 植村邸 - 新富町にあった銅板張りの看板建築。
- 丸二商店(荒物屋) - 神田神保町にあった荒物屋(日用品店)。看板建築。ファサードを江戸小紋のパターンを用いた銅板張りで仕上げている。
- 村上精華堂(化粧品店) - 池之端にあった小間物屋。看板建築。イオニア式オーダー風の列柱と瓦葺きの和風屋根を組み合わせた外観が個性的である。
- 川野商店(和傘問屋) - 出桁造りの和傘製造問屋。
- 大和屋本店(乾物屋) - 港区白金台にあった木造3階建ての商店。
- 万徳旅館 - 青梅市西分町の青梅街道沿いにあった旅館。建物は創建当初の様子を、室内は1950年頃の様子を復元している。
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天明家(農家)
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小寺醤油店
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鍵屋(居酒屋)
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子宝湯
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仕立屋
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武居三省堂、花市生花店
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万世橋交番
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植村邸
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丸二商店(荒物屋)
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村上精華堂(化粧品店)
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川野商店(和傘問屋)
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大和屋本店
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万徳旅館
- ^ 東京都江戸東京博物館条例
- ^ a b c d e f 平出義明 (2018年6月7日). “訪ねる 博物館 江戸東京たてもの園 東京都小金井市”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 夕刊 4面
- ^ 「江戸四百年の歴史を一堂に集めて――東京都江戸東京博物館がオープン 緑豊かな分館「江戸東京たてもの園」」『都政研究』 26巻、都政研究社、1993年3月、23頁。doi:10.11501/2869493 。
- ^ 新規復元建造物「デ・ラランデ邸」の公開について(江戸東京たてもの園)、東京都報道発表資料 2013年3月7日
- ^ 発掘された日本列島2018 地域展「東京郷土資料陳列館と考古学」 - 東京都江戸東京博物館、2021年12月25日閲覧。
- ^ 武蔵野博物館設立 - 東京文化財研究所、2021年12月25日閲覧。
- ^ このまちアーカイブス 戦前期までの街並みと風景 麻布・赤坂 - 三井住友トラスト不動産、2021年12月25日閲覧。
- ^ 「昭和29年度館園行事予定」『博物館研究』 1巻、日本博物館協会、1954年6月、274頁。doi:10.11501/3462636 。 縄文式(竪穴住居,敷石住居址,貝塚)・屋様式(縦穴住居,高倉)・古墳(住居,古墳石室)時代の以降を復元
- ^ “野外博物館 その未来に思いを巡らせて”. NHKニュース (日本放送協会). (2013年3月22日). オリジナルの2013年3月26日時点におけるアーカイブ。 2013年3月26日閲覧。
- ^ “センターゾーン”. 江戸東京たてもの園. (--) 2017年12月27日閲覧。
- ^ 西川製糸
- ^ 西川家別邸
- ^ “新規復元建造物「デ・ラランデ邸」の公開について (江戸東京たてもの園)” (PDF). 生活文化局 公益財団法人東京都歴史文化財団 江戸東京たてもの園 (2013年3月7日). 2013年10月4日閲覧。
- ^ ちびっこ考古学者脱線 中学生7人博物館荒らし 縄文土器など400点 古物商と物々交換『朝日新聞』1978年(昭和53年)1月22日朝刊、13版、23面
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