江戸東京たてもの園
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歴史・概要
小金井公園には古代住居や江戸時代の農家を移築・展示する「武蔵野郷土館」があった。1954年(昭和29年)1月14日の小金井公園開園時に、井の頭恩賜公園にあった「武蔵野博物館」を移転し開館したもので、光華殿(現・江戸東京たてもの園ビジターセンター)、鍵屋、吉野家住宅などは当時からの施設である。1991年(平成3年)12月に閉館した。
1993年(平成5年)3月28日、江戸東京博物館の開館に合わせ、武蔵野郷土館を拡充する形で「江戸東京たてもの園」として開園した。 高い文化的価値がありながら現地保存が困難となった、江戸時代から昭和初期までの30棟の建造物を移築復元し展示している[2][3]。
開園20周年となる2013年(平成25年)3月、最後の1棟となるデ・ラランデ邸の移築復元が完成した[4]。
建築年代や建物が利用された用途に合わせて室内の展示も行われており、その当時の生活文化が再現されている[2]。
宮崎駿監督の映画『千と千尋の神隠し』(2001年)の作画には、たてもの園の銭湯や下町の商家建築のデザインが参考にされた[2]。この縁で2002年には園内で「千と千尋の神隠し展」と映画「千と千尋の神隠し」の屋外上映会が開催された。たてもの園シンボルキャラクターの「えどまる」は宮崎駿のデザインである。
『ザ・ヒットパレード〜芸能界を変えた男・渡辺晋物語〜』(2006年)などのドラマや映画で何度か撮影に使用されたことがある。
沿革
- 1934年(昭和9年) - 有栖川宮記念公園敷地内に東京市立の東京郷土資料陳列館が設立され、公園の開園と同時に開館[5]。
- 1941年(昭和16年) - 光華殿が小金井大緑地(後の小金井公園)に移築される。
- 1948年(昭和23年) - 武蔵野文化協会と東京都により、井の頭恩賜公園内に武蔵野博物館が開館[6]。戦災で荒廃した東京郷土資料陳列館の資料を引き継ぐ[7]。
- 1954年(昭和29年) - 小金井公園開園。武蔵野博物館が井の頭恩賜公園から移転し、武蔵野郷土館として開館[8]。
- 1991年(平成3年) - 武蔵野郷土館が閉館。
- 1993年(平成5年) - 江戸東京たてもの園開館[9](当初の復元建造物は12棟)。
- 2013年(平成25年) - デ・ラランデ邸が完成し30棟の移築復元が完了(一般公開は同年4月20日から)。
- ^ 東京都江戸東京博物館条例
- ^ a b c d e f 平出義明 (2018年6月7日). “訪ねる 博物館 江戸東京たてもの園 東京都小金井市”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 夕刊 4面
- ^ 「江戸四百年の歴史を一堂に集めて――東京都江戸東京博物館がオープン 緑豊かな分館「江戸東京たてもの園」」『都政研究』 26巻、都政研究社、1993年3月、23頁。doi:10.11501/2869493 。
- ^ 新規復元建造物「デ・ラランデ邸」の公開について(江戸東京たてもの園)、東京都報道発表資料 2013年3月7日
- ^ 発掘された日本列島2018 地域展「東京郷土資料陳列館と考古学」 - 東京都江戸東京博物館、2021年12月25日閲覧。
- ^ 武蔵野博物館設立 - 東京文化財研究所、2021年12月25日閲覧。
- ^ このまちアーカイブス 戦前期までの街並みと風景 麻布・赤坂 - 三井住友トラスト不動産、2021年12月25日閲覧。
- ^ 「昭和29年度館園行事予定」『博物館研究』 1巻、日本博物館協会、1954年6月、274頁。doi:10.11501/3462636 。 縄文式(竪穴住居,敷石住居址,貝塚)・屋様式(縦穴住居,高倉)・古墳(住居,古墳石室)時代の以降を復元
- ^ “野外博物館 その未来に思いを巡らせて”. NHKニュース (日本放送協会). (2013年3月22日). オリジナルの2013年3月26日時点におけるアーカイブ。 2013年3月26日閲覧。
- ^ “センターゾーン”. 江戸東京たてもの園. (--) 2017年12月27日閲覧。
- ^ 西川製糸
- ^ 西川家別邸
- ^ “新規復元建造物「デ・ラランデ邸」の公開について (江戸東京たてもの園)” (PDF). 生活文化局 公益財団法人東京都歴史文化財団 江戸東京たてもの園 (2013年3月7日). 2013年10月4日閲覧。
- ^ ちびっこ考古学者脱線 中学生7人博物館荒らし 縄文土器など400点 古物商と物々交換『朝日新聞』1978年(昭和53年)1月22日朝刊、13版、23面
固有名詞の分類
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