東フランク王国 東フランク王国の概要

東フランク王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 16:21 UTC 版)

東フランク王国
Francia orientalis
843年 - 962年
公用語 古ザクセン語
古高ドイツ語
古フリジア語
首都 フランクフルトレーゲンスブルクなど様々
国王
843年 - 876年 ルートヴィヒ2世
876年 - 887年カール3世
899年 - 911年ルートヴィヒ4世
919年 - 936年ハインリヒ1世
936年 - 962年オットー1世
変遷
ヴェルダン条約 843年
カール3世のフランク王国統一884年
フランク王国最後の分裂887年
カロリング朝断絶911年
オットー1世皇帝戴冠962年
現在 ドイツ
 オーストリア
 チェコ
スイス
イタリア
スロベニア
ドイツの歴史
東フランク王国
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ドイツ帝国
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ナチス・ドイツ
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(東ドイツ)
ドイツ連邦共和国
(西ドイツ)
ドイツ連邦共和国

西ヨーロッパは9世紀初頭にローマ教皇から皇帝の地位を授けられたフランク王カール大帝によって統一されていた。しかし大帝の死後早くから内部紛争により国家分裂の危機が生じていた。840年に第2代皇帝ルートヴィヒ1世が崩御すると翌年にフォントノワの戦いが勃発。843年ヴェルダン条約によって帝国は正式に三分割された。その東部分がルートヴィヒ1世の三男であるルートヴィヒ2世の統治領域となった東フランク王国である。

ルートヴィヒ2世は父帝に反抗的だったため、東フランク王国は帝国の権威を引き継ぐことができず、帝国として正統だったのは中フランク王国である。しかし中フランク王国はまもなく北イタリアのみを統治するイタリア王国へと縮小した。西フランク王国もまた内憂外患で政情が安定しなかった。そのような状況で東フランク王国は着々と力を蓄えて西ヨーロッパの中心となっていった。9世紀末には神聖ローマ帝国の盟主としてふるまい、10世紀中ごろにはオットー1世の皇帝即位とイタリア併合によって神聖ローマ帝国そのものとなった。その後約200年は西欧最強だったが、やがて衰えてイタリアを失い現在のドイツとなった。

カール大帝の直系であるカロリング朝の統治は911年までだった。神聖ローマ帝国の理念は女系ザクセン朝ザーリアー朝ホーエンシュタウフェン朝に引き継がれていった。 帝国はごく一時期を除いて西フランク王国を併合できず、西欧がゲルマン系のドイツとラテン系のフランスに分かれる原因となった。


注釈

  1. ^ 西フランク王カルロマン2世の死去(884年12月12日)による。ただし、サン・ジェルマン・デ・プレ修道院長ゴズランの要請で西フランク王位を受けたのは885年2月のことである。西フランクのカロリング朝にはシャルル3世が残っていたがまだ幼児で、肥満王に後見された。
  2. ^ 「王国(regnum)」と「帝国(imperium)」との区別がはっきりするのは、ブルグント王国の編入(1032年)以降のこととされる[14]

出典

  1. ^ 成瀬他、p. 89
  2. ^ a b c 成瀬他、p. 92
  3. ^ 成瀬他、p.91
  4. ^ 瀬原、p.52-53
  5. ^ 瀬原、p. 55
  6. ^ 瀬原、p. 55[注釈 1]
  7. ^ 瀬原、p. 55-56
  8. ^ 瀬原、p. 56
  9. ^ 瀬原、p. 57
  10. ^ 成瀬他、p. 100
  11. ^ Goldberg 2006, 73.
  12. ^ Müller-Mertens 1999, 237.
  13. ^ シュルツェ、p. 25
  14. ^ a b シュルツェ、p. 7
  15. ^ Müller-Mertens 1999, 241.
  16. ^ Scales 2012, 158.
  17. ^ Goldberg 1999, 43.
  18. ^ a b Ullmann 1969, 124–27.


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