フランク王国分裂後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:10 UTC 版)
ルートヴィヒ1世の崩御にあたり、3人の子息が存命していた。当時の慣習から、領地は分割相続により継承され、843年のヴェルダン条約により確定した。現在のフランスにあたる地域は、末子シャルル2世 (禿頭王) 領の西フランク王国に、ロートリンゲンおよびイタリア北部は、長男ロタール1世領のロタール王国に、現在のドイツにあたる地域は、三男ルートヴィヒ領の東フランク王国として分割、相続された。帝位は長男ロタール1世が継承し、その子孫が世襲した。その後の870年にはメルセン条約により、ロートリンゲンは、東西フランク王国が分割し、イタリア北部はロタール1世の子、皇帝ルートヴィヒ2世(ロドヴィコ2世)領のイタリア王国となる。しかし、ルートヴィヒ2世には男子がおらず、この血統は断絶する。東フランク王国は、911年のルートヴィヒ4世の崩御をもって、西フランク王国は、987年のルイ5世の崩御をもって男系王位継承が途絶え、カロリング朝は断絶した。
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