フランク王国の攻勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/27 19:02 UTC 版)
「フランク・西ゴート戦争」の記事における「フランク王国の攻勢」の解説
491年までに、クロヴィス1世はかつてのローマ領の支配を固め、次の目標としてアラリック2世との戦争を目指し始めた。そして、西ゴート王国領の最北端であるナントを包囲した。ナントは60日間にわたって耐え続け、これに感銘を受けたフランク軍の将軍キロはカトリックに改宗した。この段階でもアラリック2世はクロヴィス1世と衝突するのを嫌がり、支配下のポワチエやサント、ボルドーを包囲されるに任せた。この過程で、西ゴートの有力貴族であったボルドーのスアトリウス公が捕虜になった。クロヴィス1世はボルドーからの帰路で、トゥールも占領した可能性がある。
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