フランク王国・ブルグント王国のカトリック改宗
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「古代末期のキリスト教」の記事における「フランク王国・ブルグント王国のカトリック改宗」の解説
486年、メロヴィング朝フランク王国のクローヴィス1世がガリア北部のローマ人貴族のシアグリウスを破った。クロヴィスはさらにライン川流域のアレマン人、スイスのブルグント族の征伐に向かった。507年にアラリック2世率いる西ゴート王国も破り、西ゴート人はイベリア半島へ逃げ、ガリアの覇権はフランク王国が握った。 496年、クロヴィス1世はすでにカトリックだった妃クロティルドのすすめでランス司教レミギウスの洗礼をうけてカトリックに改宗する。カトリック国家となったフランク王国は、ガリアのローマ人、そしてローマ教皇から同盟者とみなされることとなった。キリスト教の同盟国の支援によってフランク王国はアクィタニア、ブルゴーニュ、プロヴァンスのゴート族、ブルグント人などのアリウス派の征服に成功していった。 517年にはブルグント王ジギスムント(英語版)もアリウス派からカトリックに改宗している。
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