フランク王国・カロリング帝国時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/26 04:40 UTC 版)
「バルセロナ伯国」の記事における「フランク王国・カロリング帝国時代」の解説
フランク王国は785年にジローナを征服し、さらに801年にはアクィタニア公ルートヴィヒ(後の皇帝ルートヴィヒ1世)がバルセロナを征服し、フランク王国に併合した。ここに、フランク王に従属するバルセロナ伯国が生まれた。初代バルセロナ伯は西ゴート人のベラ (在位: 801年–820年)だった。 当初、伯国の権威は地元貴族に基づいていた。しかしベラはアンダルスのムスリムとの平和を維持しようとしたため、王に対する反逆罪に問われた。西ゴート法に基づいて決闘が行われ、敗れたベラは廃位され追放された。その後、バルセロナ伯はランポーやベルナール・ド・セプティマニーらフランク貴族が歴任したが、844年に西ゴート貴族がフランク王の信用を回復し、スニフレ1世がバルセロナ伯に任じられた。
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