フランク王国の分裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 07:22 UTC 版)
「ロタール1世 (フランク王)」の記事における「フランク王国の分裂」の解説
ヴェルダン条約では、三人の兄弟それぞれがフランク人の王であることが確認された。これをもって、フランク王国は正式に、西フランク王国(フランス王国)、東フランク王国(ドイツ王国)、中フランク王国へと分裂した。 855年、皇帝ロタール1世は、自らの死が目前であることを悟る。そして、長男ルートヴィヒ2世(ロドヴィコ2世、ロタールの弟である東フランク王のルートヴィヒ2世とは異なるので注意されたい)に皇帝の称号とイタリア、次男のロタール2世にロタリンギア(ロレーヌ)など、三男のシャルル(カール)にプロヴァンスなどを分割相続した。こうして中フランク王国が三分された結果、フランク王国は5つにまで分裂してしまった。ロタール1世はこの決定の数日後の9月29日、プリュム修道院にて死去した。ロタール1世のあと皇帝位を継いだルートヴィヒ2世は、皇帝としての実権を持つことができなかった。
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