フランク軍の接近
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 06:08 UTC 版)
「ナルボンヌ包囲戦」の記事における「フランク軍の接近」の解説
751年、フランク王国宮宰だったピピン3世は、教皇ザカリアスの支持の下でメロヴィング朝の王キルデリク3世を追い落として自ら王位につき、全く自由にフランク王国の勢力を一方面に注ぎ込むことができるようになった。その対象となったのが、サラセン人からのプロヴァンスとセプティマニアの奪還であった。彼の父カール・マルテルは以前この地域の征服を試みたが、ゴート人貴族の支持を得られず失敗していた。しかし今回は、ゴート人の伯アンセムンドに率いられてニーム、アグド、ベジールといった諸市がフランク王国方についた。またモーギオもフランク軍に降伏した。しかしナルボンヌを統治していた伯ミロは、街に駐屯していた強力なアンダルス部隊に牽制され、アンダルス政権側としてピピン3世と戦うことになった。
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