ナルボンヌ包囲戦とは? わかりやすく解説

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ナルボンヌ包囲戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/06 09:25 UTC 版)

ナルボンヌ包囲戦 (オック語: Setge d'Arbuna)は、752年から759年にかけて、ピピン3世率いるフランク王国軍が、ウマイヤ朝残存政権のアンダルス政権が支配しガロ・ローマ人西ゴート人が住むナルボンヌ(現フランス南部)を攻略した戦い。ナルボンヌはガリアに侵攻したイスラーム勢力の最後の砦であり、ここにこもるゴート人やガロ・ローマ人の貴族たちはフランク人に従うことを拒んでいた[1]。すでに中東では包囲戦開始前の750年にアッバース革命の勃発でウマイヤ朝が滅亡しており、ユースフ・イブン・アブド・アッラフマーンの統治するアンダルスは独立政権と化していた。


  1. ^ Meadows, Ian (March–April 1993). “The Arabs in Occitania”. Saudi Aramco World 44: 24–29. http://www.saudiaramcoworld.com/issue/199302/the.arabs.in.occitania.htm. 
  2. ^ Lewis, Archibald R. (1965). The Development of Southern French and Catalan Society, 718–1050. Austin: University of Texas Press. http://libro.uca.edu/lewis/sfcatsoc.htm 2012年6月15日閲覧。 
  3. ^ Lewis, Archibald R. 1965


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