尾崎三良
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栄典
- 位階
- 1886年(明治19年)10月28日 - 従四位[18]
- 1889年(明治22年)11月5日 - 従三位[19]
- 1893年(明治26年)4月11日 - 正三位[20]
- 1913年(大正2年)1月30日 - 従二位[21]
- 1918年(大正7年)10月13日 - 正二位[22]
- 勲章等
- 1889年(明治22年)11月25日 - 大日本帝国憲法発布記念章[23]
- 1891年(明治24年)3月30日 - 勲二等瑞宝章[24]
- 1903年(明治36年)5月21日 - 金杯一組[25]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 勲一等瑞宝章[26]
- 1915年(大正4年)11月10日 - 大礼記念章(大正)[27]
- 1918年(大正7年)10月13日 - 旭日大綬章[22]
人物
- 尾崎は立身しても三条の旧恩を忘れず、内閣制度発足時に三条を内大臣として祭り上げ、伊藤博文を初代内閣総理大臣にしようとした際は最後まで反対した。以後も東久世通禧らとともに三条の政治的復権を画策している。内大臣そのものも無用の官職とみなしている。
- イギリス留学を共にした三条公恭が、後年、花柳界での遊びで浪費を重ねるようになると、友人としてやめるよう忠告。しかし行状は改まらず、実美に廃嫡を提言するに至っている[28]。
- 新聞紙条例、讒謗律(ともに1875年)の起草にあたったことから、新聞界などから恨まれて「酷吏」などと非難された。
- 明治20年(1887年)の保安条例の起草者も尾崎とされているが、これによって旧友の中島信行が捕らえられて東京から追放されてしまう。同じく追放された尾崎行雄は、のちに尾崎三良の娘・テオドラを後妻とした。テオドラからは昭和54年(1979年)に難民を助ける会を設立した相馬雪香が生まれている。
- 邸宅は世田谷区の豪徳寺にあり、明治21年(1888年)に建築されたと考えられている。2020年、取り壊しの危機にあったが、漫画家の山下和美が保存運動を起こし、クラウドファンディングによって保全された。その経過は山下のエッセイ漫画『世田谷イチ古い洋館の家主になる』(集英社、2021~23年)に描かれている。
脚注
注釈
- ^ 次男と紹介されることもある。伊藤(2001)p.103
- ^ ウイリアム・モリソンが英語を教えた日本人にはジャーナリストの末松謙澄や井上馨の養女井上末子(のちの井上勝之助夫人)がいる。伊藤(2001)p.104
出典
- ^ 尾崎春盛 1979, p. 109.
- ^ a b 伊藤(2001)p.103
- ^ a b c d e f g h 下川雅弘 & 中外日報.
- ^ a b c d e f g h 小山騰「「第4章 明治14年のスキャンダル」」『国際結婚第一号 : 明治人たちの雑婚事始』講談社〈講談社選書メチエ ; 63〉、1995年、117-144頁。ISBN 4062580632。全国書誌番号:96032305。
- ^ 伊藤(2001)pp.103-104
- ^ a b c d e 伊藤(2001)p.104
- ^ 『官報』第2182号、明治23年10月6日。
- ^ 『官報』第3880号、明治29年6月6日。
- ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、279頁。ISBN 978-4-06-288001-5。
- ^ “Bathia Catherine (Morrison) Ozaki (1843 - 1936)”. 2020 3 5閲覧。
- ^ 『Britain and Japan: Biographical Portraits, Vol. IV, 第 4 巻』Routledge、2002年。
- ^ 『咢堂自伝』尾崎行雄、1937年、p261
- ^ a b c d e f 長岡祥三、「尾崎行雄夫人セオドーラの半生」『英学史研究』 1995年 1996巻 28号 p.57-71, doi:10.5024/jeigakushi.1996.57日本英学史学会
- ^ a b c d e f g h 小山騰「明治前期国際結婚の研究 : 国籍事項を中心に」『近代日本研究』第11巻、慶應義塾福澤研究センター、1994年、121-173頁、CRID 1050001338949786368、ISSN 0911-4181。
- ^ a b 『尾崎三良自叙略傳』中央公論社,1976
- ^ a b Bathia Kimiko Alexandra Ouchterlony (Ozaki)Geni.com
- ^ Henrik Wilhelm Arvid OuchterlonyGeni.com
- ^ 『官報』第1003号「叙任及辞令」1886年11月1日。
- ^ 『官報』第1911号「叙任及辞令」1889年11月9日。
- ^ 『官報』第2932号「叙任及辞令」1893年4月12日。
- ^ 『官報』第150号「叙任及辞令」1913年1月31日。
- ^ a b 『官報』第1861号「叙任及辞令」1918年10月15日。
- ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年11月30日。
- ^ 『官報』第2322号「叙任及辞令」1891年3月31日。
- ^ 『官報』第5964号「叙任及辞令」1903年5月22日。
- ^ 『官報』第7272号「叙任及辞令」1907年9月23日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
- ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、238頁。ISBN 978-4-06-288001-5。
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