子門真人 来歴

子門真人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 00:00 UTC 版)

来歴

1966年藤 浩一の芸名で歌謡曲の歌手として日本グラモフォン(ポリドール・レコード=現:ユニバーサル ミュージック ジャパン)からデビュー[5][3]。デビュー曲「故郷の悲しき星/涙のギター」(両A面シングル)は1万枚を売り上げた[8]シングル盤5枚を出すが、ヒットに恵まれずに1年半後に引退する。1968年フジ音楽出版(現:フジパシフィックミュージック)に入社[5][3]。その後もスタジオヴォーカリストとして音楽活動自体は継続して行い、GSグループへの楽曲提供を行ったり、アルバイトとしてCMソングを歌っていた。

1971年、特撮テレビドラマ『仮面ライダー』の主題歌「レッツゴー!! ライダーキック」(朝日ソノラマ制作)を歌唱[3]。同曲のEP盤は朝日ソノラマ日本コロムビアの競作となり、番組の爆発的な人気とともに130万枚[9][注釈 1]を超える大ヒットとなった。これを皮切りに子門は幾多のアニメソング・特撮ソングを歌い上げることになる。これらテーマソングは次々とヒットした[11][12]

1972年に円谷音楽出版に移籍(歌手ではなく社員雇用)[5][3]。楽曲管理の総責任者を務めるかたわら、『レッドマン』『トリプルファイター』『ジャンボーグA』『ファイヤーマン』など、円谷プロダクション制作の特撮テレビドラマ主題歌を多数手がける[5][3]

1975年、『ひらけ!ポンキッキ』内で発表された「およげ!たいやきくん」が大ヒット[3]オリコンチャートで史上初のシングルチャート初登場1位、11週連続1位を記録。翌1976年には第9回全日本有線放送大賞特別賞、第5回FNS歌謡祭最優秀ヒット賞を受賞し、子門の代表曲となった(詳細は「およげ!たいやきくん」の記事を参照)。これを機にテレビ番組に頻繁に露出するようになり、この頃のアフロヘアーと眼鏡という出で立ちが世間に印象付けられる[5]。続けて発売された「ホネホネロック」も大ヒット。

1980年西友ストアー主催のミュージカルである西友ファミリー劇場の『翔べイカロスの翼』に主演し、これが縁となり1982年、SPN(現:I&S BBDO)に課長待遇で入社[13]し芸能界を一時引退する。SPNでは西友ファミリー劇場のミュージカルのプロデュースを担当した[13]1986年に退職[14]。退職理由は部長(管理職)に就任することで制作現場から遠ざかることを懸念したこと、ミュージカル制作に挑戦する意向があったことによる[14]。同年芸能界に復帰し[14]1987年に再びフリーの歌手に転向。同年『ひらけ!ポンキッキ』の「動く図鑑コーナー」の挿入歌「はたらくくるま2」が話題になる[15]。相前後して、テレビアニメ『マシンロボ クロノスの大逆襲』主題歌「勝利のマシンロボ」で、久しぶりにアニメソングを収録。

1990年代には『Aランクサンダー 誕生編』『究極戦隊ダダンダーン』などのゲーム主題歌や、ラジオ番組『青春ラジメニア』のテーマソングを手掛け、1989年10月10日「第2回青春ラジメニアファンの集いin堺」、1991年3月27日「青春ラジメニアファンの集い」、1992年3月26日「青春ラジメニアファンの集い」の公開収録の場でアニメソングを披露している。1993年頃に再び芸能界を引退したとされている[16][17][18]

1997年から2003年にかけて、ベストアルバム『子門真人ヴォーカルコンピレーション』シリーズがリリース。当初は日本コロムビアバップの2社による合同企画であったが、後にポニーキャニオンソニー・ミュージックエンタテインメントが参加し、4社から計8枚のアルバムがリリースされた。複数の会社にまたがって発売されたものの、ジャケットのデザインは(色が違うだけで)統一されている。なお、第1弾である<赤盤>と<青盤>の名称はビートルズのベストアルバムの通称に由来[7]する。

また上記シリーズとは別に、ベストアルバムとして2010年にポニーキャニオンより『子門真人 ベスト・コレクション』が、2015年に日本コロムビアより『ベスト・オブ・ベスト 子門真人』がリリースされている。

引退後の1995年に日本テレビ系のバラエティ番組『あの人は今!?』で出演依頼を受けるが、本人の意思により撮影拒否。番組では全てモザイク処理されており、子門の姿や肉声は放送されなかった。以後は公式にはマスメディアへの露出を一切していない[5]。2019年10月、TBS系『歌のゴールデンヒット』で紹介された際は居所がつかめず、司会の堺正章が「もしも子門さんがこの番組をご覧になっていたら、是非スタッフのほうにご連絡を頂ければ」と呼び掛けた[19]ものの、音信不通で、最終的には紙面を通じた捜査を依頼している[17][20]


注釈

  1. ^ 資料によっては90万枚[10]
  2. ^ エンディングは、番組開始当初から子門の歌唱であったが、それには気づかなかった[5]
  3. ^ レコードでも当初藤岡版がリリースされたが、同一品番で藤浩一(子門)版に差し替えられている。なおそれ以降、『仮面ライダー』のソングアルバム制作にあたり「レッツゴー!! ライダーキック」原盤は日本コロムビアに移管。新曲をコロムビアが制作し、アルバムとしてリリースした。そのためシングル2曲は「藤浩一」名義、新曲分は子門真人名義で記載されている。
  4. ^ ジャッキー吉川とブルー・コメッツの「センチメンタル・シティ」と同一曲。
  5. ^ 作曲は当時無名の筒美京平が師匠であるすぎやまこういちの名義を借りて発表、のちに筒美京平名義に変更された。
  6. ^ a b ミュージックファイルシリーズ」としてリリース。
  7. ^ クレジットなし。仮面ライダーアマゾンの変身シーンでこだまする声に、子門の声が使用された。

出典

  1. ^ 【連載】歌謡曲番外地 HMV ONLINE編(5)「中山恵美子」”. HMV ONLINE. 2015年3月2日閲覧。
  2. ^ a b c 子門真人”. 日本コロムビア. 2015年3月2日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 仮面ライダー怪人大画報 2016, p. 203, 「仮面ライダー スタッフ・キャスト人名録 2016年版」
  4. ^ a b c d 仮面ライダー怪人大全集 1986, p. 221, 「仮面ライダーSTAFF CAST SPONSORインタビュー」
  5. ^ a b c d e f g h i j k l OFM仮面ライダー6 2004, p. 33, 早川優「仮面ライダー音楽考 第4回 ライダー・ソングの歌い手たちその1 子門真人 伝説のシンガー」
  6. ^ a b c 宇宙船編集部、1996、「「宇宙船談話室」菊池俊輔」、『宇宙船』(vol.75(1996年冬号))、朝日ソノラマ p. 60
  7. ^ a b 『子門真人 ヴォーカル・コンピレーション SONG FOR HEROES <赤盤>』(CDライナー)子門真人、バップ、1997年。VPCD-81235。 
  8. ^ 月刊セブンティーン』1976年4月号、85頁。
  9. ^ 木村英俊『THEアニメ・ソング―ヒットはこうして作られた』角川書店、1999年、147頁頁。ISBN 4048531522 
  10. ^ 大下英治『日本(ジャパニーズ)ヒーローは世界を制す』角川書店、1995年、25-26頁頁。ISBN 4048834169 
  11. ^ a b c d e f g h i 「ジョセフはいま栄光を手にしたのです〈子門真人の浮き沈み人生〉 / 子門真人」『婦人生活』第30巻第4号、婦人生活社、1976年4月1日、178 - 171頁、NDLJP:2324553/75 
  12. ^ 『子どもの文化』1987年1月号、11頁。
  13. ^ a b 『商工ジャーナル』1983年2月号、56頁。
  14. ^ a b c 「『およげ!たいやきくん』の子門真人 サラリーマン辞め ミュージカルへ転身」『朝日新聞』1987年3月9日付東京夕刊、13面。
  15. ^ a b 「子門真人 再び脚光『はたらくくるま』が人気 声に懐かしさ」『読売新聞1987年3月12日付 東京夕刊 8面
  16. ^ TBSの呼び掛けも… 表舞台から消えた子門真人氏の謎NEWSポストセブン2019.10.09(2020.1.27 last access)
  17. ^ a b 堺正章「およげ!たいやきくん」子門真人の“捜索”呼びかけ「歌って!」デイリースポーツ2020.01.27(2018.2.27 lastaccess)
  18. ^ a b 【1976年1月】およげ!たいやきくん/子門真人5万円のバイトで歌い大変なことに”. スポニチアネックス (2012年1月5日). 2014年3月11日閲覧。
  19. ^ TBSの呼び掛けも… 表舞台から消えた子門真人氏の謎NEWSポストセブン2019.10.09(2021.6.23 last access)
  20. ^ 堺正章、子門真人さんの“捜査”依頼「今どこにいるか分からない」 - SANSPO.COM(サンスポ)”. www.sanspo.com. 2021年5月21日閲覧。
  21. ^ ふくいんのなみ「BOX190 2011年4月13日(水)放送」”. CRC・メディアミニストリー (2011年4月13日). 2014年3月8日閲覧。
  22. ^ a b <元・JL1GPK>フリーアナウンサーの大橋照子さん、Webサイトで「アマュア無線再開」を宣言!、hamlife.jp、2013年12月27日 6:51。
  23. ^ a b c 『子門真人 ヴォーカル・コンピレーション -TV SIZE COLLECTION-』(CDライナー)子門真人、コロムビアミュージックエンタテインメント、2003年。COCX-32076。 
  24. ^ a b 『子門真人 ヴォーカル・コンピレーション SONG FOR HEROES <桃盤>』(CDライナー)子門真人、日本コロムビア、1998年。COCX-30226。 
  25. ^ 宇宙船編集部、1988、『宇宙船』(vol.43)、朝日ソノラマ
  26. ^ 「特別対談 小松義人×前澤範×野中剛」『宇宙船』Vol.149(SUMMER 2015.夏)、ホビージャパン、2015年7月1日、124頁、ISBN 978-4-7986-1049-8 
  27. ^ 木村英俊『THEアニメ・ソング―ヒットはこうして作られた』角川書店、1999年、60-61頁。ISBN 4048531522 
  28. ^ 『子門真人 ヴォーカル・コンピレーション SONG FOR HEROES <青盤>』(CDライナー)子門真人、日本コロムビア、1997年。COCC-14585。 
  29. ^ 「メロディーとともに (4) およげ!たいやきくん」『神戸新聞』1999年5月14日付夕刊、3面。
  30. ^ 8/4(日)神戸でアニソンライブ☆ / 南かおり”. 「かおりんの関西探検隊♪」(南かおり公式ブログ) (2013年8月6日). 2014年3月8日閲覧。
  31. ^ 遠藤正二朗Twitter2013年6月24日9:52の発言
  32. ^ 遠藤正二朗のTwitter、2013年6月24日9:55の発言
  33. ^ 「ガス安全使用PR映画『きいて下さい青い妖精の話』完成」『日本瓦斯協会誌』第31巻・第10号、日本瓦斯協会、1978年、写真ページ(ノンブルなし)。NDLJP:2337836/3
  34. ^ 「コマーシャルフィルムが完成 -電波によるガス安全使用PR-」『日本瓦斯協会誌』第32巻・第10号、日本瓦斯協会、1979年、写真ページ(ノンブルなし)。NDLJP:2337848/4
  35. ^ 「『ガスあんぜんぬりえ』を作成 静岡ガス」『日本瓦斯協会誌』第32巻・第11号、日本瓦斯協会、1979年、65頁。NDLJP:2337849/39
  36. ^ 沿革|会社情報 ABOUT | 株式会社新東通信”. www.shinto-tsushin.co.jp. 2024年1月27日閲覧。
  37. ^ 日本コロムビア|子門真人”. 日本コロムビア. 2015年2月16日閲覧。
  38. ^ 『円谷プロ画報 円谷作品五十年の歩み』 第1巻、竹書房、2013年8月9日、226頁。ISBN 978-4-8124-9491-2 
  39. ^ 「『SFドラマ 猿の軍団』全話ストーリー&解説」『別冊映画秘宝 円谷プロSFドラマ大図鑑』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2013年、118頁。ISBN 978-4-8003-0209-0 
  40. ^ 杉並児童合唱団について「合唱団のあゆみ」”. 杉並児童合唱団. 2014年3月11日閲覧。






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