大祖国戦争 大祖国戦争の概要

大祖国戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/08 08:04 UTC 版)

2005年、モスクワクレムリンにて撮影。大祖国戦争戦勝60周年を祝う飾り

範囲

「大祖国戦争」と「第二次世界大戦」とでは指す範囲が異なっている。「大祖国戦争」は、ドイツをはじめとするヨーロッパ枢軸国諸国軍とソビエト連邦との間の戦いであり、ソビエト連邦と日本との戦い(満洲侵攻)や、ドイツと西欧・英米諸国との戦い(西部戦線)は含まれない。

概要

「大祖国戦争」という用語は、1941年6月22日のドイツの対ソ攻撃(バルバロッサ作戦)開始の直後に登場した。1812年ロシア帝国へ侵攻したフランス帝国ナポレオン1世をロシアが打ち破った戦いは、ロシアでは「祖国戦争」と称される。「祖国戦争」はもとは外征とは異なる自国内での防衛の戦いを指し、やがて「祖国での戦い」から「祖国のための戦い」へも適用されるようになった。第一次世界大戦でも「祖国戦争」という呼び方が使われていた[1]。ソ連当局はこれをなぞらえた呼称でナチス・ドイツとの戦争を呼ぶことで、戦いにあたってロシア・ナショナリズムによって国民を鼓舞しようとした。ドイツ軍の侵攻直後の「プラウダ」紙には、「ソビエト人民の大祖国戦争」(Великая отечественная война советского народа)と題された長い記事が掲載されている[1]1942年5月20日には、大祖国戦争において英雄的な行為を見せた兵士やパルチザンらに対して贈られる「祖国戦争勲章」(Орден Отечественной войны, Order of the Patriotic War)が制定された。

ソ連時代の辞書学においては、「大祖国戦争」とはソビエトの共産主義とドイツのナチズムファシズム)という二つのイデオロギーの間の闘争であり、最終的にソビエトの共産主義システムがファシズムに打ち勝ってその優位性を示したとされる[2]

主な人物

勲章




  1. ^ a b The dictionary of modern citations and catch phrases, by Konstantin Dushenko, 2006. (ロシア語)
  2. ^ Genocide's Ghosts”, TIME Magazine, January 16, 2008.


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